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脅したくない脅されたくない


内観研究所、林モニカです。
いま電車にいます。あと6駅の間に、いま考えてることをこちらに書いてみようと思います。
クイック内観のシェアになるかな?

昨日は子供たちの学校の先生と、PTA両方に唇が震えるほど(本当に震えた)ワナワナしてました。

先生の方は謝罪の電話をいただいたんだけど、掘り下げてみると私は怒っているというより憤っているから、謝るよりも、ちゃんと聞いて考えた返事をして欲しい。

でもクレーマーと受け取られて、何も変わらない。私の意見なんて聞いてもらえない…と、いう思い込みを握りしめてきたなあ。

感情的になった私は先生が1番嫌がりそうな脅し文句まで言ってしまった。
「今日学校の近くにいますから、こちら側が謝罪が必要ならば伺いますけど?」
いーやーーーー怖い。
私って嫌味で勝ち気で自分が絶対正しいと思っているわ。でも私が絶対正しいと思うことに対して、相手が違うことを正しいと思っているなら、それを聞く用意はあると思う。
平謝りではなくて、なぜか…ただ先生から出てきたのは言い訳だった。

「まだクラス始まったばかりで慣れてなくて」
「似た名前の生徒がいて」
「講堂が広くて見えにくくて」

状況を言うと言い訳がましく聞こえる。
ただ先生にとっては事実なのだろうな。
でも今回なぜ、こんな小さなことにこだわったかと言えば昨年から脅されていたからだ。

「進学にさしつかえますよ」
「推薦になると難しいですからね」
「進路のことを考えると、気にされた方が」

先生から見たら事実であり、脅しじゃないのだろう。そういえば、私自身が学生の頃もなぜこんなに脅されなきゃいけないのだろうと感じていた。

中学校の教室を思い出す。1番後ろの窓ぎわの席で、よく晴れた暑い日。半袖の夏服を着ていた。
今日は終業式で明日から夏休み。
先生はプリントを読み上げる。

「生徒同士で盛り場や繁華街に行かないように。出かける際は生徒手帳を持ち歩くように。
友達同士で騒がないように。毎年、花火をしている生徒が迷惑だと学校に電話がきます」

みんな見てるんだからな。
悪いことするなよ。

さもなくば、内申点が下がるぞ。


将来を人質にとられて、親になったら子供を人質にあとられて先生に逆らえない。
疑われることが心外だと言えない。

…と、ここまで書いたら駅に着いた。
ながらスマホは、いい子のあくびを読んでから怖いと感じているから辞めなくては。

私が避けてるつもりが、避けてもらってるかもしれないんだ。

そして、立ち止まって書いてしまおう。

私の中に学校に、先生に不信が積もっている。

いま波風たてずにNoを言い、信念を持った大人になった私は意見を言おうと思う。
同じように感じでもらえなくとも。

諦めていては信頼関係は育めない。


ちなみにタイトルの「脅されたくない、脅したくない。脅す人を信用しない」のは私の信念でもあり、一緒に内観研究所を運営してる門野内絵理子の信念でもある。

世の中の営業のほとんどが「脅し不安にさせ買わせる」に基づいてるなかで、信念を持ち続けるには努力がいる。

努力しなくても、自然とそんな在り方になるまで。

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