Vol.2_あのデータベースは小学生から ~noteで自分史

▼埼玉で始まる人生

昭和48年、埼玉県川越市で生まれる。

自宅は池袋から40分の一戸建て持ち家。
住宅街ながら原っぱや公園もあったから外遊びメイン、
近所では虫や魚を採ったりできるような住環境。
学校から帰ると、自宅でゲームよりも友達と外遊び。

自然への親和性や虫への耐性はここで養われたのかな

▼典型的な郊外型核家族

父は会社員、母は近所でパート、7歳上の兄がいる。

流産も経験しながら待望の第二子ということで、
特に根っからの子ども好きであった母親からは格別の愛情を注がれた。
7つ上の兄は僕のわがままをすべて受け入れ、
自分だったら無理だろう多くの時間を共に過ごしてくれた。
何の口出しもしない父親も、市内の河原や近くの廃線跡の
散策に連れだってくれ、冒険心を教えてくれた。

好きなことに夢中になれる下地があったのかな

▼ミニカーコレクション

幼稚園の頃はミニカーの収集に夢中。100個以上はあったか。

近所の外出にも全部のミニカーを持ち歩いていたとか。
ある日近所のマルエツにミニカーを置き忘れて大泣きしたことは、
うっすら記憶にある。
クルマの車種とフォルムを覚え、街行くクルマの車種を
ほぼ言い当てていたらしい。

収集癖は既にこの頃から素養があったのかな

▼プロレスとプロ野球と刑事ドラマ

小学生になると、家族の影響で趣味の大人化がはじまる。

見ている番組が両親や年の離れた兄の影響で大人の趣味番組ばかり。
プロレスとプロ野球は選手名鑑を片手にTV観戦。
兄と選手やレスラーの形態模写をして遊び、運動不足とは縁知らず。
時には会場にも足を運び、選手の応援歌をピアニカで再現するほどの熱の入り方に発展。

さらに一話完結・勧善懲悪な刑事ドラマが毎週末のお楽しみとなる。
特に西部警察は名物刑事の殉職シーンで涙したり、
憧れのパトカーやかっちょいいクルマをプラモデルで再現したりと、
気に入るととにかく深堀り。

そんな大人の趣味で細部に入り込む好奇心が育まれたのかな

▼鉄道少年のはじまり

そして自分史をふりかえるもうひとつの趣味が、世の中でいう「テツ」。

小学生に入ると興味はクルマから鉄道に「乗り換え」。
見るもよし、乗るもよし、撮るもよし、音もよし、集めるもよし。
周囲もそんな夢中をサポートしてくれる。
遊ぶのはそしてプラレールを飛び越えての「Nゲージ」。
路線図が頭に入っているから、関東近郊は一人電車で自在な移動。
Yahoo乗換案内がない時代、紙の時刻表を駆使して、旅程を綿密に組み立てた。
さらに児童向けの電車本じゃなくて大人のファン雑誌を愛読するという
大人顔負けな鉄道少年ぶりを邁進していた。

そのすべてが今の自分に不可欠な要素となったのかな

▼小学生までの「成果物」

クソガキが、どんだけ大人な趣味の過ごし方なんだよ!

自分でもそう思う(苦笑)
でも一方で、小学生にして多くの冒険と経験と知識を得ることができた。
しかも柔軟でスポンジのような脳が吸収したことで、小学校を卒業する頃には、

・全国の鉄道会社名前と主要駅と車両
・日本地図や大人鉄道雑誌で鉄道路線のある都市名と位置
・プロ野球選手の生まれ年と投打と出身高校
・生まれ年~年齢の即時変換
・乗用車の車種判別
・プロレス技(ケガさせてしまったことも…)

不思議と当時のことのほうが忘れていないなぁ。。。

今の自分の礎を築くことができたのかな

と言ってもいいだろう。

▼なぜ充実していたのか?総括

当然のことだが、小学生時代は、学校の勉強や習い事だってしていた。
それでも思い出すのは楽しい思い出ばかり。
あまり辛かった思い出は蘇ってこない(あるにはあるけど)。

なぜか?

そんなことを考えたこともなかったけど、大事なことなので考えてみた。

何にも追われていなかったから?
バリバリの教育家庭でなかったから?

うーん、そうではあるけど…やはり思ったのは、

自分が受け入れられている感覚

ではないか。
小学生だから、まだ世間体とか周囲の評判を意識することも少ない。
だから毎日好きなことに没頭しまくり、ときどき勉強。
そんな時期だからこそ育まれたマインドが

「このまま(ありのまま)でいいんだ」

(もちろん当時の本人はそんなこと意識していない)

しかし、「このままでいいんだ」という大事なマインドは、
残念なことに中学生以降、心の冷蔵庫に長いこと閉じ込められることに。

そう、僕を長い間支配することになる他人基準な生き方の始まり

(…当然のことだが、多くのチャンスを与えてくれて、大きな事故なく
見守ってくれた両親、そして兄には感謝の気持ちを新たにしたのであった)

▼実はネギ嫌いどころの騒ぎではなかった

僕がネギ嫌いであることは、ご存じの方も多いと思う。

割と近年僕と知り合った方は、かつてネギ以外にも多数の苦手食材が
あったことを知らない人がほとんどだろう。
今でこそ、ネタのように扱って、むしろ個性のようになっているが、
小学生時代の「食」については実に苦い思い出ばかりである…

せっかくよい締めくくりができそうなので、この話は次回にしよう。

Vol.3へつづく

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