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死後に見える万燈の輝き

阿含宗では、7月に東京、8月に京都の総本山で盂蘭盆会万燈先祖供養法要として、写真のような万燈を掲げて先祖供養をしています。

2024年7月 東京三田の阿含宗関東別院での万燈の様子

万燈をかかげることによって、ご供養を受けるお御霊、すでに地獄に落ちてしまっていても、この万燈の明かりが見えて供養が届く、とされています。
もちろん阿含宗でも、それが主目的でご供養を行うのですが、いつの頃からか、阿含宗開祖の語る内容に変化が現れてきました。
先祖の供養、三界万霊全ての供養であることには変わりはない。
でも、万燈供養は死後の自分のための供養でもある、というのです。

普通の人は、死後に「さいの広場」、一般的な仏教説話でいうところの三途の河原に来てしまうのですが、その前に、「阿鼻野あびの街道」あるいは「死人しびと街道」と呼ばれる暗闇の道をトボトボと歩いてくることになるというのです
ここでの様子を知りたいならば「輪廻転生瞑想法1」という阿含宗開祖の書籍を読んでほしいところです。とにかく数日ほど歩き続けると「さいの広場」に辿り着く。

ところが、です。
阿含宗開祖が言うには、もし阿含宗の万燈供養でご供養をしたことがあるならば、この真っ暗な「阿鼻野あびの街道」を歩いているときに、遠くにかつて自分がかかげた万燈の明かりが見えるという。
その明かりを見れば、あぁ、自分は、あそこに歩いていけば良いのだ!ということが本能的にわかるので、明かりへ向かって歩く。
そして自然に「阿鼻野あびの街道」を抜け、「さいの広場」には辿り着くことなく、かつて自分が供養した人たちが迎えに現れて、違うところに来ることができる、と。
だから、死後の自分のために、しっかりと万燈供養をしておくように!という阿含宗開祖の晩年の教えです。
この法話は毎年、お盆が近づくと教団内で流される重要な実践教学です。

本当ならば「阿鼻野あびの街道」やら「さいの広場」には、そもそも縁がなく、いっきに高い境界の霊界に飛翔してしまう事が阿含宗の本来の修行の目的なのですが、実際には、なかなかそういうわけにもいかないし、会員信徒ではない家族のことも考えなければいけない。

万燈は阿含宗会員信徒以外の誰でも申込みができるので、これを読んでちょっと不安だなと思ってしまった人は、申込みをご検討ください。


ここからは番外編

さて、最近、カスタマーハラスメント、略してカスハラという言葉があるのをご存知でしょうか?
クレーマ客のことです。
最近、非常に顕著になっているのは、かつて会社で当たり前のようにパワハラをしていた世代の人が、商店の従業員に直接、あるいは商品のサポートセンターに電話をかけて、非常に高圧的で理不尽なクレームを付けまくるという現象です。

パワハラおじさんが、カスハラおじいさんに爆裂進化している。
その数が、実に多いという。
かつて氷河期世代の人たちを切り捨てたパワハラ年代の人達が、老いても変わらず世間に害をなしている。

だから、それに対応するための法整備やら、怒っている声をコンピューターシステムで自動で萌えキャラ声に変換して電話を受ける従業員の心の安寧をはかるという取り組みが進んでいるわけです。


ちょっと、奥さん、聞いてくださる?
先日の万燈法要のときに、こんなことがあったんですよ!
という話なのですが、

申し込んだ万燈がみつからない
さがせ
みつからなかったら返金しろ

と、教団職員にクレームをするカスハラおじいさんが現れたというのです。というか一緒に万燈を探して!と困ってる職員に頼まれました。

そんなの知るかよ!
どうせ報いは本人に返るのだから返金すればいいじゃねえか!

とボクは職員に答えて協力しなかったのですが(笑)
写真を見て分かる通り、自分の万燈を探すのは大変なんです。
実際、ボクの申し込んだ万燈、今年はみつからなかったし・・・

阿含宗会員信徒であっても、そんなことも理解できない無様な老人になってしまうことがある。
いったい、今まで、何を学んで、何を実践してきたのか?
さらに言うと、死後に見えた万燈に向かって歩いていけ!という指導なのに、頭の悪いクレームで万燈を消してしまったら、死後に万燈は見えなくなります。それすら理解できないのか?
本当に無様ですよね。こうはなりたくない。

ちなみに、このカスハラおじいさんが誰で、このあと、どうしたのかは、ボクは知らないです。

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