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なぜもう一度運転しようかと思ったか -免許取得から15年、脱ペーパードライバーへの道①-

 私の地元 群馬県では、車は日常生活の足としてだいたい一家に大人の数だけあって、統計でも車の所有は全国トップクラス。女性ドライバー数もどうやら全国一位だったりするらしい。
 私の実家でも両親それぞれの車があり運転をしているので、子どもの頃は当然のように大人になったら車を運転するものと思っていた。

車は地元では日常の必需品、東京では非日常の贅沢品

 地元の同級生は高校を卒業した春休みに教習所に通って免許を取っている友人も多かったけれど、上京するための引越しをしたりして車を普段使うこともないからと私はその時点では取らず、その後、時間があるうちに免許だけは取っておこうと15年前の大学1年の春休みに当時住んでいた八王子の教習所に通って免許を取ったのだった。

 免許を取ったばかりの頃は実家に帰ったら車を運転したら?と親の車の保険に入れてくれたこともあったものの、地元に帰ると普段から運転をしている友人が実家まで車で迎えに来てくれたりして乗る機会もなく…。免許取得から公道を走ったことのないまま免許の更新を何度か行いゴールド免許に(笑)。

 東京に住んでいる限り、公共交通機関でまったく問題ないし、通勤も電車。
都内の高い駐車場代をはじめとした維持費を考えたら、車はいわば贅沢品。
東京で生活している限り、運転することないだろうなと思っていた。

 時々、地方に一人ででかけた時に公共交通機関だけだとバスの本数が少なくて動けるエリアが限られるみたいな経験は何度もしていて、運転できたら便利なんだけどなぁと思うことはあったけど、それはあくまで年に1-2回 非日常の中でのあったらいいな程度の話。

乳児との生活で車の便利さを感じる

 多少状況が変わったのは4年前。
 息子の出産後、生後数ヶ月の乳児を連れて都内の電車に乗るのは当初めちゃくちゃ恐る恐る。免疫力の低い赤ちゃんを公共交通機関に乗せるのはインフル流行期は避けたいなといか、泣いたら白い目で見られるんじゃないかとか、ベビーカーへの嫌がらせとか色々な話を耳にするだけにはじめの頃は公共交通機関を利用しにくかった。
(私一人の時は抱っこ紐のエルゴでリュック、周りを邪魔しない機動力ある状態に慣れたら一人でも新幹線で帰省できるようになったのだけど、笑)
 その頃から週末カーシェアで夫が車を運転してでかけるという事も増えた。
ベビーカーやそもそも荷物の量が増えると車移動の方が便利ではあったが、週末=夫もいるからなとここでも重い腰はあがらず。

↑乳児期にとっても便利だったのが「マキシコシ」。車で寝てしまっても、そのままベビーカーにドッキングして、家に連れていける優れもの。とっても便利でした。

 これも息子が成長するとともに電車好きになり、むしろ電車移動を喜ぶので、このままでいっかと思っていた今年の春になるまでは。

今までの自分の中の常識をひっくり返した新型コロナウイルス

 状況が変わったのは、言うまでもなく新型コロナウイルスの流行。
 特に都内の公共交通機関で満員電車など密な状態に対してできれば避けたいという気持ちを持つ人は多いと思う。

 私は4月から5月に保育園が休園になったことで在宅勤務をしていたものの、請求書発行のため出社する必要があった4月の最終日。
 天気も良かったので、これまでなら考えたこともなかった電動アシストママチャリで浜松町にある職場に出社した。
 いつもと違う道を自分で選んで自転車に乗り、それまでなら考えた事もなかった会社まで自転車で行くという行動。
 「これまでの当たり前」を一度見直してみようと思うきっかけになった。

↑自転車をこいだときの緑の美しさ。12年も同じ会社に通っていて、電車では通らないから知らなかった景色に気付けた。

 時を同じくして、ステイホーム期間中に色々なことを考え会社を辞めることに。
 時間ができたことだし、また秋冬に流行が起きても移動手段を確保するためには運転できることは必須だなというのがこの機に車の運転をできるようにしようと思った理由。
 思い立ったが吉日でペーパードライバー講習に申し込んだのでした。

#脱ペーパードライバー #ペーパードライバー講習

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