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父が倒れた日

おはようございます。
いろんなところで、梅雨明けしたとニュースでみました。
まだ6月なのに、しっかり夏ですね。
今年の夏も暑くなるのかな。

父が倒れた日も、まだ暑くて。
これから夏、ではなく夏が終わっていく9月のことでした。
父は暑い夏を、がんばりすぎました。
止めればよかったな。
でも、知らなかった。
血圧200もあったなんて。

父が倒れてから実家に行って父の引き出しで探し物をしていたら、いっぱい出てきたんですよね。
スーパーのレシート。
引き出し一段、埋まるくらいの。
なんでこんなものためていたんだろう?って、びっくり。
でも、それ以上に驚いたのは、病院で血圧測ったら出てくる白い紙。
血圧200って!
それが10枚くらい出て来て、ほとんど全部200近くってどうなん!
もう、びっくりじゃなくて呆然。
それで脳の血管が切れてしまったのだろうか。
気付いてあげられなかった、自分に愕然。

その頃父は脚が痛くて、近所の整形外科に毎日リハビリに通っていると言っていました。
そこの整形外科で測ったものらしかったけど、こんなに血圧高いのにリハビリして大丈夫やったんかい?と思う訳です。
誰かとめてくれなかったんかい?と思ったけれど、母さんのことばかりが気になって、父さんのことまで気にかけていなかった私が悪かったな、ごめんね。
別の引き出しから血圧を下げる薬が出て来て、薬飲みながらリハビリしてたんかい?と思うと、さらに切なくなりました。

父は父なりに、気を使っていたんだろうなと思います。
これ以上、私に負担かけたらあかんよなって。
だから、脚痛くて歩けなくなったら母さんの面倒みられなくなるから、私に迷惑かけるから、必死にリハビリしてたんやろうな。
とは、想像つく。
想像つくけど、余計大変なことになってしまっている現実。
もし、子供に負担かけたくないと思って我慢しているお父さんとお母さんがいたら、私たちのようにならないために、子供に相談して欲しいです。

その日、父は「からあげを買いに行く」と母に言って、スーパーで倒れました。
すぐに回りの人が救急車を呼んでくれて、病院に搬送されました。
父は車に乗らないから免許もないし、スーパーに行くだけだから保険証ももちろん持っていない。
なのに、実家に病院から電話がかかってきたのです。
どうやって身元が分かったの?と思いますよね?
そのスーパーのポイントカードで、身元を調べてくれたのです。
万代さん、本当にありがとうございました。

実家には、父が出かけていたということは母しかいません。
病院からの電話を受けて、母が父の病院の名前をちゃんと聞きとり、状況を理解できて、近所のお友達のお家へ助けを求めに行けたことは奇跡だったと思っています。
なぜならその頃の母は、私と電話で話している最中に誰としゃべっているか忘れてしまうことが多々あった、くらいの状態だったので。

母のお友達から連絡をもらって、私は病院に向かいました。
その方は、私が到着するまで母につきそっていてくださいました。
夜9時から手術開始。
私は夫と母と手術が終わるのを、手術室の前で待っていました。
深夜0時半過ぎ、手術は無事に終わりました。

私たちは手術室から出てきた先生から、こう告げられました。
「命に別状はありませんが、左半身に麻痺が残ります。手が元のように戻ることは難しいですが、リハビリを頑張れば歩けるようになるかも知れません。」

私はとっても楽天家。
なので、その時は父が歩けるようになる、と本気で信じていました。
でも、なんといっても87歳。
というよりは、今の医療制度と私の認識不足で夢が断たれたのかも。
これも、もっとできることがあったはずと後悔していることのひとつです。

お父さんとお母さんは、お元気ですか?
保険のCMではありませんが、自分の親はいつまでも元気だと思っていました。
アルツハイマーになるなんて。
半身麻痺になるなんて。
考えてもみませんでした。

今お元気なら、少しでもいいので体調を確認してあげてください。
暑い夏に、がんばらないようにお伝えください。
父は揚げ物やお肉が大好きで、野菜がきらい。
母が認知症になって料理ができなくなってからは、好きなものばかり食べていたのだと思います。
私も月に2,3度、週末にご飯を作りに行っていましたが、食事の管理までは無理です。
だって、私たち仕事もあるし、自分が作った家族もあるし。
仕方なかった、とそこは思うことにしています。
でも、「野菜食べやー」くらいは言えるかも。

私もアラフィフ。
言うてるまに、介護を心配される側の人。
子供もいないし、父と母を反面教師にしてぴんぴんころりを目指していこうと思います。




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