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生きるとは、関係性。茶堂にある、原点。

 2012年4月4日、私は、神奈川県横浜市戸塚区にあるデイサービス「還る家ともに」を訪問していました。
   週刊の業界紙・高齢者住宅新聞の記者として。

 場所は善了寺。そう、お寺。
「お寺やっているデイサービスって珍しい。行ってみたい」。そんな単純な動機で取材に行きました。

  この日、デイサービスの代表である成田智信住職から聞いたある言葉。
その言葉に、ずーっと私は引きずられているんです。

それは…

「建築は第三の肌なんだよ」

  建築というものの面白さ、深さであるとか。
   高齢者の住まい、高齢者が時間を過ごす「場」の取材をしながらこの言葉を思い出すことも多くて。
じんわり“効いて”くるんです。

   成田住職からこの言葉を聞いた瞬間の感覚が、今も残っているんです。

   何十冊とある取材ノートから、2012年4月4日のページを見つけました。
当時の私はまだまだ新人記者で、成田住職のこの日の言葉を咀嚼しきれていなかった。

  8年ぶりにそのページに対面して、”今の”私の視点で、もう一度、文章を書き起してみたくなったんです。
尺のある紙面としての記事ではなく。

ーでも、なぜ今?

   今だからこそ、響いてくるものがあったので。
   それは、きっとこれを読んでくださっている方にも届くと思うから。

   取材前に私がメモしていた言葉。
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お寺は生と老いと病と死と、共に向かい合う場所。
だれもがいつでも還ってくることのできる場所。
その人らしく当たり前の生活を続ける場所。
ともに笑い、ともに泣きたい。

平成17年4月1日開設。1日定員10名のデイサービス。
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では、当時の成田住職のお話から。

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伝えたいのは慈悲の心。
慈悲とは、基本、非暴力、平和。

仏教のもつ教えを口で言う世界ではなく、実行していこうと。

僕にも理論はあったけど、実践的に動けていたかと自分に問うと、いや、動けていないことが多いです。
大学で学んだり、教壇で教えていても「実践」がないと、言葉面になってしまう。「実践」とは、生活レベルでの話ですよね。

お寺にくるお年寄りがいますけど、介護状態になると来ることができなくなってしまう。
介護状態になっても来ることのできる、老いを受け止められる場所をと思いました。

出会いで、生まれた

坊守(住職の連れ合い)が小規模多機能を学んできたんですね。連れ合いとの出会い、存在には大きいものがあります。

ネットを通じて「このゆびとーまれ」の存在を知りました。
代表の惣万佳代子さんは、「すべての人を受け入れる」というスタンス。

ただ、そういうことをここで慈善事業でやってしまうと、スタッフを雇用するわけですから継続性も求められる。そうなると制度に乗っからないと続けることはできない。
一方で、ひとつの施設ですべてをやるには限界があります。
福岡市にある「宅老所よりあい」は“まち全体がフィールドなんだ”ということを言っていて「なるほど」と思いました。

連れ合いが社会福祉士の資格を持っていたので、「やってみよう」と。
惣万さんとの出会いは大きかったですよね。
で、実際どう運営するかと。
お寺でやる介護とは何かという問いがあるわけです。
リハビリ機器を導入したり、バリアフリーにしても、それらを“お寺で”する意味があるのかと。

そんな折、三好春樹さんの存在、「生活リハビリ」の考え方を知るんです。三好さんは「関係障害論」について語っていますが、仏教の本質もここにあると言える。
関係性をどう構築していくか。
「孤立化しているものは何一つない」というのが仏教の教えで、構造主義、現象学に近いのですけど。
「還る家ともに」はデイサービスではありますが、老いを受け止めて今日をどう生きるか。
縮こまった関係性をどう拡げていくか。
それを考える場にしたい。そう思いました。

デイサービスに来ることで、畑をやったり、人との会話を楽しんだり。
ものをつくる、味噌づくりなんかもそうですけど、それって、人と人が結ばれていくことなんですね。

「かかわること」をいかに豊かにできるか、です。
デイのなかで、遊び、食、自然、多世代交流…といったように活動が広がっていく。
ボランティアの方たちも「みんなで老いを受け止めていく」という姿勢でいてくれています。

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デイサービスに来ることで、新しい社会と出合う。
デイサービスだけで生活を完結させない。
ここが地域への再デビューのハブとなればいいなとも思いますね。

お寺のありかたというメッセージを発信したい。聞いてもらいたい。

人との出会いがデイサービスをつくりあげ、聞思堂(もんしどう)にもつながっていきました。
お寺が“動いていく”んです。
基本の考えを疎かにしなければ、歴史に埋もれないですよね。

安心して年をとれる社会、地域であってほしい。
老いを排除していく社会ではなく。

聞思堂のこと

聞思堂(もんしどう)とは、善了寺の第二本堂。私が訪問した時は、完成したばかりの時期。成田住職が案内してくださったんです。
中に入ってお話を聞きました。

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建築はね、第三の肌。一番目が自分の肌、二番目が衣類、三番目が建物という。
これは「天然住宅」という会社の相根昭典さんの話で。
聞思堂はこの「天然住宅」の相根さん、「非電化工房」の藤村靖之さんにお世話になっています。非常に多くのアドバイスをいただいて。

聞思堂の素材は木と土と藁。
土と触れ合う。命をもらう。
多くのお年寄りが、土と触れ合って生きて来たのに、施設に行ったら”多くがプラスチック“では悲しい。
土というものに、今のお年寄りは安心感を覚えるんですね。

聞思堂は「丸い」です。この「丸さ」がコミュニティをつくるのにすごく大切なんです。
石垣は、400年前の安土城の技術である“穴太衆積み”という仕組みを採用しています。コンクリートを一切使っていないんです。
土塗りなどのワークショップも開催して、延べ200数十名が参加してくれました。

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「ここで死にたい」と言ってくれた人がいて、とても嬉しかった。

生きるとは、関係性。豊かな関係性を、と思います。
鍋ってみんなで食べると美味しいですよね。
そういうところに生きている実感を持ってほしい。
NPO法人の活動、「カフェ・デラ・テラ」をやるのも関係性を大切にしたいから。

※NPO法人カフェ・デラ・テラは、2010年に善了寺内に設置された、3つのS(Soil,Soul,Society)に根差した、スローでスモールでシンプルな社会への思想・文化の大転換を、学生、お寺、地域商店会の三位一体で提案・実践していくことを目的としている、といいます。
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カフェ・デラ・テラとは、イタリア語で「大地のカフェ」という意味もあるんですが、大地のテラはお寺のテラでもあるんです。
早い話がダジャレですが、ここにはただならぬ深い意味が込められている。

まず、お寺というものが本来、人間界はもちろん、自然界とも分かちがたく結びついたエコロジー・センターであるという思いがそこに表現されています。
また、お寺とは、元来、老若男女が階層や貧富の分け隔てなく、さらには生死の別さえ超えて集いあう場であり、だから、現代風にいえば、カフェのようなものにちがいない、という思いが込められています。

そう、昔からお寺はカフェだったのであり、文化センター、コミュニティ・センターでもあったのだ、と思い切って言ってしまいましょう。
そしてあとは想像力を羽ばたかせて、お寺とその地域がもつ潜在的な可能性を掘り起こしていくのです。

法人サイトより引用
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―福祉の界隈で言えば「居場所づくり」「コミュニティ・カフェ」がこのところずっと盛んで、行政もその必要性を謡うようになり…
ユニークな場もあちらこちらにあります。
でも、昔からそのような場は「在った」。
お寺は、静かに、静かに、時代の最先端を行っていた…。

北海道「べてるの家」の向谷地生良さんは関係性の深い実践をしている方です。
文化的な介護というものを当事者で試みている。
異文化交流が大切で、そこに豊かな学びが生まれると思う。

 さて、取材の2か月後、善了寺で行われたキャンドルナイトのイベントに私は足を運んでいました。その日は聞思堂の設計監理をした大岩剛一さんもおられ、大岩さんの話を私はメモしていたんです。

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 「カフェ=お寺 茶堂というものが聞思堂の原点。カフェ文化=Bar。Barがコミュニティをつくる核だった。日本にはそういう文化がなかったのかというと、それが茶堂だった。
茶堂とは農村コミュニティの核。
お寺では手を合わせることで人がつながる
、まちがつながるということを考えると、本堂だと敷居が高いけど、その前の“きっかけ”になる空間、それが茶堂、カフェである」

その日の成田住職の言葉のメモもありました。

「聞くこと、って欠かせない。
そこからつながりが生まれ、開かれていくものがある。
聞思堂はそういうところ」

(成田住職)仏教建築って、今の時代の最先端なんです。「懐かしい未来」。
過去にある知恵を現代にどう蘇らせるかということ。

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原点だとか回帰だかいう言葉に、ここ数か月、特に私は思うところがあったのですが、成田住職の言う「懐かしい未来」というものに、フッと落ち着きどころを覚えたのです。あぁ、そういうことか…と。

聞思堂の原点=茶堂

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茶堂について成田さんが綴った文章があります。

―地域コミュニティを支える多目的な空間

「茶堂」には主に二つの目的がありました。そのひとつは、住民の集会所です。とりわけ「茶堂」が多いとされる四国地方。そこでは、「茶堂」はおこもりの場であると同時に、日常的な寄り合いをしたり、酒宴を開いて親睦を深めたりする場として頻繁に活用されていました。
また、雨乞いや盆踊りなどの年中行事の開催場としてもつかわれるなど、今でいう公民館やコミュニティセンターとして機能していたようです。

―コミュニティカフェから始まる「スローライフ」

もともとは石仏が祀られ、身近な信仰の場としての役割を果たしていた茶堂。後には、この地を訪れる旅人たちをお茶やお菓子でもてなすようになり、親交の場から交流の場へとその意味合いが広がっていきました。人間関係の希薄化や、地域コミュニティの衰退を憂う場面が多くみられる現代社会。誰もが気軽に立ち寄り、誰かと言葉を交わし、心も身体も休められる「茶堂」のような存在が今こそ求められているのかもしれません。

コロナ禍で、人との距離を取ったうえでのコミュニケーションを取らざるを得ない。
だけれども…
どうあっても、「ひと」=「人間」。人と人の“間”にあってこそ、ひと。
会って、そこに流れる“空気”みたいなものもそう。
生きているんだったら、私は「会うこと」を続けていたい。「場に居たい」って、すごくすごく、切実に思います。
だって、そこにこそ「生きている実感」が生まれる、あるいは始まるのだと思うから。

この文章を書き起すのにあたって、成田住職に、8年ぶりに連絡を取りました。 「8年前のことを書いていいですか。取材ノートから書き起してみたので、読んでみてください」って。
メールを送ったあと「やっぱり失礼極まりないことをしているよな…」って、穴に入りたいような気持ちにもなっていました。
一方で、当時の成田住職の言葉に衝動を抑えきれなくなってしまったのも事実なんです。
 書いて、伝えたいって。

成田住職、丁寧に私のメールに返信してくださいました。
メールに綴ってくださった成田住職の「いまのメッセージ」をここに記して、文章を閉じることにします。

私のわがままに真摯に応えてくださって、本当にありがとうございます。

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ポストコロナの時代、ネットワークが最重要だと思います。
ひとつのお寺は、単独で成り立っている訳では決してありません。
生きている者のネットワークと共に、死者とのネットワークが重要だと思います。
死者を、歴史として、客観的な関係性だけに押し込めるのではない。現代社会が、生きている者だけで成り立っているというわけではないという事実のうえで、
死者は、自分に関係ある先祖や亡くなった人たちだけではなく、多くの先人を含む「市民」としての「死民」という感覚から歴史を学ぶ。

ポストコロナの時代のつながりの形成は本当に難しくなると思います。
だからこそ、歴史に学び「死民」を粗末にしない。
その尊厳を護る儀礼は、今を生きる者の誇りと尊厳を護ります。

デイサービスで、いつも夕方にお勤めをしています。
通われているみなさん、スタッフ皆でお経を頂きます。
コロナ禍にあって、本当に贅沢な時間になっています。
今、みんなで宗教的な時間を持つことすらできない暮らしになっているからです。

お寺は、これからインターネットを通じて、リアルとネットの両面から、「市民」としての「死民」とのネットワークそして、「市民」としての生きる者のネットワークづくりを大事にしていきたいと思います。

善了寺 住職 成田智信 合掌

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Photo :浅野豪  and  http://www.chadeau.com/




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