見出し画像

物書きと、介護士になる。

介護・福祉に関する取材活動を始めて10年経過。

 「こんなユニークな施設やいい取り組みをしている事業所があって…」などとは色々語れます。特養からデイサービス、宅老所、障害者ケア、B型施設まで様々に。北海道から沖縄まで、いろいろ沢山知ってます。
 これまでに取材させて頂いたり、訪れた施設は3桁の数。
 だけどなんの実務経験も資格もない。介護・福祉の仕事をしている人の、現場のリアルを身をもって知らないという事実。(夫は15年以上の実務経験を持つベテラン介護士だけれども…。)

 次のステップ


 地域社会、まちづくりといった言葉に深い関心が学生時代からありました。
 卒論をきっかけに「フィールドワークの面白さ、人に話を聞いて文章を書く楽しさ」に目覚め→記者、ライターに絞って就職活動→たまたま募集していた「高齢者住宅新聞社」の記者→取材を始めたら”なんて面白い世界だ!””福祉って、まちづくりそのものじゃないの!!”と、福祉業界にのめり込み今に至ります。


2022年2月、夫と娘がコロナになったとき、会社から届いた支援。嬉しかったし、すっごく有難かった。

 結婚して香川に移住して、子どもができて“食”に興味・関心をもった私。フリーの物書きとして取材活動を続ける傍ら、無農薬野菜やオーガニック商品を扱う会社の仕事を始めました。いい仲間に恵まれ、農家さんなどへの取材もできたし、やりがいもあって楽しくて、5年が経過していました。
 そしてコロナ。
 福祉分野では思うような取材活動ができなくなり、消化不良を感じていました。コロナ禍で本はたくさん読んできたし、オンラインでの学びもたくさんしてきたけれど、アウトプットできていないことに”余力”を感じてしまったのです。このままじゃ時間だけが過ぎていく。「やりたいこと、やってみたいことがあるのに」って。

介護職員初任者研修


  2022年11月、丸5年という区切りをもって、食の仕事を終え、次のステップへ進もうと決心しました。「介護職員初任者研修」の受講。タイミングのいい日程での開講。これはもう”時期が来た”。現場で仕事をしてみよう。

すぐ反応できる人でないと…


 講座が始まって数日後、私と娘は大阪にいて電車に乗っていました。
 11月23日・祝日の朝方。電車はガラガラの時間帯。とある路線の終点での出来事です。

 
 最後方車両の5人掛けくらいのシートの端に娘と私が座っていました。そのシートの逆―ドア側の端には50代くらいのオジちゃんが腰かけていました。終点ひとつ手前の駅で、70代以上と思われる、おじいちゃんが乗車してきます。オジちゃんはサッと席を譲り、向かいの席に移動しました。
 数分後、終着駅です。
 私と娘、オジちゃんは降りるけれど、おじいちゃんは座ったまま。無反応に近い感じ。
 「あれ?」って思った瞬間のすぐ後、オジちゃんは「おじいさん、終点ですよ!」と声をかけます。
そしてゆっくり降車したおじいちゃん。「おじいさん、どちらに行きますか?」とオジちゃんは声をかけますが、おじいちゃん「大丈夫」の手振り。おじいちゃんの歩く先は、改札方向とは逆。
 認知症かもしれない…。
 でも、手助けは結構、な反応。
 大丈夫かなぁ…。
 オジちゃんは改札方向へと向かうエスカレーターに乗っていました。私と娘もエスカレーターへ。すると、先にエスカレーターを降り切っていたオジちゃん、駅員さんを見つけたようで、おじいちゃんのことを伝えていたようでした。
 
 “オジちゃんの迷わぬ一連の行動”にちょっと感動してしまった私。
 こういう行動をサッとできる人たちがまちに普通に存在していたら、「認知症でも安心して地域で暮らせる」ってことになるんだろうなって思います。
 
 あ~、私だったら“気になりはしたけど…”で終わっていたな。ぜんぜんダメじゃないか~!!!
 省みました。
 
 こんな出来事に出会った翌日、講義が続きました。

改めて「大変な仕事だな。介護士ってすごいや」。


 講義は介護保険制度の基礎から始まります。施設類型などの説明もありますがここらへんのことは十分よく知っているので、講義を聞き流していた私。ですが、看護師が講師だった回の講義―体のしくみ、老年期の身体のこと、疾患や疾病のことはとても勉強になりました。自身の親が高齢期を迎えている人にとっては「もう必修」と思います。
 
 テキストに綴られていた次の文章にはハッとしました。

人はそれぞれ独自の人生の物語を生きています。たとえ本人が忘れてしまうことがあったとしても、他の人たちが忘れない限り、その物語は生きているのです。
 認知症の人にかかわるということは、その物語に参加することですが、その物語を勝手に書き換えることではありません。本人が自分の物語を生き続けられるよう支援していくことが、自由を保障していくことなのです。このことにやりがいを見いだすとき、介護職の物語も豊かになっていきます。

(テキストⅠ p334)

演習―体位交換、衣類の脱着、オムツ交換、車いすの移譲、移動、食介…

 
 研修後半戦。いよいよ演習も始まりました。
 担当講師がものすごく熱心で、それは熱く教えてくれました。だから印象に強く残る←重要!!
 実技は正直「難しい」って思ったし、注意・留意・配慮すべきところがそりゃあたくさんあって、ちょっとビビッてしまうくらい。
 “誰にでもできる仕事”だけど、“誰もができる仕事ではない”ってことが身にしみました。
 夫にリスペクト。介護士としてケアの仕事をしている人たちを改めて尊敬します。
 くさか里樹さんの漫画『ヘルプマン』、また読も!←記者になりたての頃、読んでました。
 
 講義・演習、計16日のスクーリングを経て、12月15日、履歴書の免許・資格取得欄に「介護職員初任者研修」修了と記入することができるようになりました。
 12月22日、39歳になった日に、地元の複合施設で“介護士”として仕事を始めることが決まりました。決めました。マジ地元。徒歩圏内。
 
 ということで、船、出します。漕ぎ始めます。
(取材活動はライフワークなので、辞めません。書く人でありたい。)

 2023年1月から、新米介護士。

めちゃくちゃ響いた!私の深めたい場所、突きまくり!

って、gift?

 母親が昔、知的障害のある人の施設で仕事をしていて、施設のお祭りにも子どもの頃行ったし、施設に通う人から家に電話がかかってきて対応していたこともあったな。その後、大手訪問介護事業所でヘルパーの仕事をした母。坐骨神経痛なども抱えているため、介護士の仕事が難しくなり、現在母はサ高住の食事づくりをしています(母だって、もう68歳だものね…)。
なんやかんや母の背中を追っているのかなって思ったり。私も結局、ケアの仕事を始める。これもgift(贈与)であり、社会的相続なのかも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?