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写真展「庵治町へのラブレター」記録集④最終話 写真のチカラ



300人超えてる…

 5月6日、いよいよ展示会の最終日。朝9時には会場へ。まず私はやらねばならぬことがありました。”今日の夕方までに日ごとの来場者数を教えてほしい”という高松市への返答。(会場自体は高松市の所有なんです)
 落ち着いている朝のうちに…ということで、今までの芳名カードと芳名ノートを開けてみます。

何度印刷して、芳名カード、足しただろう…

 どっさりある芳名カード。
 集計したら…これまで300人超えている。書かれていない人もいるはずだから…。
 !!!

 ヤバい…
 感想を読んでしまうと泣きそうになる。
 いやいや、まだ読まんとこ。

 最終日は午前も午後もずっと賑やかに過ぎてゆきました。

 ”写真”があること

 尾野さんのお知り合いで、無農薬野菜を育てている方も。私が興味見せたら、いったん帰ってわざわざ畑からソラマメやスナップエンドウもってきてくださったり…。
 ホント、庵治の人たちすごいや。

 ちょっと会場内が落ち着いた時に、尾野さんが持ってきていた昔の「庵治町歩こう会」の写真をめくります。
 37年間の歩み。
 いろんな場所をみんなで歩いて、写真を撮って…
 思い出があふれそうです。

 午後、尾野さんの中学校時代の先生の息子さんが来られました。二度目の来場です。その息子さん、自宅からアルバムを持ってこられました。じっくり見ながら当時を懐かしみます。
 昔は自分でフィルムを現像していたとか、デジタル全盛期の今では信じられないですけど(笑)。白黒写真の良さがそこには確実にありました。

 写真、ほんと、大切だな…。アルバム、いいな。

「写真は未来のためにある」

 写真展を振り返っているこのnoteで前回触れた編集者・藤本智士さん。この写真展にも足を運んでくださったのですが、藤本さんのこの2つの本を再読し、改めて強く思うんですよね。「写真がある」ということの意味を。

 スマホで写真を撮らない日はほとんどないかもしれません。小さな子どもがいればなおさら。でもそれを現像していますか?アルバムにしていますか?
 いくらでも撮れるし、消せるという行為の容易さに、蔑ろにしてしまう印刷という行為。
 でももし、印刷していなくてデータが消えてしまったら…。

 藤本さんが写真について語るときに頻繁に登場するのが鳥取県にある”かげやまスタジオ”の影山さん。
 かげやまスタジオで藤本さんが影山さんと会話しているシーン。
 ある写真について「このプリント、ちょっと濃いでしょ?」と影山さん。

プリントを前にそう聞いてくる影山さんに、正直、あまりよくわからなかった僕は「言われてみれば、確かにちょっと濃いですかねぇ」と返答しました。すると、影山さんはこう言いました。
「これは50年後にちょうどになるように、ちょっと濃いめに焼いてるんです」。
 そのときの衝撃を僕は忘れられません。まるで宮大工さんのようなそのひと言で、影山さんが写真というものに、どう向き合っているのかがハッキリとわかりました。そして僕は、あらためて写真は、未来のためにあるものなのだと実感したのです。

『アルバムのチカラ』文 藤本智士 写真 浅田政志 (p7より一部抜粋)

写真にして現れる大切なモノ。

 私は、尾野さんに出会って以来、庵治町内の写真と尾野さんの活動にまつわる風景を4年間撮り続けてきました。それらをセレクトして展示したわけですが、芳名カードに書いていただいた感想を後日読んで”写真展やって良かった”としみじみ実感していました。
 以下、芳名カードに書いていただいた感想をほんの一部紹介します。

ー地元にいながら、見たことのない景色も見れてとても良かったです。

―同じ風景でも、目をとめて見る、心にとどめることで、そこに愛が映り込む気がします。撮る人とつくる人と、映る人と、大きなアース♡

―庵治町で生まれ育った者ですが、それでも町内に知らないところがいっぱいあると知りました。それにしても、あらためて写真で見ると庵治町の風景の美しいこと、誇らしいとともに、この自然をずーっと守って行かねばならないと思わされました。

―素晴らしかったです。町内で生まれ育って70うん年。庵治町の気づけていないところ、こんな風に見せていただき再認識しました。このような機会を作ってくださり、ありがとうございました。

―庵治の素晴らしいところを再認識させていただき、ありがとうございました。

―自然の美しさと健康のすばらしさを感じた。年月を積み重ねるというのは素敵なことと思った。

―新聞等で拝読し、すばらしいと思っておりました。何事もひとつのことを続けることの偉大さにビューティフル!おつかれさまでした。 

思い、深く。

 最終日は15時までの予定でしたが、ゆっくり滞在している人たちがいたりして「おしまいです」と片付けを始めたのは16時前くらいからでした。が、みなさん手伝ってくださり、思いのほか片付けが進みました。

最後まで、ありがとうございます。

【無事に会期を終えました。最大限の深謝を】

写真展・庵治町へのラブレター 4/20-5/6
概ね、300人以上の方に来て頂けたようです。
庵治、あらためてスゴい!!尾野さん夫妻のお人柄!

「やる」と決めて、いよいよ準備作業を始めてからは、ただ無心に"やりきる"ことだけだった。
そしてそこから、キセキの超連続でした。
最後の一週間、ほとんど寝てない。仮眠だけ。でも倒れなかって(笑)"人間、やれるときはやれるんだな"と。
準備に私の持ちうる力をすべて出し切って、いざスタートしてみたら…

もうどんどん日々色々感じることがあり、出会いがあり、動きがあって。
常に「ありがとうございます」が湧き上がる。
尾野さんの奥さま・きみこさんが本当に常に場を整えてくださり、さらに来場された方にお茶を出してくださったり。そこからどれだけの交流が生まれていたか。サロン化していたか。
四国新聞さんが記事にしてくれたことで、より開けた場になっていった。
尾野さんが持っていた「庵治町歩こう会」の昔の写真を、ほんとうに懐かしそうに眺め続ける人たちの姿。
涙流した再会もあった。

ていねいに展示やパネルをみてくださり、嬉しい言葉をかけてくださった方々、コトバを残してくださった方々。
また、私が敬愛している編集者・藤本智士さんが超多忙な合間に来てくださっていたこと。「展示会ってこうあるべきだなぁって思うほど、さいこうな幸福な空気で満たされてて…」とメッセージをくださって。

私はもう、嬉しくてしかたありませんでした。

今日最終日、藤本さんが大切にしている「写真」への思い、「アルバムのチカラ」を実感する出来事もありました。

いよいよ、さいごに。

ホントにホントに忘れてはいけないこと。
私ひとりではできなかった。
関わってくださったすべての方へ。

最大の「ありがとうございます」を。

5/6 facebookより

「来たときよりも、美しく」。

 写真展が終了した2日後、撤去作業で再び会場へ…の前にまず、皇子神社へ。無事に会期を終えられたことへのお礼参りです。
 その後、もくもくと片づけを始めて10時過ぎ、尾野さん夫妻が「遅くなりました!」。ついで間もなく古川さん登場。ということで、大きな物を倉庫へ戻す作業は4人であっという間に終了。そしてガムテープ持って、みんなで床掃除。これがもう…本当に丁寧になさるお三方。

 「来た時よりも美しく」ってこれだ…。もう本当に頭が上がらない…。   
 「きれいになりましたね!!」ということで会場に礼。
 ありがとうございました。お世話になりました。

打ち上げ。最高の笑顔、どうかこれからも。

5月24日、コアメンバーで写真展の打ち上げを行いました。
3時間、笑いっぱなし。
このノンフィクション、主人公・尾野さんの笑顔。
どうかこれからも、この笑顔を見せてください。

 写真展では、思いを綴ったパネルをいくつか展示していました。
 その最初と最後をここに残し、この記事を閉じたいと思います。

「庵治町へのラブレター」

さぬき市にある自宅を出発し、11号線を走り出す。八栗山(五剣山)と屋島がすぐに視界に入ってくる。牟礼町を過ぎ北に向かうと、次々と現れる石材店。切り出された石が無数にあるのを目にする光景が続きます。
 
高松市庵治町。
 
ここは、大ヒットした映画『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地で知られますが、実は四国最北端のまち。漁業と石のまち。
“庵治石”は日本三大花崗岩のひとつで、とても良質だといいます。
わたしは、この場所は本当に美しい風景、景色が広がる場所だと感じています。
 
なによりも…
 
尾野健(おの・たけし)さんに出会ったことで、
さまざまな出会いにもつながっていきました。
 
この場所が、みなさんのことが大好きだから、ラブレターを綴りたくなりました。
 
出会えて良かったと、心の底から思っています。

「おわりに」

私は、真冬も5時半から30分ランニングするのが日常になりました。
夜明けが刻々と早まってきた2024年3月。真っ暗で凍えるような朝から、ぬるい空気を感じる朝へ。走れば汗をかく朝へ。
走りながら季節の変化を感じることができるのがこんなにも気持ちのいいものなんて…。
 
さあ、春です。

オノさんに出会い、まさか私自身の人生に「ランニング」が加わるとは思ってもいませんでした。それもまた「出会い」。
出会いによって人生は紡がれてゆく。濃くなってもいく。それを味わえる自分でいたい。
 
オノさん、奥さんのきみこさんとの出会いのみならず、庵治町を知ることで、たくさんの素敵な人たちに出会うことができました。
 
「大好きな人たちがいる」「大好きな場所がある」ということは、どれほど幸せなことなのでしょうか。
庵治町を想うと、嬉しい気持ちになれるんです。
 
オノさん、きみこさん、みなさんへ。
 
これからも、どうぞよろしくお願いします。

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