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100%、愛。

“世界の中心で愛を叫ぶ”に舞い降りた、ダブルな奇跡

前回、ここで書いた30年、ひとりで「山歌う風景」を耕し続けているオノさんのお話。


舞台は、高松市庵治町。
映画「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケ地になった場所です。

奇跡は起きる。起こせるもの。

真っ直ぐ在れば…
真っ直ぐ想えば…。

プロジェクト、始動。

2020年4月22日、オノさん80歳の誕生日。
4月6日にオノさんと初めて出会いました。「今、おいくつなんです?」との質問に「22日で80になる」とおっしゃったのを、私は聞き逃しませんでした。

だって、4月22日とは、アースデイだから。
黙々とオノさんが耕し続けている山道は、四季折々の植物や木々で溢れています。
「散歩しながら和んでほしいから」といろんな植物を植えたり、「歩きやすくなるように」と自らスコップで道を拡げたり。
もちろん、ゴミも落ちていません。
瀬戸内海や屋島を望む眺めも抜群。本当に、“美しい風景が在る”場所なのです。

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だから私はこの場所が大好きで、2年前に発見してから定期的に散歩に来ていたのです。
そんな〝風景をつくる活動〟をひとりで30年続けておられるというオノさん。
まさに“地球の人”=アースデイ。

そんなオノさんの姿勢に私は心底感動してしまって、「オノさんにありがとう&おめでとうを伝えようプロジェクト」と題し、海で拾ったシーグラスを使って、娘と誕生日プレゼントを作ったのです。お礼の手紙とともに、オノさんの誕生日に渡そうというプロジェクト。

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ですが…。
この2年間でオノさんに会えたのは、たった一度きり。
4月22日に行ったところで会える可能性はかなり低い。

それでも私はどうしても、「会いたかった」「渡したかった」「ありがとう、を伝えたかった」のでした。

前日、「祈る」

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前日、4月21日にも、プレゼントを持って山道に行きました。
オノさんに会える“可能性を上げたかった”から。

ただこの日、私は14時まで仕事があって、娘を幼稚園に迎えに行って、いったん家に戻ると、娘は近所の子どもたちと遊びだしてしまい、家に入ったのは結局17時。

「うーん、今から行ってもなぁ…。でも、可能性はゼロじゃない。行ってみよう。夕日はひとまずきれいに見られそうだから」

山道に着いたのは17時半過ぎ。
日が陰ってきています。
少し歩くも、人の居る気配は全くありませんでした。

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飛行機雲が空を彩る夕暮れ。それはとても美しい空で。沈みゆく太陽に「明日、オノさんに会えますように」って、ぎゅーっと祈ったのでした。

4月22日、きたる。

この日も14時まで仕事があって、どうしても14時半過ぎでないと山道に着くことはできません。

もちろん連絡先は知りません。
あのとき、聞いておけば良かったなぁ…。

早朝、悶々と考えていました。
あれだけすごい活動をしているのだから、情報がどこかにあるかも、とネットで検索するもまったくヒットせず。
唯一出てきたのは電話帳。
検討をつけた“あの辺にお住まいかもしれない”=オノという名字の人物は数名。
もし今日山道で会えなかったら「訪ねてみる?」。
なんとか、誕生日にプレゼントを渡したいという思い。
一方で、「そんなことしたら大迷惑かも」という思い。

うーん…。
仕事をしながら、揺れていました。
時間は14時。仕事終了!!

晴れているけど、強風。寒い…。これじゃあ、おられないか…。

道標から、始まっていた「奇跡」

この日、仕事休みだった夫。娘の幼稚園迎えを頼んで14時半、山道の入り口で待ち合わせていました。
仕事を終え、急いで車を走らせた私。
職場から向かったため、いつもと違う道を通ります。
車を走らせながらこの日ふと目に入ったのが「舟かくし」という道標。

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なんだろう?「舟かくし」って。

山道入口に到着するも、まだ夫の車はありませんでした。10分くらい待ちますが
「もし今オノさんが山道にいて、すれ違ったらいけない。ここで待つより、行ってみよう」
私はひとり、歩き始めたのでした。

2週間ぶりのこの場所。満開だった桜の木は、すっかり花散り、別の様相を見せていて、季節が進んでいることがわかります。

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道中、一組の散歩夫婦に出会いましたが、道を進むほどに「やっぱり会えないか。そんな都合のいい話なんて、ないよね…」という思いが湧いてきて。
ドキドキが止まりません。

でも、オノさんが植えた植物たちが花を咲かせていたりして…。

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「あと2週間くらいしたら咲くの、この桜」と教えてもらっていた桜の木も花を咲かせていました。
そんな桜をカメラに収めつつ、歩いていて突然耳に入ってきた「ザッ、ザッ」という音。

あっ…これ、シャベルで土を掘る音…。

歩いていくと、見えました。青い服が。

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うわぁ~!!オノさん〜!

会えたぁ~!!!

「こんにちはー!!」

大きな声で声をかけ、振り向くオノさん。

私のことを、覚えてくれていました。

「いま、娘と夫もこっちに向かっているので、もう少ししたら来ます」
オノさんは一生懸命土を掘っていたのか、汗ばんでいました。

「舟かくしっていう場所知っとるかな。唄もあるんや」
「あ…。実は今日、いつもとは違う道を通ってきて、看板だけ目にしました!」

屋島の話、源平合戦の話を聞かせてくれながら「舟かくし」という言葉がオノさんから出てきたことに、妙なめぐり合わせに、私はビックリしていました。

“舟かくし”とは、屋島の対岸にある入江の名称のこと。この地を舞台に平家の悲哀を歌った『あゝ舟がくし』という森繁久彌作詞作曲の唄があります。

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(屋島。左端が「舟かくし」)

曲を作った森繁さんはヨット好き。庵治町に位置する兜島の一部を、瀬戸内の停泊地として購入したほどだそう。ここを訪れたとき、舟上から平家をしのんで作詞作曲した『あゝ舟がくし』は1964年に発売され、美空ひばりが歌ったレコードも発売されています。

夫と娘が現れました。

「あちらで『舟がくし』唄いましょうか」


「えっ!聞かせてくださるんですか?!」

歩くこと少々。私たちは屋島と舟かくしが望める場所へ。
ちなみにここ、オノさんと出会うきっかけになった、娘がピヨちゃんを落とした場所でもありました。

その手前にある桜の木々を差してオノさんが言います。
「”平成15年 庵治を歩こう会”って立札あるでしょ。『桜の木、50本を寄贈する』という抽選会があることを知って応募しようとしたんやけど、役所に相談したら個人では応募できなくて。それでこの歩こう会で応募したの。そしたら当たってしまって。でも役所は何にもしてくれなくて、僕一人で植えたんや。それがこうして大きくなったの」

オノさん、やっぱり、凄すぎです!!

ここから見える「五剣山」は別名「女体山」。
女の人が寝ているように見えるから。
採石場があちこちにあるのが“庵治”で、庵治石は質の良さで全国的に知られているのですが「オリンピックの、国立競技場にも一部使われているんよ」などと、オノさんの話は止まりません。

話を聞きながら私は「いつ、プレゼント渡そうか…」と考えていました。

「じゃあ、唄いましょうね」

屋島、舟かくしの方向へ体を向けて、オノさんは唄い始めました。

オノさんからのプレゼント、オノさんへのプレゼント

「あゝ舟がくし」 作詞作曲 森繁久彌

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鎧に残りし 香りやあわれ
舟をかくして 公達は
いづ地の山に 入りたもう
今日も渦巻く青い潮
哀しや平家の 舟がくし
サノヨー サノサ サノヨー サノサヨ

影を屋島や 入江に映す
月が上れば 銀の波
黒髪長き 姫の立つ
扇の的よ 射て見よと
おぼろの夢や 舟がくし
サノヨー サノサ サノヨー サノサヨ

はれて望めば 潮路の彼方
遠い小島は 何故ぬれる
千鳥は君の 笛の音か
今日も雲入る 五剣山
興亡むなし 舟がくし
サノヨー サノサ サノヨー サノサヨ

まさか、オノさんから唄のプレゼントを受け取ってしまうなんて。
ホントにもう…涙が出そう。

唄声は、私の胸に深く深く届きました。

そしていよいよ切り出します。

「オノさん、今日って誕生日ですよね?」

頷くオノさん。

「実は、この間お会いした時に話を聞いて、本当に感動してしまって。私はこの場所が大好きです。そんなこの場所を、ひとりで30年て…。
何とかお礼を、誕生日にプレゼントを渡したいと思って。今日、お会いできたらいいなって。そしたらお会いできて、さらに唄を聞かせて頂けるなんてもうだいぶ驚いたんですけど…ぜひ受け取ってください!!ひびき、渡して」

娘がプレゼントの入った袋を渡します。

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「うわぁ~!!!」

オノさんの、その時のやわらかい笑顔を私はずっと忘れないでしょう。

「開けてみてください」

「あ…。あのときの写真、あなたがカメラで撮って…。80歳になりましたが、一番嬉しい…。A4に伸ばしてコピーしたい。飾ります」

オノさんはこう言ってくれました。

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その後も、オノさんは話が止みません。
屋島のこと、この場所のこと。

あぁ、オノさんは庵治が大好きで、本当にみんなに知ってもらいたいんだな…。
伝わってきます。オノさんの気持ちが。

地域の風を身体に受け止めながら、地域の歴史を知ることが出来たら。

それはどんなに素敵なことだろう。

オノさんは、学校へ出向いて講演をすることもあるそうです。

「今年もまた呼ばれるんじゃないかな」「それはお聞きしてみたい!実は私、物書きをしていて、初めてお会いした時にも思ったんですけど、コロナが落ち着いたら、ぜひゆっくりお話をお聞きしたいんです。あのとき、唯一の後悔が、オノさんの連絡先を聞かなかったことで…」
と、オノさんの電話番号とフルネームをお聞きしました。
すると、朝あの何件かヒットしたオノさんの名前。「下のお名前、これっぽいな」と私が思ったのと、一致していたのです。

なんだかもう、奇跡を越えてしまっているような…。

「では、夫がまだ知らないあの場所!根太鼻と御殿跡を案内してきます」
オノさんと分かれ、私たち家族は散策へ。

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夫、「何ここー!めっちゃいいところやん!!」。
フカフカの土のある森の、散策道。ここにある木の名前は「ウバメガシ」という木だとオノさんが教えてくれていました。
「夏になったら、カブトムシ、出てくるかな、ここ」とは夫。

海岸では娘はシーガラスを拾い集めたり、付近を冒険しています。
いつの間にか17時を過ぎて、押し寄せる波が大きくなりました。
“潮が満ちてくるのかも。戻ろう”

来た道を戻ります。
オノさんのじょうろが木に下がっていました。

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「そうそう、これを見て、“ボランティアの存在”に気づいたんだよね」。

「おいもさん!!青い人!!」

娘が叫びました。
「オノさんだよ、おいもさんじゃなくて…」
と噴き出してしまいましたが、オノさん、まだおられたのですね。

オノさんと私たちは、帰りの途をともに歩いていきます。

思いの「底」。

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庵治は「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケ地だから、映画公開後は、それはたくさんの観光客も訪れました。
今もポツポツ、散歩に来る度に観光客らしき人たちの姿は見かけますが、ここまで、この山道を知る人は少なくて。

「ねぇ。もっと来てもらえれば。庵治は…、何度も言いましたけれどこの場所は四国の最北端。
それをねぇ、知ってほしい。行政に言っても、なかなかしてくれへん。
あの、根太鼻と御殿跡を示す道標あるでしょ。照射塔のほうは、行政に掛け合って…あれ、僕が位置をずらしたの。竹で見えなくなっていたから竹を刈って、見やすくしたの」

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「担当者はなぁ…一年に一度見に来るだけじゃなくて。植物は成長するものなんやから。行政ってのは、異動があるから、担当が変わると通じなくなるの」
と言いますが、行政に対してオノさんはきちんと言うべきことは言い、掛け合うべきことは掛け合ってこられたのでしょう。

ゴミ箱のそばに着きました。
「これもオノさんが?」
「これね、(行政に)置いてもらったの」
物干し竿をひっかけているのはやはりオノさんの工夫でした。

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「こうしておけば、小さなゴミはここに入れてくれる。お弁当とか袋に入った状態のゴミが溜まったら行政に連絡して収集してもらうの」

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「犬の糞の後始末はお願いします」という小さな札がゴミ箱についています。
「これな。糞はきちんと始末してほしい。ホームセンターで買うて貼り付けたんですよ、笑!」

本当にもう…。

「前回お会いした時とはまた違う花が咲いていて嬉しくなりました」
「そうそう。近くのお年寄りが散歩できるように道を拓いて植物植えて…。女の人はね、花が好きだから花を植えて。和みますね、花があったら」

オノさんは誰かに頼まれているわけではありません。
何か見返りがあるわけではありません。

「オノさん、どうしてここまで出来るのですか?何がオノさんを動かしているんだろうって思います」

私は尋ねました。

オノさんは言います。
「やっぱりねぇ、四国最北端のこの場所を知ってほしいんです。文化を、歴史を。」

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ーここを知ってほしい。
ただひたすらに、純粋な思い。

庵治で生まれ育ち、離れることなく暮らしてきた。だからこそ言える言葉でもあるのでしょう。
地域で生きるってこういうことなんだろうな。

庵治は高齢化が進み、若い人は少ない。しかも漁師のまち。山に目を向ける地元の人は少ないのだと思われます。だから、オノさんひとりの活動になっているのだと予想されます。

でも、私みたいに心揺さぶられる人間がいて、「手伝いたい!!」と本気で思う人間がいて、手伝い始めたら…

そうやって人と人がつながっていったら。
オノさんのような活動があちこちで起きていったら。
どんなに暮らしやすいまちになるのでしょうね。
美しい風景が自ずと広がっていくのだろうな。

もちろん、つながるほどに影を見ることもあるのでしょうけど、
光と影。両者存在しているからこそ。
人ってそういう生き物だから。

私はオノさんの存在に心底揺さぶられ、勇気をもらっているのです。

100%、愛だって。

あとがき

オノさんは、オノさんだけが知る「道」で、自宅に帰っていきました。

本当にこの日、オノさんの誕生日にこうして会えて、私はとてもとても嬉しかった。

昨日、じゃなくて良かった。
夫が仕事休みで良かった。
夫にもオノさんの話を聞いてもらえて良かった。私と娘だけだったらオノさんの唄を聞けたかどうか。

強風も気にならないくらいおさまりつつ。
雨でなくて、晴れて良かった。

真っ直ぐ、やってみた結果、
真っ直ぐ、想った結果、

奇跡は舞い降りたのです。

社会はいま、こんなにも不安定な毎日だけれども、こんな小さな奇跡くらいは起きていい…。

そう、思いたい。



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