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各駅停車で、浅香山で。-NPO法人kokoima 小川貞子さんを訪ねて

 大阪府堺市にあるNPO法人kokoima。精神障害のある人たちの支援を中心に、Caféここいま、リサイクルショップ「リユースぜろ」、就労継続支援B型事業所「おめでたい」を運営しています。
 なんば駅から南海高野線に乗り換えて、最寄り駅である浅香山を目指します。浅香山に止まるの電車は各駅停車のみ。電車のスピードはゆっくりと。そのため沿線の風景がよく目に入ってくるのですが、どうも線路とまちの距離が近い。“人の存在が近い路線”なのだなと思いながらガタンガタンと電車に揺られていました。

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 浅香山駅に到着し改札を出た途端、私は“まちくささ”を嗅ぎ取ります。自転車をスーっとこいでいくオジちゃんの姿だったり、買い物袋をぶら下げた親子だったり。ここでの“まちくささ”とは生活感。
 新しいまちに来たというよりも、日常の延長線のような感じがします。
 Kokoimaの場所をメモした地図を片手に駅から歩くこと約2分。パラソルを広げた八百屋さんに目を奪われたのですが、すぐその隣に「Caféここいま」がありました。道を挟んだ向かいには「おめでたい」が。

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(パラソルのある店舗は八百屋さん。左隣がcafeここいま)

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(おめでたい)

 10時にkokoima代表である小川貞子さんに会うことになっていました。

 小川さんは看護師。ここから徒歩圏内にある「浅香山病院」に30年以上勤務。看護部長兼副院長も務めたというベテランです。そんな小川さんがなぜ病院を飛び出して法人を設立したのでしょう。小川さんの話の前に、これまでの経緯を振り返ります。

 現在は総合病院の浅香山病院。設立は1922年。精神科から始まり、1953年に日本で初めて精神科デイケアを設立した病院です。
 すべてのきっかけは2012年。写真家・大西暢夫さんが入院患者の写真を撮影しに浅香山病院を訪ねたことから。大西さんは撮影を通じて、看護師や医師とはまったく異なる関係性を患者たちと築いていきます。その姿に動かされた小川さん。精神科の長期入院者とともに「私の話を聞いてください。あなたと会いたい」という実名公開ナラティブ写真展を2012年より開催。写真展の準備は患者と看護師が協働で行い、患者自身が名刺を携えて、展示会では写真の隣に座り、来場者と語りました。
 写真展を契機に「精神科のイメージを変えたい」「社会貢献したい」「誰かの役に立ちたい」という患者の声を具現化するため、院内に“ここ今ニティサロン”(事務所)ができ、「kokoimaハウス構想研究会」が定期的に開かれていきます。その目標は、患者の退院と地域生活を送れるような「家」をつくること。
 右往左往しながら、浅香山町内の物件と出会い2015年12月にカフェをオープン。翌年3月に法人登記をしています。
 大西さんとのつきあいも続き、精神科病棟(開放病棟)に入院中だった益田敏子さんの“沖縄へ行きたい”の一声から、実際に沖縄へ行く経緯(2016年)を追ったドキュメンタリー映画「オキナワへいこう」が制作され、2019年に公開。撮影は大西さん。配給は「おめでたい」となっています。

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(上記写真:2019年1月にフェニーチェ堺にて行われた浅香山GENKIプロジェクト「オキナワへいこう」上映会 316人ものの来場者。満員だったそうです)

 さて、ちょうど10時。私は「おめでたい」のドアを開け、小川さんに会う約束の旨を伝えます。が、まだ出先から戻られていないとのことで、準備中だったカフェで待つことに。カフェには若い女性スタッフ・金澤さんが調理中で、冷たい水を出してくれました。金澤さんの明るい声と表情に、小川さんに会う前からkokoimaが「いい雰囲気」であることがわかるようでした。

 頂いた水を飲んでいると、「おめでたい」にいた女性の利用者さんがカフェに来て、鏡近くの椅子に座りました。金澤さんが女性の髪を結っています。これからカフェのお手伝いをするようです。
 その後、他の利用者さんもカフェに入り、本が乗ったラックを外に出し“開店準備”。
 そうこうしていると「ごめんなさいねー!!」と小川さんが戻ってきました。ハキハキした明るい声と明るい表情。パワーあるお方だ!!と直感。挨拶をして、インタビュー開始です。

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 小川さんたちの活動や背景についてはアサダワタルさん(日常編集家。「おめでたい」でワークショップを開催するなど、kokoimaの活動と関わりがありました)の文章を読み込んできたので、これまでの活動経緯は把握してきました。私、浅香駅に降りた瞬間に、いい意味での「まちくささ」を感じて…。商店と人の距離が物理的にも近いですし、“人が近い”って感じて。

 そうね。そんななか、「私たちが来てまちが明るくなった」「来て良かった」と思ってもらいたいの。カフェはウエイターの仕事もある。気力、体力も戻ってきたという人(利用者さん:以下“メンバーさん”)が地域リハビリの意味で、病院からここに移っていく。まちの人と居合わせる場所をつくることの意味ね。そして役割。
 「オキナワへいこう」の、沖縄へ行くための旅費を稼ぐためにもバザーをしていたけれど、バザーで売れ残った品もあり、それを別のところで販売できたらとリユースショップぜろが生まれたのね。すると「うちにあるモノももらってくれる?」と声がかかる。さらに喜んで買ってくれる。

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 この界隈、昔は“履物屋”“肌着専門店”“呉服屋”といったようにそれぞれ専門の店があってそれで十分に商売が成立していた。でも次第に大型ショッピングセンターの進出などで個人商店が立ちいかなくなっていって。「口に入るものしかここでは買えない」って。
 ぜろには、色んなものが置いてある。「白糸ない?」ってあるのね。結婚式で使うんだけと半襟ない?中古品だけど“ある”。
 ぜろの三ヶ月後に「おめでたい」作業所をつくって。そこは手工芸などができる場所。そこから「ハレハレハンガー」だとか「千代子マグネット」だとか利用者さんの”得意なもの“を活かした製品も生まれて。現在は、カフェ、リユースショップ、作業所という3面が今ある状態なんですね。

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(手前「千代子マグネット」、奥「ハレハレハンガー」)

―はい。

 そういう風にして「わたしたちの居場所」はできていくけど、一方でそれはまちを浸食することにもなって。直接ではないけれど、好意的に受け止めていないという声も耳に入って来た。うちはミーティングを大事にしていて、「こういう声を聞いているけどどう思う?」って正直に言った。怒るやろなと思っていたんだけど「当たり前やな」ってメンバーさんが言った。じゃあ「私たちが来て良かったと思われるようにするには?」とみんなで考えて。そんな時に作業所の前の通り“通称パルファンストリート”に、お花屋さんと月間契約をして花を置いてもらうようにしたのね。置かれている花が変わると道を通る人に「このお花、なんて名前?」と聞かれて。カフェを利用しない人、ぜろを利用しない人でも「これ何?」と花が会話のきっかけになった。花を枯らしたら意味がないから、メンバーさんのなかで“花当番”ができて、花の水やりをするようになった。
 それともう一つ。このそばに一般ゴミ捨て場があるんだけど、ゴミ出し日に関わらず毎日ゴミが捨てられ、4年前にこの場にオープンしてからずっと悩みの種だったけど、最近ではネズミも出てくるようになって、ゴミ捨て場横の八百屋さんも長い間苦労していたのよ。そこでゴミ捨て場に花を少し置くようにした。すると、一気にではないけれど、ゴミ捨て場が散乱しないようになっていった。「捨てないで」ではなく、美しいものを置くことで、解決されていく。
 この話はここ数か月ほどのことだけれども、私たちは当然、迷惑をかけることも多いから、そうやって「kokoimaがきてくれて良かった。きれいにしてくれたわ」の階段をひとつずつ登っていきたい。そこにはまちの人と協力していく楽しさもあるわね。

 浅香山は、魅力的なまちだと思う。もっとこの場所に、町の外から人が訪れる場所があればいいなと願っています。「Caféここいま」は雑然とした感じ、おばあちゃんの家みたいな雰囲気があるようです。おめでたい作業所はメンバーさんの個人ケアを行う場所でもあってそれが故に、入りにくい人もいるのよね。映画を見て「来てみた」とわざわざここにきてくださる人もいるけれど、更に多様な人が集まりやすい場をと思っているんです。関西弁で言えば「スッとした感じ」の場かしらね。そんな場を、4面目として展開しようと模索している最中です。

 作業所を開いて障害福祉の活動をしてきて、他の事業所との連携をして一緒に製作物を販売していても、“いかにもその売り方”になってしまっていて。最初から価格が安かったり…。製作物だってライン作業的なものもある。「おめでたい」では、一人の人が最初から最後まで関われるようなものづくりをしています。“ハレハレハンガー”は福井さん、“マグネット”は千代子さん、“猫つぐら”は片岡さん、といったように。“ふく織り”と呼んでいる織物にしても、利用者さん自身が横糸を選べるように。

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 (猫つぐら)

 クオリティを求めると“直さなきゃ”ってなるかもしれないけど、例えば歪みがあっても、その歪みが個性として捉えられれば、商品として成り立って買ってくれる人がいる。そんな作品、製品を展示・販売できるような場を兼ねたところをと、今いろいろ考えているのね。

―そのための場所はすでに確保されているんですね。

 そうです。縁あって、地元の大工さんにも協力してもらいながら、リノベーションもすでに終えているの。地元の職人さんであれば「そろそろあそこ傷んできたんじゃない」って気づいてもらえるでしょう?

―さきほど「浅香山は魅力的なまち」だと仰っておられましたが、どこらへんをそのように感じられるのでしょう。

 下町だから面白いというのもあるんだけれど、浅香山病院は精神病の長期入院の人が多くいて。昭和二桁の時代の頃、虫歯になっても、精神を病んでいるからって診てもらえない人が多く出てしまったらしい。診てもらえないなら自分たちでその環境を整えていこうって、浅香山病院は総合病院になっていった経緯がある。そんな浅香山病院の成り立ちに私は誇りを持っているんです。
   およそ30年前の話…本人が退院の際には病院の先輩が保証人になったりしていた。浅香山病院から2キロほどの範囲に150人、200人ほどが退院してた時代。そう、ずっと前から退院者と共存していたのがこのまち。特にね、商店街と共存していたと私は思います。というのは、人は買いものをするー経済活動をするから。店の人が「あの人(入院中の患者さんを)よう知っとる」って。そこが魅力的だと思う。商店街の人にとっては「お客さん」。敷居も低かった。

 病気のことも笑い飛ばせる。「みんなしんどいんやで」って言いあえる。いろんなことが起きても「しゃーない」「おたがいさま」って言える文化。そういったものがお互いを慈しむということにつながっていくのよね。

 小川さんは浅香山のまちのことを、(精神病を抱えている人が)「排斥されない」と表現しました。「そんなまちで活動しているから」と。
そのまちや場にどんな歴史があって、どんな文化が息づいてきたのか。どんな文脈があるのか。まちを舞台に何か活動するときに、これらを知っていることは大事なことなのだなと思います。

―ミーティングを大事にしているという理由は。

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 精神の病気の人は「あなたはどうしたいの?」と他の疾患に比べ、あまり聞いてもらない病気だと思います。たとえば「あかんやろ、ビールは!」とか“こうあるべきだ”と、支援者が考える方向性を示す関わり方は、反省されている時代。ホスピタリティが高く、ケアしたいという気持ちが旺盛な人ほど(そのような関わりを)犯してしまいがちです。そこに陥らないために、ミーティングが重要なわけです。
 そもそも入院もそうだけれど「管理される」立場に置かれてきた(いる)人は、自分で考えて決める力が弱い。すぐに「どうしたらいいですか」って聞いてしまいがち。何か問題があるならば、みんなで考えていく。お互いの話を聞く。おめでたいもカフェも“みんなで働く場”。じゃあそこがどうあったらいいのか。個人としてはここで何をしていきたいのか、どうしていきたいのか。ミーティングでは、おめでたいのことを自分たちで考え、決めていくことを心がけています。

―SNSを拝見すると、利用者さんの実名が挙がっていることが多いですが、それは意図してのことなのでしょうか。

 意図しているわね。この病気の人たちはね、名前を消されていると私は考えています。写真も出せないし、Aさん、Bさんでしか登場しないのね。マスで扱うときはそれでいいかもしれないけど、個人として扱うなら名前で呼ばれないと。だって病気を扱うとは人生を扱っているということなのだから。みんな自分の名前があるのだから。
 利用者さんたちは「おめでたい職人」「つぐら職人見習い」「ぜろ店長」といった肩書をつけた名刺を持っている人が多いの。“名刺はいらない”って人がいないわね。
 病院で仕事をしてきたから思うのだけど、個人情報保護法といったものにみんなビクビクしてしまっていて名前で語れない。だけどね、真面目に真剣に聞いてくださる人に対してやそういった場では自分のことを語りたいものなのよね。聞いて嫌がられることはあまりない。みなさん語りたい。「オキナワへいこう」の上映会の時、ハレハレハンガーを作っている福井さんに舞台でしゃべってもらおうと思って聞いたの。「絶対できない」っておっしゃるかなと思ったら「できるかなぁ…」って。本人は前向きで、実際しゃべることができた。終了後「もっと面白いこと言えたのになあ」ですって。20、30年という長期入院の人も、自分のことを“隠したい”ではない。

 もしね、精神を病んでしまったらどうしたらいいかって聞くと「病気になったらおめでたいに来て、ぜろで服買ったらええねん!」てメンバーさんが言うの(笑)。関西人のノリの良さがあるのかもしれないけど、明るく語る術をもってる。理解されたいと思っていらっしゃる。

―小川さんにとって「いいまち」ってどんな場所なのでしょう。

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 つながりが生まれるまち、というのがあるけれど、路肩に本を並べたりしていると、まちの人とメンバーさんが話してる姿が見えるの。スタッフには語らず、メンバーさんに「家族に電話がつながらなくて…」なんて語っている。カフェには入らず、本だけを買いにくるおばあちゃんがいるんだけど、「もう読んだから」って返しに来る。一人でまちを歩いている人と、メンバーさんがつながっているのよね。障害のある人とひとり暮らしの人が居合わせる接点がある。人間て、明るいところに魅かれるでしょう?暗いところには寄り付かない。場の精神性が明るいところに魅かれるんじゃないかしら。ぼやきもできて、「電話がつながらない」という話を聞いてくれるところ。ええ格好も悪い恰好もできる場所というのかしらね。固い言葉で表現したら安心、安全な場所となるのでしょうけど…。

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―小川さんは病院から出たわけですが、病院はどう在るべきだとお考えですか。

 まちのなかにあることでしょうね。入院して、外出できることが担保されていたとしても、病院がまちの外にあって、送迎バスに乗らなければいけないような場所にあっては自由さに欠けるし、まちに親しむことは難しい。施設、病院のなかでしか過ごせないというのは隔絶された場にいるということ。ガンになったって抗がん剤があって、今は長期入院しないでしょう?ガンを患っていても人はまちで生活している。病院ができることの限界をはっきりさせる、認識することが必要なんじゃない?って思うわね。見えない場所、知らない場所、そういうところに排除はある。その人を知っていれば、いきなり銃で撃つなんて出来ないでしょう。戦争だって起きない。

ー場の精神性が明るいところ。
ー見えない場所、知らない場所、そういうところに排除はある。
そんな小川さんの表現に、私はとても感じるところがありました。単に場が明るいだけでは眩しくて、“入れない”ひとがいるかもしれない。だけど、場の精神性が明るいとは、そこに居る“人の気配”が消されることがないように思うし、存在そのものを受け入れてくれる場であるのだろうと想像できます。存在を意識し、背景を知ることの重要性。色んな人がいるとは、自明のことですが、私たちはつい自分を基準にしてしまいがち。想像力が足りない。
だけどそれを「空気が読めない」だとか一蹴するのではなくて、背景を想像したり、もう少し先を思ってみたりすることで、相いれない部分はあったとしても、否定せずに「そうなんだ」と頷く。そんな先に“誰も排除されない”社会があるのかなと思っています。

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(取材で訪問した日のカフェメニューは、kokoimaファームで採れた野菜を使ったカレーうどんでした) 

 各駅停車しか止まらないまち。それで良かった。特急列車についつい惹かれてしまうけど、特急に乗るとは、駅を、まちを飛ばすこと。存在を意識しないということ。

 各駅停車に乗ったから見えた景色がある。この意味を、噛みしめたい。


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