「しまで生き抜く」を支える活動 ー島だから、に甘えないー
瀬戸内海に浮かぶ小さな島にある法人のことが、私はずっと気になっていました。ネットで介護施設のことを調べていた時に偶然見つけた法人ですが、HPのデザイン性もよく更新も定期的。Facebookでも情報発信をしているなど、何やら活動も盛んな様子。島にある介護施設って「黙っていても利用者は来る」みたいなイメージもあったため、活動が盛んな理由も知りたくなりました。そんな折、プライベートでこの島に近い場所で予定が入り、アポイントを取ることにしたのです。
取材当日、広島県尾道市から因島行きのバスに乗り、終点。そこからレンタサイクルを借りて因島・家老渡港へ。渡船に乗ってわずか5分で弓削島に到着。めざすはNPO法人ふくふくの会(愛媛県越智郡上島町)です。小規模多機能型居宅介護とサービス付き高齢者向け住宅を運営しています。理事長の竹林健二さんを訪ねました。
「島で最期まで暮らしたい」
弓削島・上弓削港から650mほど海沿いの道を進んでいくと、神社が隣接した自然豊かな場所に、ふくふくの会の小規模多機能居宅介護と本社事業所があります。築50年、かつては保育所だったという木造建物。外見からして「心地良さそう!」と私の胸は弾みました。中に入ると、レトロな物が色々置かれています。雰囲気が温かい。案内された椅子に座り、さっそく竹林さんにお話しを伺います。
施設立ち上げのきっかけを聞くことから始めます。
「もともと役場に勤めていて、福祉に携わっていました。祖母と二人暮らしをしていた頃、祖母が『この島で死にたい』と言っていたことが印象的だったのですが、病院や島の外の老人ホームではなく、弓削島で最期まで暮らせる場所があればと思っていたことがきっかけです」
今や瀬戸内海の島々は橋でつながっており、車や自転車でも簡単に移動することができますが、かつては島の外へ出るには船に乗らなければならなかったのです。弓削島に隣接する因島にも老人ホームはあります。ですが、弓削島は愛媛県。因島は広島県。そう、“県外”なのです。島の外で暮らすこと、ましてや県外で暮らすことは、弓削島で生まれ育った人にとっては心理的ダメージも大きいものがあるのではないかと竹林さんは話します。
1999年、ボランティアでの会食サービスが「ふくふくの会」の始まりだといいます。
「その後、介護保険を活用してデイサービスも始めました。当時は民宿だった民家を借りていて、宿泊サービスも行っていました。写真館を営業していた父は島の人たちから信頼されていました。その息子である僕のことを“けんちゃん、けんちゃん”と呼んでくれ、利用者も増えていったのです」
島の外で仕事をしていることも多い利用者の家族は、朝は早く夜は遅い。「船に乗り遅れた」という家族からの連絡も少なくなかったそうです。そんなときは竹林理事長が利用者の自宅に泊まったり、デイサービスに宿泊してもらったり。
「宅老所のようでした」
その後、しまなみ海道の発展、経済事情などに伴い、島の人口は減少。竹林さんは、市町村合併で廃園が決まっていたという保育所を賃貸契約することにしました。
「NPO団体を通した融資をタイミングよく受けられることが決まったのです。雨漏りもひどく取壊しが前提だったのですが、最低限の改修を行って建物の雰囲気をそのまま残すことができました」
小学校や中学校など、島にあった教育施設でかつての形状を保っている建物はこの保育所を除いて今はもうありません。
「給食スタッフで働いていたという人、保育所の運動会が隣の神社で行われていたこともあり、保育園にはよく来ていたという利用者もいます。島育ちの人たちには思い出深いのがこの場所なのですね」
思い出が詰まっているこの建物を残したいという思いも“賃貸契約”を後押ししました。
次の質問へ。そう、SNSなどでの情報発信のことです。それらを見れば、地域に開いた運営、質の高いケアをしていることが自ずとわかるのです。竹林さんにはどんな考えがあるのでしょうか。
「せっかくこの仕事をするのだから、職員に幸せになってもらいたいのです。甘やかすのではなく、また、『島だから』『田舎だから』ではなく、常にアンテナを張って、より質を上げていくことに働くことの幸せがあるのではないかと考えているのです」
竹林さんは、ためらいもなくこう話しました。そして続きます。
「介護施設は最後の砦と思われがちでしょう。ニッチの隙間を埋めていく私たちの仕事です。病院や一般的な老人ホームでは受け入れられない人も利用します。ともすれば内向きになりがちなのが介護の仕事。狭まれた視野ではなく、地域へ目を向けてほしい。社会とは思うより広く、良いこと、悪いことも含めて混とんとしたものだと思うのです。多くの人が認知症にはなりたくない、老人ホームなどには入りたくないと思っている。介護事業所として、介護予防に関する活動、認知症になっても暮らしていけるまちづくり、まちおこしなど、できることがあるのではないかと思うのです」
ふくふくの会では、くもんの学習療法、認知症予防の運動プログラム「コグニサイズ」も導入しています。学習療法では全国大会にも出場し、コグニサイズでは研修参加のためにスタッフが1名愛知県に行っていると聞きました。
「良いと思うことには真面目に取り組んでいます。それがまた面白く感じられるのですよ」
SNSの投稿を積極的に行っているのは女性スタッフだそうです。
「(周りに)知ってもらいたいという思いもあるかと思いますが、他の職員も見ていますし、離れている家族が楽しみにしていることもある。発信すれば反応があるんですよね」
尊い「言葉」をひろい、集める
ふくふくの会では、利用者の発する“言葉”にも注目しているそうです。「言葉ひろい」と称し、2012年には法人で『ふく霊 言霊 しまで生き抜く、小さなつぶやき』というタイトルの記録集を出版しており、竹林さんがプレゼントしてくれました。魅力的な言霊、魅力的な写真にあふれるとても素敵な記録集です。
法人で、広報『ふくふく29』も毎月発行しており『今月のふく霊言霊』、利用者への質問やスタッフのお気に入りの場所、エッセイなど、読み応えがある出来です。
「介護予防と一緒。介護、福祉を身近に感じてもらいたいのです。現実は“ボケたくない。あんなところ(老人ホーム)に行ってはおしまい”などと言う人が多いということ。でも、そこで一生懸命働いている人たちもいるんですよね。そんな風に思ってもらいたくはないのです。介護や介護施設への心理的抵抗をなくし、介護施設を当たり前の場所に感じてもらいたい。法人理念でもありますが、島で生きようと思える地域社会にしたいのです」
竹林理事長の熱い想いを感じずにはいられません。
2014年には、本部から離れた場所にあるサービス付き高齢者向け住宅「潮騒」の運営を受託することになり、事業所が二つに増えることになりました。それまでも法人向けのSNSを活用して職員同士、情報共有をしていたといいますが、今年1月からはLINEを導入。日々の活動報告や映像を通し、情報共有に役立っているといいます。月に1度の法人研修では、担当になったスタッフが、「食事介助」「排泄」など与えられたテーマに沿った発表を行うほか、新規利用者の情報共有、業務見直しなどを行う月例ミーティングも行われます。
「資格を取りに行きたい、こんな研修に参加したいなど、自己研鑽に励むスタッフもいますが、 費用は法人負担で支援しています。若いスタッフには積極的に学んでもらいたい、シニアスタッフには働きがいを感じてもらいたい。入浴介助、排泄介助といった身体ケアはもちろん、認知症がある高齢者とコミュニケーションを図る能力など、有能でなければできないのが介護の仕事。彼らはとても貴重な存在なんですよね」
だからこそ、地域でもっと活躍してもらいたい。年を重ねて退職しても、活躍できる仕組みを作りたい。法人、事業所の都合ではなく、お互いの能力を活かし、活かされる。幸せになれる環境、関係を築くことができればいい。
そんな風に考え、着地点を探しているのだそうです。
車椅子でも船に乗る。外に出る。みんなが楽しむ。
取材が進み、私は理解を深めました。続いて、”日常“を追い始めます。
利用者に島出身者が多いのは当然のこと。取材をしていた日の10時半、建物内に「般若心経」が響きわたりました。
「みなさん般若心境を覚えていて、唱えるのが習慣づいている方が多いのです」
ふだん、神社への散歩が多いそうです。
「車椅子に乗っている人というのはどうしても世界が狭くなりがちです。少しでも広い世界をと、船を借り、島クルージングをしたり、バスで外出したりします。陽にあたる、風にあたる、植物に触るといったことこそ、『生きている感覚』だと思うのですよね。そこを大切にしたい」
施設内の照明は、朝は白っぽいもの、夕方はオレンジ色のあたたかみが感じられるものに明るさや色味を調整しているそうです。5年ほど前からはアロマディフューザーを取り入れ、朝、夕方で異なる香りを放つ機器も置かれています。
「これらは生活リズムを整えるという目的ですが、学習療法、コグニサイズでも、エビデンスを求めたいんですよね。勘や経験に頼るのではなく、エビデンスがあるケアをすることで、自分の仕事に誇りを持つことができます。それが幸せにつながるのではないかと。オムツパッドにしても、なぜそのパッドを使うのか、そこをきちんと考えると面白いのです。プロの介護スタッフとしての視点にもつながります。ミーティングなどでエビデンスを考えたり、共有したりしますが、それが当たり前になれば良いと思っています」
看取りについても、その行為が特段なものになるのではなく、“結果、看取りになった”というのがベストだと思う、と竹林さん。
「そうなってからできることなんてないんですよね。普段からできていないと意味がない」
この言葉の奥には、あるエピソードがありました。
「悪態をつく女性利用者がいて、みんな『いじわるばあさん』『くそばばあ』などと思っていたわけです。ただ、いよいよ死期が近づいてきて、スタッフがみな彼女に対して優しくなったんですね。利用者は『どうせ死ぬんじゃろ』とおっしゃった。そのとき、ハッとしたんです。何かのはずみで急に亡くなるのが高齢者。であれば、『今』を大切にしよう。普段通りのことを、きっちりやろうと」
地域に向けたお祭りやイベントも法人として行ってきました。しかし、果たして利用者が楽しめているのか。誰のために何のためにするのかを考え直したといいます。そこで、スタッフも一緒に楽しめる、内向けのイベント「春のみやごもり」「秋のふくまめ祭」を開催することになりました。
(上・みやごもりの様子)
「自分たちが歌ったり、利用者と一緒に笑ったりする、楽しい行事です」
インタビューを終え、事業所内を見学させてもらいました。保育所の特徴を活かした「職員室」などの場所を示す掲示板があります。懐かしさを思わせる電話などの小道具が置かれています。
「リアル回想法です」
庭では鶏も飼育され、犬や猫、カメもいます。畑もあります。建物をぐるっと回った先には、露天風呂も設置されていて、なんとも気持ち良さそうです。利用者がお昼を食べる時間に差し掛かっていました。外の風が感じられる場所で、利用者の方々が席についています。
「お邪魔しています」と挨拶すると「けんちゃんがお世話になっていますねぇ」と涙ぐみながら微笑んで、手をギュッと握ってくれた女性がいました。
“けんちゃん”。
それは、竹林理事長が愛されている証拠です。
取材中、何度も聞かれたのが「幸せになってもらいたい」という言葉。利用者だけでなく、スタッフもみんな。みんなに幸せになってもらいたい。そんな純粋な気持ちが、心地よい空間や環境、質の高いケア、質の高いスタッフを生み出しているのでしょう。
わたしは、とてもとても”あたたかい”心持ちで、島を後にしたのでした。
(2019年5月取材)