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JCGL−というフィールド 01

1981年、日本でコンピューターを使った商業アニメを製作すべく設立された、JCGL
ーコンピュータ・グラフィック・ラボー

現在(2019年11月)渋谷区南平台の交差点にある、ローソン前の坂を下ったところに福音協会がある

昔はこのあたり、こんもりした木が茂る、閑静な私邸等があったが今はない。

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そこの駐車ランプの上の奥に、白い二階建ての建物が今も確認できる。

そこがかつて、日本でコンピューターを使った商業アニメを製作すべく設立された、JCGLーコンピュータ・グラフィック・ラボーの始まりの場所。

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1960年代以降、「コンピュータでアニメーションの作品を作る!」ことに早々に研究&トライが始まっていた。

(1974年に制作されたカナダNFBのピーター・フォルデス(Peter Foldes)監督の【ハンガー/hunger/La faim】(11分)は、オタワ大学で研究されていたシステムで、XYプロッターにコンピュータによって中割り(inbetween)された画を出力したものを光学処理してアニメーション化した作品等。)

1970年代末、次第に実用化しつつある世界のコンピュータ・アニメーション/CGの状況を見て、日本でもコンピュータを用いて線画の中割りや彩色、背景画等の作画およびデジタル撮影台までを一挙にアニメ制作に活用することはできないか?と考える人たちも出てきた。

アニメ制作会社「エムケイ」の金子満氏は、東京工業大学の安居院・中嶋研究室と共同でデジタル2Dアニメーションの研究開発を共同で行なっていた。

いろいろな足並みがそろってきたタイミングで、当時考えられる最善の方法を結集して、コンピューターによる商業アニメを制作するプロダクションを造り上げる決断をした。その目的は高品質なTVアニメーションを効率的に創り上げるシステムを成立させることである。

1981年、東工大と共同開発していた技術、それらにニューヨーク工科大(NYIT)のCGLが開発した技術も導入し設立されたのが「JCGL/コンピュータグラフィック・ラボ」である。

芸術系卒業の若者たちを中心に集めトレーニングを始めた。アニメーションに関しては金子満氏のアニメ制作プロダクション、ビジュアル80関修一氏を始め、背景、原動画のベテランがJCGL社内にビジュアル80の拠点を設け、若者たちの教育支援、共に制作する準備を整えていった。

だが、前例なき言わばフロンティア、誰も見たことも、経験したこともない道なき未踏の地が拡がっていた。そう誰もCGで商業シリーズアニメーションを作る経験、指導するノウハウを持つ者は、まだどこにもいなかったのだ。

(世間一般にはまだCGという言葉すら浸透してはいなかった。)

そして、それが稼働し始めたのが1982年。

創意と工夫と眠れない夜の始まり。    

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                      --to the next    JCGL−というフィールド 02 

(現在(2021年)渋谷区南平台の交差点にある、ローソン前の坂を下ったところの現在の状況ストリートヴュー)



JCGL DEMO REEL 1983 


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