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陰陽師の祖 イイ・ヤシロ・チ㉟

播磨旅レポート第二弾。


豆菜ごはんあーていさんののランチ

とても素敵なランチタイムを過ごせたカフェを退出する際に、オーナーの方から次に何処に向かわれるのかと尋ねられ、廣峯神社ですと答えると、同行者が頂いたコメントは、「その神社は陰陽師のお社で、その近くに住む御師が、今でも陰陽道の暦を売ってるのよ。

陰陽師?御師?暦
思わぬ展開に、頭の中はクエスチョンだらけになった。
陰陽師というワードはずっと以前から見知っているけれど、そのお社と言えば京都の「晴明神社」や、大阪の「安倍晴明神社」と直結するわたくし。


わたくしは、そのどちらも参拝したことがある。街中に在って安倍晴明に所縁がある両社は、陰陽師ブームに乗って大盛況?であった。不思議な世界観に魅かれる老若男女がひっきりなしに参拝している。様々な授与品も楽しく、ちょっとしたテーマパークの様相だった。安倍晴明にまつわる物語は、サイキックが大活躍するSFのようでワクワク感が楽しい。わたくしも岡野玲子氏の「陰陽師」のファンの一人である。ストーリーの中で大きな出来事の舞台となった丹生都比売神社で作者にお逢いした時の感動が、今でも胸にありありと蘇ってくる。美しく優しく包み込むような雰囲気が、地母神のイメージにも重なる素敵な方だった。

さて、本題の廣峯神社である。播磨の地のスサノオ、牛頭天皇の総社として今回のラインナップに並べたお社に関して、陰陽道などの情報は寝耳に水である。まるで直前強制予習が入ったかのような展開だ。「陰陽師ねえ。」と独り言ちると、車内のナビゲート担当同行者が「陰陽師と言えば、播磨出身の蘆屋道満さんは、実力あって素晴らしい人柄だったという話を聴いたことがある。」などと、追い打ちをかけるように教えてくれる。(どうしても陰陽道を避けて通れないのだな、と観念した)

藤原氏の勢力伸長に与した、いわゆる勝ち組な晴明に対して、様々な創作物で道満は敵役扱いをされている。が、本来この人の実績や実力は相当なものでありながら権力におもねらずに生きた、などとイキナリ聞いてしまうとは、面くらう。「あなたは、そんなことを御存じの方でしたか⁉」最近知り合ったばかりの彼女の深い一面に感じ入った。

今、蘆屋道満で検索すると、↓のような情報を得ることができた。確かに「民を助けるよい人柄であり知恵者だった」説があり、たぶん事実なのだろうと素直に受け止められる内容だ。

道中に、また別の同行者は、「アシアトウアン」という言葉は、カタカムナのウタヒに出てくる言葉でもある、と語り始めた。超古代の世界について門外漢のわたくしには、到底理解も及ばないけれど、カシラ(指導者)の意味との関連を手短に解説されて、またまた同行メンバーの実力を再認識したことだ。この4人が共に播磨を旅する意味が少しずつあらわになっていくようでドキドキしてくる。

そうこうするうちに、予想よりもずっと高く、山道をぐんぐんと車は登っていく。ドライバー役を買って出てくれたメンバーにも感謝である。わたくしは専ら運んでもらう他なく、こうして連れていってもらっての山中のイヤシロチ訪問なのだ。(一人旅だと到着するだけでわたくしはヘトヘトになり、参拝どころではなくなるのが目に見えている。)

眺望が開けてきたと感じられた途端に、立派な石鳥居の前に到着。山上の廣峯神社は大規模で、歴史も深いお社であった。ここで↓陰陽道、御師、暦や目薬の頒布についても知られて、大変にありがたいブログが見つかった。確かに境内図には、目薬の木も見られた。

車を降りて山道をつづら折りに歩みを進めて着いた境内前の石段の上から振り返れば、眼下に播磨灘が穏やかに広がり、ちょうど一直線上にきれいな形の小島が見下ろせた。それは、風土記によるとかつて神島とも呼ばれた説もある上島(かみしま)の意味深な島影だった。

そのまま拝殿に赴いて、正殿のスサノオとイソタケ、左殿のクシイナダヒメとその父母神、次に右殿の国津神諸神の順にご挨拶をさせていただく。全体に、厳かなどっしりとした重量感がある拝殿。堂々たる総社の風格と言ったところだ。

クシイナダヒメはハリサイジョと

次に、本殿裏にまわって見ると、「お願いをささやく穴」が並ぶ九星めぐりや、甲羅を背負ったカワイイ顔の玄武?または贔屓(ひいき)が屋根に載ったお社が並んでいる。これまで見知ったものとは異なるアレコレが醸し出す不思議が満ちる空間だった。暦の頒布の話から展開して、日本独自の陰陽道の暦の基礎となる九星気学なるものについて、少し調べてみた。↓これも奥が深そうな世界だ。

実は、到着早々わたくしのセンサーは、本殿裏手の道の先にある白幣山の奥宮に反応していた。説明書きを読むと、当社を開いたとされる陰陽道の祖、吉備真備(キビノマキビ、暗号のような響き)と、神の降臨地、スサノオの荒魂(ご神威の力強く顕現する側面)がお祀りされているとか。みんなでワイワイと賑やかに向かうので気楽に進めるが、きっと一人では無理だわ、と思う淋しい山道が延びていた。

これぞ降臨地の聖処

頼もしいメンバーのおかげで無事到着してみると、吉備社、降臨地磐座、荒神社はそれぞれに全く異なるエネルギーを放って並んでいた。手前の荒神社はくっきりと、奥の吉備社はなにかしらマジカルな、真ん中の磐座はまっすぐ天につながるイメージだ。わたくしたちも、四者四様の参拝スタイルで、それぞれがゆったりと聖処に向き合った。

わたくしにとっては、此処は陰陽師の祖に初めて対面したイヤシロチである。スサノオの荒魂を感応されて、山上に祀った吉備真備の思いに精一杯想像をはたらかせてみた。星神でもあり、山上に降り立った神々しい存在を崇敬することでその御力を恃み、この地域や国を災厄から護ろうと願ったのだろうか?先ほどの九星神と、護身法である字を多用したと言われる道満とのつながりを感じる。それならば、彼の陰陽道は攻撃ではなく、防御のための術であったのではないか。そんなことをつらつらと思ったことだ。ふと星神の硬質で透明な美しさをイメージする雅楽を思い出したので、↓に貼っておく。

吉備真備は、遣唐使として留学し、雅楽や暦などを日本に持ち帰ったとされる。その中に日本の陰陽道の元となる知識も多かったようだ。奥宮では、学問に優れた吉備真備にあやかるためか、学業成就の社として祀られていた。
超エリートの真備に関わる逸話も多いようである。奈良にはそのいくつかの痕跡が遺されているとする記事も見つけた。↓


陰陽道にまつわる伝説は、魔術絡みの不思議話に展開しがちだ。けれども、事実は別のところにあるかもしれず、素直な目で、仲間と力を合わせて向かってホントウノコトを見つけたいと願う面白おかしい脚色に惑わされず、ものごとそのものにニュートラルに直面しなければと思ったことだ。それは昨今の様々なおかしさを纏う報道に対する際の、自らの在り方に必要なリテラシーに通じると、わたくしは考える。

こうして、三つ目のイヤシロチも無事に参拝完了となった。メンバーそれぞれの持ち味と課題を持ち寄れば、学びと気づきはさらに豊かになる。わたくしにとって、同行の方々とのイヤシロチ巡りは大変にありがたい。振り返ると、誰一人として欠けてはならないパーフェクトメンバーなのだった。ご縁のありがたみを心底感じたことだ。

最後に残った、キーワード「御師」。それについては、第三弾に続く。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。

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