第二十一話 『缶詰工場』
缶詰工場が廃業になったのは、人肉缶詰を作っていたからだ。
ありがちな都市伝説だが、まさか自分たちの住む場所で聞くことになるとは思わなかった。
それは康平が聞いてきた話で、放課後いつものように机の上に広げた地図に付箋を貼った。
特に付箋の貼られていなかった地域の噂で、黄色の付箋が目立つ。
全員そんな場所に廃工場があったことは知らず、思ったほど遠くなかっため、次の休みに行ってみようということになった。
廃工場で何かに出会ったような話は聞かなかったし、そういうことがあったのだとされる場所に行くこと自体がワクワクするということで、昼間に行くことになった。
廃工場には使われていた機械類などが置いたままになっているらしく、怪我をしないようにと全員が長袖長ズボンにスニーカーという格好で集合した。
工場の入り口の門は錆びて外れ、地面に転がっている。
申し訳程度にかかった鎖も錆びていて、簡単に跨げてしまった。
門を入ったところに警備員詰所のような小さな建物があって、受付らしきガラス窓は割れている。
そこからさらに進むと、工場の入り口が見えた。入り口の扉は壊れているのか、壊されているのか、とにかく開いた状態になっていて、薄暗い室内が少し見えた。
まだ十二時を少し過ぎたくらいで太陽も降り注いでいるというのに、工場の中は冷え切っている。
砂利を踏む音が響く中、康平が懐中電灯で周囲を照らし、みんな固まって先へと進んだ。
工場内はいくつかの区画に分かれているようで、ベルトコンベアやどう使うのかも分からぬ大きな機械がずらりと並んでいる部屋もあった。
まだ何も詰められていない缶が山積みになっている部屋や、出荷されなかった段ボールが大量に置かれている部屋も。
段ボールの中には、以前に来た人間が開けたのか、封が切られているものもあり、そこから缶詰がいくつも覗いていた。
缶詰のラベルを確認してみるが、そこにはもちろん普通のことしか書かれていない。
スパムだったり、角煮だったり、ベーコンだったり、いろいろな加工食品が缶詰にされているらしい。
「当たり前だけど、普通だな」
「そうだね」
一つの缶詰をひょいと取り出してしげしげと眺めてみても、別段変わったところはない。
まだ足を踏み入れていない場所に向かうべく、康平たちは歩いた。
正面入り口から見て、缶詰の置かれていた部屋とは逆サイドに肉を保存しておく部屋があった。
今は何もなく、ただ天井に走るレールに、大きなかぎ針のような引っ掛ける金具がいくつも付いているだけ。
冷凍室であったであろうそこは、もはやその機能を失っている。
その先には巨大な解体場があった。
大きなのこぎりの刃のようなものが付いた機械が並んでいて、その部屋と繋がって調理場がある。
調理場の先にはまた大きな機械の並ぶ部屋があって、先ほど見た大きな機械のある部屋とどうやら繋がっているらしいことが分かった。
コの字型で作業の順番の通りに部屋が繋がっているらしい。
全ての部屋を一通り回ったが、特に変わったことは起きなかった。
人肉が扱われていたような痕跡もなく、ただの噂だったのかとがっかりしていた時、隣の調理場からカツーンと音が聞こえてきた。
「……聞こえた?」
「聞こえました」
「聞こえた」
康平たちは顔を見合わせ、息を潜めながら調理場へと続く扉の隙間を覗いた。
そこには、何もいなかった。
正確には、怜二にしか見えなかった。
作業員なのだろう一人の男性が、調理台に乗せられた肉の塊を前にして泣いている。
茜にはなんとなく何かがいるような気配が感じられたものの、影としてすら認識できなかった。
泣いている作業員の男に近付いてきたもう一人の男は、手に持った警棒のような物を振り上げる。
棒は作業員の肩の辺りに思い切り叩きつけられ、作業員が苦悶に喘いだ。
茜は、暴力を振るった方の男は影として認識できたらしい。そして和斗の左腕も、その男に反応していた。
「やべぇ、イテェ」
「あのね、影が見える。なんか分かんないけど、すごく怒ってるみたい……」
康平たちはしばらく様子を伺った後、静かに調理場とは逆の扉へと向かった。
しかし扉は開かず、押しても引いてもビクともしない。
「なんでだよ!」
鍵穴も、鍵もどこにもない。
何の変哲もない扉のはずなのに、開かなかった。
仕方なく調理場の方へ戻り、影が調理場からいなくなった瞬間を見計らって移動した。
調理場では相変わらず男が泣きながら肉を一口サイズに切り分けている。やけに血の滴る肉だった。
解体場に影はいた。
茜の目には、機械の前で留まっている影に見えているのだろうそれは、大きな肉を肉片に解体していた。
巨大な刃の付いた機械の台上に乗せられているのは、どうみても人間だった。
皮の剥ぎ取られた、人間。
怜二は吐き気を催しながらも、必死に耐えて三人に付いていった。
男は顔に目出し帽を被っていて、どういう顔をしているのかは見えない。なるべくそちらを見ないように歩いた。
和斗の腕がズキズキと痛む。
もうすぐ冷凍室に辿り着くと思った時、足元に這っていた太いケーブルに茜が躓いた。
「わっ!」
康平が支えようとしたが間に合わず、茜が転ぶ。
その勢いで散らばっていたゴミが音を立てて転がっていった。
瞬間、和斗の左腕が強烈に痛んだ。
「ぐぅっ……!」
「ごめんやばい逃げなきゃ!」
棒を構えた男が迫る中、痛みに耐えて素早く立ち上がった茜と康平たちは、冷凍室に繋がる扉に体当たりするように転がり込んだ。
「は……?」
康平たちは絶句した。
康平と和斗にも見えていた。
何もなかったはずの冷凍室が、人の死体で溢れていた。
吊り下げられた人体はどれもが皮を剥がれていて、むき出しの筋肉繊維がぬらぬらと赤黒く光っている。
「う、わ」
「うわぁぁぁぁ!」
必死になって逃げる。
不安定に揺れる死体をかき分けながら、必死で前に進んだ。
男の姿が見えているのは茜と怜二だけだったのだが、康平たちにも釣られた死体が揺れることで何かが近付いて来ていることは分かった。
「助けてください! 助けて!」
怜二の叫びを聞き、私は彼らを追いかける男に細工をした。
男の五感から康平たちの情報を隠す。
康平たちの姿は見えず、立てた音も聞こえない。
匂いも感じなければ、触れても触れたと感じないように。
突然目の前から康平たちの姿が消え、何の音も聞こえなくなったことに男は混乱した。
けれど、見られたからには逃すわけにはいかない。子供だったが、少しは足しになるだろう。
むしろ子供の肉として付加価値が付くかもしれない。
男は舌なめずりをしながら冷凍室を歩く。まずは自分が味見をしてみても、きっと文句は言われないだろう。
「クヒ、クヒヒヒヒヒッ」
冷凍室には豚や牛もぶら下がっていたが、もはや康平たちにはどの死体も同じだった。
皮を剥がれて吊るされたそれらは、足が竦んでしまうほどリアルだった。
「あいつ、おれたちのこと見えてないのかも」
和斗が声を潜めてそう呟き、他の三人が頷く。
怜二は、私がしたのはそれだけではないだろうと思っているようだったが、何も言わなかった。
すぐさま男をどうにかしてしまわなかったことに、不満を抱いているような視線を寄越すだけ。
私にそんな視線を向けるのは怜二だけだ。
私はとても愉快な気持ちになった。
ホラー映画でよく見る光景を、目の前で見られたこともなかなかに面白い。
あの男が今まで何をしていたのかはしらないが、力を付けたのならせいぜい頑張ってほしいと思う。
県外に噂を広めるのを手伝ってもいいとさえ思った。
肉の影に隠れながら何とかロッカールームを抜け、正面入り口まで辿り着いた。
扉が直って閉まっていたらどうしようかと思っていた四人だったが、扉は壊れたままだった。
敷地外まで逃げれば大丈夫だろうと、門の先の歩道まで転がるように駆けていく。
喉がカラカラで、荒く呼吸をする度に痛んだ。
口の中いっぱいに鉄の味が広がり、酸素不足で頭が揺れる。 目の前の景色が点滅するみたいで気持ち悪かった。
「だ、だい、じょぶか……? もう、腕は、痛くない」
呼吸を整え、廃工場の方を見る。
太陽に照らされた廃工場は、初めに見た時と変わらず静かだった。
「うううううう死体、死体だった、よ、ね、あれ……うおぇぇぇ……っ」
地面に座り込んだ康平が、涙を流しながらえずく。
廃工場から何も出てこないことを確認し、康平たちは逃げるように家に帰った。
幽霊を見ることはできなかったものの、あまりにもリアルな人間の死体を目の当たりにして、康平と和斗は三日ほど熱を出して寝込んだ。
熱が下がった後も悪夢にうなされることが多く、やっとまともに過ごせるようになるまでに一週間以上もかかったのだった。
何とか普通に笑って学校に通えるようになっただけで、ふとした瞬間にあの光景がフラッシュバックしては身体を震わせる二人だった。
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