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『ドン・キホーテ』序文をスペイン語で読んだ、ある暇な読者のコメント

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 1月24日は私にとってとてもドン・キホーテ的な1日となった。とはいえ、私がかの名高い騎士のように冒険したわけではない。朝、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の序文をスペイン語で読んだ。結果、私は「ドン・キホーテの継父」セルバンテスに呆れ果てた。夜、この日に我が国で公開されたばかりの映画を観に行った。『テリー・ギリアムのドン・キホーテ(原題「The Man Who Killed Don Quixoteドン・キホーテを殺した男」)』である。私はこの映画にいたく感動した。同じ日に抱いたセルバンテスへの唖然とした印象も忘れてしまうほどだった。

 私は今年『ドン・キホーテ』の原文の読書を終えたい。昨年からKindle版で読み始めたが、原文は、中級以上のスペイン語レベルの学習者なら難しすぎるということはないように思える(しかしこれは、大学でスペイン文学の講義を取ったことのない、いち外国人読者が抱いた単純な印象である)。読んでいる文章が実は本当のオリジナルの原文ではなく、もしかしたら黄金時代のスペイン語から現代スペイン語にかなり翻訳されているのかもしれないが、残念ながらその点はちょっとわからない。とにかく、辞書と邦訳が一版でも手元にあれば挑戦できる。

 この日は初めて序文を読んだ。最初のフレーズは、普通なら「親愛なる読者へ」となるところが「暇な読者へ」と書かれていた。……それって私のこと? 確かに時間があるから読んではいるけれど……。いきなりセルバンテスに喧嘩を売られたような気分になった。同時に思った、この序文は普通ではないと。実際その通りだった。一通り読み終わって、わかった、まさしく騎士道小説のパロディにふさわしい序文であった。

 セルバンテスの文の調子は非常にコミカルだった。彼は天才であると同時に稀代の冗談屋なのだ。例えばこんな調子である:「玉石を問わず他の書物は、アリストテレス、プラトン、そして他のあらゆる哲学者の烏合の衆の格言に満ち溢れている。読者はそれに感嘆して、作者はなんて博学で識者で雄弁なんだろうと褒めそやしたりなどするのだろう……」読みながら私は、著者はとにかく彼の親愛なる暇な読者を煽り立てる天才だと思った。でも残念なことに、この面白い発見はスペイン語の原文を読まない人にはうまく伝えることができない。なぜかって、スペイン語と日本語の文のリズムが全く違うからである。加えて、少なくとも私にとっては、翻訳した文にはすでにある種の箔がついているからである。つまり専門家が難しい外国語の書物を時間をかけて入念に訳して世に出した、という、その偉業への称賛である。この称賛は、セルバンテスは天才的な煽り屋であるという、原文から素直に得られる印象を覆い隠してしまう。内容がしょうもなくても、なんだかすごく立派な文章に見えてしまうのである。それがスペイン語で読むと、「めちゃくちゃ煽るなこの人」という素朴な感想にまで落ちる。何も翻訳の存在を否定するわけではないが、結局は原文を読まないと発見できないことが大いにあるということを今回実感したのである。冒頭から息つく暇もないほど煽り根性に満ちた愉快な序文だった(面倒なのでこれ以上の引用はしない)。

 序文の後に続く、本編前の一連の詩も破壊力が抜群だった。最後のオチをスペイン語で読んだ時、素晴らしいギャグセンスに笑いを禁じ得なかった。本編が始まる前に、騎士道小説のパロディとして読者が大いに楽しめるお膳立てがしっかりとなされていて、著者のエンターテイメントに関する天賦の才に脱帽&脱力してしまった。恐るべし。

 その一方で、この日の夜に観た映画は私の胸を打った。セルバンテスの息子の玄孫の冒険譚と言ってもいいかもしれない。しかし「継父」の上述の説明に疲れたので、この映画についてもうこれ以上何か書く余力は残っていない。

※ブログにてスペイン語・日本語の対訳で掲載しています(ネイティブチェックはされていない悪文ですので、そんな人はいないと思いますが、参考にはしないでください):Un comentario de una desocupada lectora

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