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触媒の匠、新作は薬の原料をつかむ“投げ縄”!

医薬品開発を加速するために、いかに新しい化学反応を見つけ、薬の候補を増やせるかが求められています。では、原子レベルの化学反応をコントロールするには、どうすればよいでしょう。石原一彰いしはらかずあきさん(工学研究科 教授)によれば、大切なのは「分子構造を五感で感じる」こと。

石原一彰いしはらかずあきさん(工学研究科 教授)

最近開発した触媒は、優れた医薬品になる可能性を秘めた「鏡合わせ」の分子を合成できる、と言います。新作と、それを作るワザについて教えてもらいました。

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── 鏡合わせの分子というのは…?

実は、分子によっては左右があるんです。たとえば、手のひら側に滑り止めのゴムが付いた左右の軍手は、互いに対称ですが、同じ形ではありません。私たち生物の体は左右の異なる片方のタンパク質や糖などからできており、物質を体外から取り込む際にも、その左右を区別しています。

“鏡合わせ”となっている“左右”の分子。鎮痛消炎薬のイブプロフェンは効果のことなる左右の分子が等量混ざった状態で売られている。体内では、酵素によって効果が弱い方の分子ももう一方の分子に変換される。

── 左右の分子は、ちょうど鏡の外と、鏡の中のような関係なんですね。それを作り分けるのって、医薬品合成に大切なんですか?

左手では右手用の軍手やハサミは使いにくいですよね。医薬品も左右が違うと、目当てのタンパク質にくっつきにくくなったり、別のタンパク質にくっついたりして、効果の低下や、副作用につながることもあるんです。過去に、片方の分子が生む副作用で販売停止になった薬もあります。

鎮痛消炎薬で有名なアスピリンのように、左右の区別のないシンプルで小さな化合物はつくりやすい。ですが、左右のある複雑な化合物なら、人間の体によりフィットさせられる可能性があります。少量で効果的に働き、副作用も抑えられる薬になる見込みがあるんです。

なので、左右のあるようなもっと精密で大きなタンパク質や核酸の医薬品を開拓していこうというのが、今の医薬品開発のトレンドです。こうした分子は、現在では生物や、生物がつくる酵素に頼って合成しています。

── 酵素といえば、ご飯を消化したり、アルコールを分解したりするものを思い浮かべます。それを、薬を合成するための触媒(反応の材料をつかまえて、反応を起こしやすくする化合物)として使うんですね。それではまずいのでしょうか?

酵素がはたらく体内では他にも様々な物質があるので、エラーが起こらないよう反応の材料(基質)を見分ける力(基質特異性)がすごい。ですが、進化の中で別の用途で使われてきたものを利用しているだけですから、できる化合物の左右が生物基準とか、酵素自体が大きすぎて製造コストがかかるとか、いろんな制約があります。医薬品合成のためには本来、目的に沿って触媒をデザインする必要があるんです。

── 最近の研究で開発した触媒は、左右の化合物を作り分けられると聞きました。ひみつはなんですか?

既にあった触媒の一部に炭素20個からできた輪っかをつけて、基質をつかまえられるようにしました。基質の構造の違いを見分ける力は、酵素に迫るほど高くなりました。この輪っかはねじれるように細工してあるので、ねじれの方向を変えれば左右の化合物を作り分けられる、というわけです。さらに、輪っかのサイズを狭めれば、小さな基質向けにも改造できます。

“投げ縄”触媒が基質の一部を包み込んでいる。

── まるで「投げ縄」です。目に見えない分子の世界が、そんなシンプルな原理で制御できるとは!この触媒はどのように役立っていきますか?

今回の触媒は、左右の区別が難しいケトンという化合物も輪っかで認識できるので、いろいろな化合物への出発点となるアルコール(光学活性第3級アルコール)を作れます。実際、オキシブチニンという頻尿治療薬の完成一歩手前の化合物を作ることができました。そこから薬までを合成する方法はすでにあるので、理論上は最後まで薬の合成ができる、と言えます。加えて左右を作り分けられるので、製薬会社が薬の候補として試せる化合物をたくさん増やすことができるんですね。

── すごく画期的に聞こえます。

触媒による左右の分子の作り分け自体は、2001年にノーベル化学賞を受賞した野依良治先生(国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長、名古屋大学特別教授)たちが成功して以降、たくさんの研究者が医薬品や香料の合成などに応用してきています。しかし、基礎研究者にとっては別の意義もあるんですよ。触媒で高い選択性(基質の構造を見分ける力)を出すことで、その反応のしくみを初めて完璧に理解できるんです。その過程で、想像していたしくみが間違っていた、というような発見がいっぱいあるわけです。

── 高い性能だけが目的なのではなく、それが新たな反応メカニズムの発見につながる、というのが大切なんですね。そもそもなぜ輪っかを作ろうと?

正直に言うと、「輪っかならいい触媒になるかな」と作ってから使い道に困ったんですよ(笑)。以前開発したU字型の触媒は、「反応中に形を変える基質に合わせて、ぐにゃぐにゃと動けるのがよい」と話してきました。でも「それってほんとかな、輪っかならその中でしっかり分子全体をつかまえられるのでは」くらいの気持ちで作ってみたんです。その後、波多野学さん(神戸薬科大学 教授)や山下賢二さん(静岡県立大学 助教)といった、当時の研究室メンバーたちが協力してくれて、今回の結果にこぎつけました。

── 確信はなくても作ってみる。そこから研究が発展するんですね。おや、壁にかかっているのは、もしかして…?

まさに今回の触媒の模型です。こうやって模型をいじると、ここは結合が硬いな、とか捻じれてるな、とか、なんとなくわかります。コンピューターグラフィックスでもいいのですが、私は手で触って五感で感じるのが大切だと思っています。それが、新たな触媒のアイデアに結びつくこともあります。

── 豊富な経験と、研ぎ澄まされた感性の融合が、“投げ縄”触媒の原点だったんですね。これからも、あっと驚く独創的な触媒を生み出し続けてください!

インタビュー・文:飯田綱規(名古屋大学 サイエンスコミュニケーター)

◯関連リンク

  • プレスリリース(2023/11/8)「基質包接型キラル大環状ジリチウム(I)塩触媒の開発~高付加価値化合物の迅速合成で医薬品探索研究を切り拓く~」

  • 論文(2023/11/4)アメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society」に掲載、論文画像がジャーナルの表紙を飾りました↓

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