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アトツギ意欲は皆無からスタート、やんちゃだった青年がアトツギとしての覚悟を持ったワケとは?

人間は1日の約3分の1の時間を睡眠に費やすという。人生80年とすれば、25年以上眠る計算だ。ならば、「できるだけその時間を有意義に過ごしたい」と思う人も多い。そうした人々の欲求に愚直に応え続ける企業が 北名古屋市にある株式会社 Kitamura Japan、「まくらのキタムラ」として知られる会社だ。
約100年の歴史を持ち、オリジナルブランド「ジムナスト」シリーズでグッドデザイン賞も受賞している。

4代目の北村圭介さんは「大学卒業間際、やりたい仕事がなくて、親に甘えて入社を許してもらった」という。アトツギ意欲は微塵もなく、「入社後も志なんて全くなかったです」と振り返る。なんとなく実家で働き始めた青年は、程なくして経営危機に直面し、家業存続のために踏ん張り、30歳で社長に就任。やがて世界の舞台に飛び出した。転換点はいつだったのか?北村圭介さんにお話を伺った。

やりたい仕事がなくて実家に就職。アトツギ意欲は皆無

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- 家業を継ぐまでのことを教えてください。

北村:体育の先生になろうと思って大学に入ったんです。でも、留学先から帰ってきて教育実習に行って、先生をやってみて満足してしまって。「先生じゃないな」って(笑)。

- 北村さんは、元々継ぐ気なかったんですよね?三男で。「自分じゃないよな」みたいな気持ちでした?

北村:そうですね。入社前、工場に来たのも数えるほど。高校生のときにアルバイトでそば殻枕の作業に来たことがあります。

大学4年の2月に「会社に入れてくれ」と親父に言ったら、「いいけど、お前が先に入っても後から兄貴が入ってきたら兄貴が社長だ」と言われて。社長になるつもりなんて全然なかったから「それでいいです」と。

就職活動も一切やっていないし、だから半分甘えっていうか、「いいかここで」みたいな感じですよね。気持ち的には。

- 北村さんに入社を許したそのとき、お父さんは実は廃業しようとも思っていたんですよね?

北村:そうだったみたいですね。

うちは創業が1923年で、元々生地の問屋から始まって、時代の流れに合わせて布団カバーとか枕カバーを下請けで生産をしていました。50年ぐらい前から枕を作るようになって。

ずっとメーカーの下請けの仕事をやってきたんですが、そのメーカーが海外で生産を始めて、我々の仕事量がどんどん減ってしまったんです。自分たちで小売りをやったこともありませんでしたが、お客様に近いところで何かしなければ、と思っていた時に枕専業にシフトしていった感じですね。

僕が入社したタイミングは業界もうちも厳しい時期で。借金もたくさんあったし、息子に入社されると困る状況だったらしく、会社は畳むつもりだったと。ところが僕が「入る」と言ったもんで、「しょうがねぇから続けるか」という感じだったらしいです。平成15、16年ぐらいの話ですね。


業績は右肩下がり。自分の無力さを痛感した20代でスイッチが入ったワケ

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- 入社当時の会社の業績は?

北村:悪かったでしょうね。社内の雰囲気はまあいいもんじゃなかった。親父と、叔父が会社にいて、入った頃は「3人で何とかしようね」みたいな話だったんだけど、段々兄弟関係が悪くなってきて…。

僕自身は、入社後も会社をどうしたいとかいう志はなかったですね。「出張に行くのが自分の仕事だ!」みたいなノリで、スーツ着て新幹線に乗って。「仕事やってる感じあるなあ」みたいな。全然ダメダメでした(笑)。

そんな中でも突破口見つけようと新規事業にも取り組んでいたんですが……継続的な需要が見込めず、売上もなかなか伸びなくて。社員も減らしましたし。

今、うちの会社の隣はマンションなんです。昔はそこも全部うちの土地で。借金返すために半分売って、今は借地に社屋が建ってます。実家も壊してマンションにして。明るい話題はなかったですね。

- 20代での資産整理に直面する経験は、普通はない経験ですよね?

北村:そうですね。結構つらかったですね。僕が子どもの頃、親父はゴルフが大好きで、休みの日にはゴルフばっかり行ってたんです。経営が厳しくなって、大好きなゴルフの会員権さえも売らざるを得ない親父の姿は、なんかちょっと寂しかった。実家の取り壊しも、親父は相当つらかったと思います。

- 当時、トンネルの先は見えてました?

北村:見えてなかったですね。「とにかく僕がなんとかしないと」という気持ちが強くて、「自分がなんとかする」と弁護士に言ったんですよ。そしたら「そんなに無理しなくても、君は若いからまだまだやれそうだから」と諦めることを諭されて。

その当時、僕は27、28歳だったんで「まだ未来も選択肢もある」と諭してくれたんでしょうけど、それに食ってかかったりしてましたね……。

結局整理することになりましたけど、今思えば、それを拒み続けていたことが親父を苦しめていたのかもしれません。自分の無力さをすごく感じた経験でした。悔しかったですね。

会社が苦境にあったとき、20代の北村さんには人生の選択がたくさんあった。ヤンチャだった北村青年はどこでアトツギとしてのスイッチが入ったのでしょうか?「もっとやれるかも」と思えたのはなぜですか?

北村:「もっと自分を試したい」というのはありましたね。どこまで行けるのか、可能性を試したかった。悔しい思いもしてきたし。

枕は工夫すれば色んな付加価値を付けられるし、生地一反からいくつも取れる。リスクは低く、単価は高いのでまだチャンスがある分野だなって。

僕は小売りをやったり、ECをやったり、百貨店で販売したりの改革をやってきました。父から今までのお客さんを紹介してもらわずに、自分で販路を開拓して。諦めずに続けてよかった。


外部の人にも支えられた手探りの自社ブランドづくり

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-今は自社ブランドをされていますよね? 1世紀前から続いてきた会社を受け継いで、自社ブランド展開に踏み切ってきた背景は?

北村:事業に取り組むうちに「歴史があるって、すごく価値があることだ」と年々分かってきました。スタートアップの人たちが絶対追いつけないアドバンテージを持ってる。それを使わない手はない。それをベースにブランディングしようとしてます。「日本でものづくりをしてる」「長くやってる」「枕専業」。キーワード的には面白い。睡眠は三大欲求の1つだし。

それに、自社製品をおしゃれなECサイトに取り扱ってもらいたかった。それには見せ方が大事だと思ってサイトも販促物も工夫を凝らしました。

同級生に依頼してるんですが、すごくセンスよく作ってくれるんです。彼らとは気兼ねなく話せるので進めやすいですね。

- アトツギって同世代の仲間が社内にいないことが多い。採用も難しい。気の合う仲間を外につくるのはいいですね。

北村:そうですね。ものづくりのNPOをやっていて、経済団体にも所属してます。そこでの出会いに恵まれました。一方で、3〜4年前、他で営業をやってた若い子に入ってもらいました。1年間毎月飲んで口説きましたよ。今は彼が番頭みたいな存在で、頼りにしています。

この枕があるから出会えた人もたくさんいるし、すごく感謝していますね。

- 情報発信を始めて、手応えはありましたか?

北村:はじめは売り方が分からなくて全然売れなくて……当時マーケティングの知識は全然なかったんですけど、周囲の人から少しずつ教えてもらいながら形にしていきました。

おしゃれなインテリアショップをやってる人に自社製品を見てもらうと、ありがたいことに、「このラインがちょっとダサい」とか「もっとこんなふうにした方がいい」「値段はこれぐらいが売り頃」とか教えてくれるんですよ。

主力の自社ブランド枕「ジムナスト」は2008年にできてたんですが、2011年に「ジムナストプラス」でグッドデザイン賞をいただいたのを機に少しずつ売れ始めましたね。4回目の挑戦でしたけど、第三者から自分たちの商品を評価してもらえて自信が付いた経験です。

- 第三者の評価も得られて、自社製品が売り上げの柱になっていき始めたのはどれぐらいから?

北村:発売から3年ぐらい経った頃、「月に10個売れた」「50個も売れた。よかったね」みたいなことを言ってたんですけど、今は月に1000個……

- え!そんなに!

北村:ええ。売れるときだと2000個いきます。メディアに出てステージが変わりました。グッドデザイン賞受賞は大きかったですね。

- 発信がすごくよかったんですね。自分が前に出て。

北村:ハハハ。そう言ってもらえるとありがたい。うれしいです。

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- 私は北村さんのお顔を思い出すときに、もう枕がサブリミナル的にセットで出てきますよ。それぐらいブランディングされている(笑)

北村:1回引っ込んだこともあったんですよ。社長の顔ばかりになると全部自分がやらないといけなくなっちゃう。職人に光を当てたり、ちょっとブランディングを変えました。

これからは、ジムナストシリーズを軸にして、ODM ※1. ももっとやっていきたいです。量産品をやっていますから、継続的に定期的に商品を工場に流していきたいんです。

40年のベテラン職人は日に何千枚という縫製をこなして今がある。でも今の若い人たちはそこまでの仕事がないから技術を磨けない。恒常的に仕事をつくるには誰かに売ってもらう、それと自社で売るのが両輪。だからそういう仕事をつくってあげるのが僕の役割かなって。

※1. Original Design Manufacturingの略:委託者のブランドで製品を設計・生産すること

- 今後の海外展開は?

北村:もちろん目指していきたい。海外はほとんどODMで、全売上の25%が海外です。昨年は2割を切って、今年は伸びました。マレーシアが一番太いお客さんですね。彼らがASEANに売ってくれてます。さっきの話と繋がるんですが、今ASEANでたくさん売ってもらっていることで工場が回り、技術が育っていると感じています。

- ASEANでは「日本の100年企業が作ってる」というのがウケてるんですかね?

北村:中国や東南アジアでは「メードインジャパンのグッドスリープピロー」としてプロモーションをしてます。ODM商品なので、会社の名前は前に出てませんけど。

「もっと発信した方がいいよ」と言われます。広告とかあまり好んでなくてやってこなかった。でも、実績はあるし、それをちゃんと伝えることも必要だとようやくわかってきました。プロモーションはしっかりやっていきたいです。なかなか見つけてもらえなくて……こういうふうに話すと、理解してもらえるんですけどね。


とにかく「やる」!自分が行動し続けられる方法を見出して楽しむべし!

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-アトツギって、突き動かされる何かがある。でも割に合わないし、継いだ先も色々ある。モヤモヤしてる30歳ぐらいの人がいっぱいいます。彼らにかける言葉は?

北村:楽しめるかどうかだと思います。面白がること。

止まってても答えは出ないから、そこから抜け出せない。モヤモヤの原因はきっとあると思うので、何か方法を考えてみる。具体的にやれることをやっていく。

1回決めて動く。ダメだったら変えていいんです。ここにいたらこの角度しか見えないけど、角度を変えてみると別の見え方に気付けるかも。商機を見つけられるかも。自分が動けないんだったら、誰かに引っ張ってもらったっていい。他の人に宣言することも大事です。

- 一貫して行動することですね!力強い応援メッセージをいただきました。ありがとうございました。

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株式会社 Kitamura Japan
http://www.kabu-kitamura.com
愛知県北名古屋市徳重小崎16-2

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