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継いでみたら面白かった!得意なスタイルでニッチなものづくりメーカーを継いだ2代目の挑戦

2014年、「Siphon(サイフォン)」というフィラメントLED電球が、クラウドファンディングで当時最高額の1500万円を集めた。「ダサいLEDは終わりにしよう」という大胆なキャッチフレーズと、昔ながらの電球のガラスを使い、オシャレで美しいことにこだわったデザインが、多くの人に響いた結果だった。
この「Siphon」を開発したのは、愛知県日進市にある株式会社ビートソニック。もともとはユニークなカーオーディオシステムの開発・製造から始まった企業で、今も売上の7割はカー用品が占めている。

創業者はニッチなニーズに耳を傾け、ものづくりに没頭した父。一方、そんな父の会社を継いだ現代表取締役の戸谷大地さんは、IT企業での新規事業開発経験を武器に、組織づくりや魅力的な製品を世に広める活動に注力してきた。クラウドファンディングを大成功させ、企業の認知度向上を実現し、照明事業をカー用品と並ぶ事業の柱に育て上げている。

経営者としてのスタイルこそ違えど、父親の「1000人に1人でも欲しがってる人がいるなら、その人の声を拾い上げる」姿勢を継承する戸谷さんに、アトツギとしてどう過ごしてきたのかを聞いた。

IT企業勤務を経て、ニッチなものづくりを手掛ける家業へ

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ー 30年前、お父様が最初に作られた製品がかなり尖ったものだったんですよね。

戸谷:体感オーディオシステムという、音楽の重低音に合わせて、車のシートが一緒に振動するものでした。開発して世に出したら非常にウケて。当時僕は小学生で三階建ての家に住んでたんですが、自宅の一階が事務所で工作機械がいつもガーガーと鳴っていたんですよね。

そこからカーオーディオ好きの方が集まって徐々に大きな組織になり、カーオーディオやカーナビの周辺機器も製造するようになったんです。「1000人に1人でも欲しがってる人がいるなら、その人の声を拾い上げよう」とする姿勢で、ニッチな領域で成長してきました。


ー 戸谷さんは理工学部へ進学されていますが、家業の存在は意識していたんですか?

戸谷:家業がある程度成長していたので、意識はしていたかなと思います。ものづくりを身近で見てきて、会社には研究職や開発職の方が多くいたので、ゼロからイチを生み出すところに面白味を感じていたのかもしれません。でも、明確にやりたいことがあったわけではなかったんです。


ー そこから東京のIT企業に就職されたのはどういう経緯からですか?

戸谷:理工学部の勉強についていけず、落ちこぼれてしまったんです。就職活動では、周りの友達と同じように大手メーカーを受けたものの、ピンと来なくて。それで、気になったのが、当時勢いのあったITベンチャー企業でした。みんなでワイワイ仕事をする雰囲気や、新しいものを生み出して世の中を「アッ」と驚かす姿に魅力を感じて。


ー「東京のITベンチャーで働く」ってすごくキラキラしてますもんね。そこから、どんな流れで家業に戻ることにしたんでしょうか?

戸谷:新規事業をつくる仕事に携わっていて、当時としては最新だった行動ターゲティング広告の事業を立ち上げたんです。広告業界に大きなインパクトを与える事業で売上も順調に伸びたんですが、「プライバシー侵害にもなりうる」と総務省から指摘を受けて、その事業がストップしてしまって。モチベーション高く取り組んでいたので、燃え尽き症候群になってしまったんです。それで、家業に戻ることにしました。


ー当時はおいくつでしたか?

戸谷:27歳ですね。もともと、「30歳までには家業に戻ろう」と思っていたので、予定が少し早まった感じで。そのタイミングで当時付き合ってた彼女に結婚を申し込んで、愛知に帰りました。


新たな事業の柱づくりや、製品を世に広めるための発信を強化

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ー 家業に戻られて、最初はどんなことから取り組まれたのですか?

戸谷:「これをやれ」とは言われなかったので、自分で仕事を見つけるところからでしたね。ものづくりに特化した会社だったので、当時30人ほどのメンバーがいたにも関わらず、採用も広報もちゃんとやったことがなかったんです。だから、そういうことを一つひとつ整えていきました。製品が出たらプレスリリースを打ってメディアに取り上げてもらうとか、インターネットでものが買われる時代になってきていたから、ネットショップに製品を卸したりとか。


ー 今では軸の一つとなっている、照明事業も戸谷さんが始められたんですか?

戸谷:照明事業を始めたのは父です。けれど、月2~3個しか売れない時期が続いてて、うまくいってはいませんでした。転機になったのは、2014年に作った「Siphon(サイフォン)」というフィラメントLED電球です。クラウドファンディングを実施したところ、1500万円が集まるなど大きな反響があって。

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ー そのように変化を起こすときには、社員の方も巻き込まなきゃいけないと思うんですが、社内でのコミュニケーションは?

戸谷:感覚が違うってことを実感する機会はたくさんありましたね。たとえば、僕が製品説明をする動画をYoutubeで公開してるんですが、メンバーの多くは顔出しの動画を世に出すことへのハードルが高いみたいで(笑)。「この電球に関して、15分くらいの対談動画を作ってテレビ局に送ってみましょう」と提案しても、開発者の方に戸惑われてしまうとか(笑)


ー 職人さんには、発信が苦手な方も多いですもんね。

戸谷:僕の当たり前がみんなの当たり前ではないことに気付かされましたね。徐々に「この人は、こういった仕事に対して、これくらいのハードルを持っている」ってことがわかるようになってきて。だから、今は無理なお願いはしないし、依頼するときはしっかり目的や得られる成果を説明するようにしてます。

ー でも、戸谷さんが発信することによって製品や会社が注目されてニュースになる。それって、一生懸命ものづくりをしているメンバーの方も嬉しいと思います。

戸谷:メディアで取り上げられると、自分たちの作った製品や働いている会社が、世の中から肯定されている印のように感じられるみたいですね。メンバーのモチベーション向上には繋がっていると思います。

「経営よりものづくりが好きな父親」だから、社長交代はスムーズだった

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ー 戸谷さんが社長に就任されたのは2020年ですが、ここ数年は会社の顔となっていた印象があります。いつごろから社長的な立ち位置でお仕事をされていたんですか?

戸谷:3~4年前からですね。既存の事業は僕が担って、父には新しいアイデアを形にすることを担ってもらおうと思って。


ー お父様はものづくりが一番好きだから、経営者でいることにこだわりは無いし、役割分担ができていたという感じなんですかね?

戸谷:そうです。


ー 理想的ですね。逆にプレッシャーとかもなく、自分の好きなように会社づくりや風土づくりを進めていけるという思いでしたか?

戸谷:そうですね。今までは、父が「これを作る!」と言い出して、「こんなの、会社の誰も欲しいって言ってないけど大丈夫?」となだめたら、「じゃあ自分のポケットマネーでやる」と言われるようなことも多かったので(笑)

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ー お父様がやんちゃで戸谷さんがなだめてたんですね(笑)順調に事業を成長させてきて、社内のメンバーとも良好な関係性を築かれているイメージですが、家業に戻って一番しんどかった時期を挙げるならいつですか?

戸谷:家業に入って1年半後くらいに、生産技術部のトップを任されたことですね。僕はもともと、発信してプロダクトの価値をわかってもらって、しっかり売っていくプロセスを担うのが好きだった。けれど、生産技術の仕事は当たり前のことを毎日きっちりやることが求められる性質のもので、あまり向いてなくて。部署のトップなのに仕事内容を一番理解できていないのも、つらかったですね。


ー つらいなかで「前職(IT企業)を辞めなきゃよかったな」って思ったことはあるんですか?

戸谷:それは無いですね。僕、過去には興味が無くて。目の前にあるものから楽しみを見つけられる性質があるんです。与えられた仕事でも自分で掴みとった仕事でも、壁に直面したとしても、何かしらそこから面白さを見出してやろう、みたいな。


ー アトツギって、必ずしも興味のある領域の家業を継ぐとは限らないじゃないですか。だからこそ、その考え方が活かせそうですね。

戸谷:今まで接点が無かっただけで、好きになれる土壌があるかもしれないですからね。家業に興味が無いというアトツギの方も、展示会のような、お客さんと直にコミュニケーション取る機会に足を運んでみて生の声を聞けば、「なんでこの人は、うちの商品を買ってくれるんだろう」ってところから興味が湧いてくるかもしれないですよ。

「利益を出して地元に貢献したい」思いが原動力

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ー 戸谷さんは、アトツギとして地元に戻ることをどう捉えていますか?

戸谷:僕は地元愛が強いので、戻ってこようとはずっと思ってました。特に今は、拠点が地方でも売り先を全国や世界に広げていけますから。しっかり利益を出して地元の人を採用したいし、地元に還元していきたいという気持ちが、僕の大きなモチベーションのひとつです。


ー では最後に、今後の事業展開についてはどうですか。

戸谷:自分たちで考えて、自分たちで作って、自分たちで売る。そんな、一気通貫のカンパニーでありたいです。カー用品や照明に限らずニッチなニーズを拾い上げて、売上や規模は特に気にせず、小さくても価値のある会社にしていきたいですね。
今一番注力しているのは、メーカーとしての仕事+αとして、しっかりとした発信力を持つこと。そういった土台があれば、外的変化に左右されない強い会社でいれるはずですから。プロダクトベースの会社だし、100%オーナー企業だからこそ、不採算事業をすぐに切り捨てるのではなく諦めずに研究開発を続けていくような、数字に縛られないオリジナリティな経営を目指していこうと思っています。


株式会社ビートソニック
愛知県日進市藤枝町庚申472-5
http://www.beatsonic.co.jp/

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