すべてはここから始まった「第1回 澄和Futurist賞」(2016年)~その2「平和、そして平和」
記念すべき第1回目の受賞者の最初のお一人は、日本を代表する俳優の吉永小百合さんに決定し、続いて太平洋戦争の際、沖縄の白梅女子学徒隊員として従軍看護に携わり、その体験を語り続けて来られた中山きくさん、そして館主の窪島誠一郎さんが全国を回って収集した作品を展示し開館20年を迎えた戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)に決まりました。(中山きくさんは、去る2023年1月13日にご病気により94歳でご逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。)
中山さんは、戦後教師をなさり、職を辞されてからご自身の壮絶な体験を語ることで平和の大切さを長く訴えて来られただけでなく、沖縄にある複数の女子学徒隊同窓の会「青春を語る会」のとりまとめ役として活躍されてきた方です。女子学徒隊といえば、「ひめゆり女子学徒隊」が有名ですが、中山さんのご尽力もあってほかの学徒隊の存在や犠牲の痛ましさが知られるようになったのです。
話は横道に逸れますが、実は筆者自身、澄和Futurist賞が創設される前にたまたま沖縄で中山さんの語りを「ガマ(洞窟)」で直に聞かせていただく機会がありました。澄和の評議員として設立時からご尽力いただいた広島経済大学名誉教授・故岡本貞雄先生(2022年12月20日ご逝去)が10年以上にわたって毎年沖縄で開催されていたゼミ合宿「オキナワを歩く」に学生さんたちに混ざって参加させていただいた際、まさに目の前でその壮絶な体験を語られていたのです。講演会場で聞くお話ではなく、70年前にその場所で多くの命が失われたひんやりとした「ガマ」で聞くお話の重みは言葉では言い表しようがありませんでした。80代後半というご年齢にもかかわらず中山さんは立ったままずっと、しかも複数の現場で参加者の真剣な面持ちの前で語り続けられました。
一方の「無言館」。館主の窪島誠一郎さんは、美術館運営だけでなく、昭和の著名小説家でいらした水上勉さんがお父様というだけあって、著作家としても広く知られています。そのご経歴はとてもここでご紹介しきれないほど多岐にわたりますが、この無言館という日本で唯一の戦没画学生の遺作だけを数多く展示する美術館に注いで来られた情熱と労力は比類なきものとして、本賞を贈らせていただくことになりました。
「平和、人・自然 ~なごむ世界へ」は、澄和Futurist賞のスローガンとしてうたわれていますが、第1回は、「平和、平和、そして平和」が贈賞のテーマとなり、本賞の歴史が始まったのです。澄和の設立経緯にも関係することですが、それはまた別の機会にご紹介します。
(澄和事務局長 青柳信久)