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今の自分にとっての【書く】ということ

かんたんやさしいお手当で 心と体に向き合う時間を。
和みのヨーガ インストラクター&セラピストの
nagomocaです。

この1か月
【書く】ということと
むきあっています。

きっかけは
あるFacebookのコミュニティに
参加したこと。

名前は
今よりも書くことが好きになる。
【1か月トレーニングコミュニティ】。

参加するか少し迷いました。
それは
このコミュニティの決め事である
「週3回以上投稿をする」、というのが
書くのにすごーーく時間がかかる私には
ややハードルが高かったから。
(毎日投稿されている人はほんと尊敬します。)

でも
以前から
『書く』ということと
しっかり向き合いたい、という
気持ちがあったこと

主催者の方の
書いておられるものが好きで
「こんな風に
自分の好きなことや
大切な誰かのことを
読む人にわかりやすく
伝えられるようになったらいいなぁ」
と、思っていたこと

これから
自分の書いたものを
発信する機会が増える予定があり
書くことへのハードルを下げておきたい、
という気持ちもあって

参加を決めました。

初めは近況報告的なものから
とにかく躊躇せずに書く、
ということを意識して。

そうして投稿しているうちに
今までまとまった書く時間を
捻出できない、と
思っていたけど
意外になんとかなる、ということも
わかってきました。

以前から私には
『書く』ということは
だれかの心を
軽くしたり
温めたり
応援するものでありたい

という思いがありました。

それは
自分自身が
誰かの書いたものに
慰められたり
背中を押してもらったから。

なので
自分の書くものが
読んでくれた人の
心をざわつかせたり
不快にするようなことがあってはいけない

という気持ちが強く

いろんな立場や心情に配慮しようとするうちに
だんだん
どう書いていいか
何を書いていいか
わからなくなって


そのうちに
書きたいことが見つけられなくなって
書くことをやめていました

でも

良い意味で割り切れた、というか
後は受け取る人に委ねる
そう思えてきました。

私が書いたことに
心が反応するのは
書かれていることが
その人の心の大事な部分に反応するから。

そこで起こる
いろんな感情を味わうことは
例え不快な気持ちだとしても
その人にとっての
大切なことに気づく
きっかけになるかもしれない。

だから自分は
自分が書きたいと思ったことを
素直な心で
ただ綴ればいい

そう思ったら
日常の些細なことも
自分が大切に思っていることも
自分の過去や内面に関わることも

以前より抵抗なく
書けるようになってきました。

それに伴って
書くことにかかる時間も
少しずつですが
短くなって

書くということが
日常生活の一部に
織り込まれるようになってきた気がします。


そしてもうひとつ。
一緒に歩むご縁ある方々の存在が
背中を押してくれました。

コミュニティの参加者は
それまでお会いすることもなかったような
ジャンルの活動をされておられる方も多く、
すでに皆さん
素敵な発信をされている人ばかり。

出来上がった投稿だけを見ると
「さらっと書き上げておられるのだろうなぁ…」と
思っていましたが

自分の思いを表す言葉を見つけたり
読んでくれる人にわかりやすく届けるために
試行錯誤を重ねたり

想いがのらないときは
少し寝かせてみたり

そこに至るまでの
裏側を見せてもらって

「あー、迷っていいんだ。」と
安心して
それと同時に
参加者の方々に
親近感が湧いてきました。

他の方の発信を見る時の
意識も変わってきたように感じます。


迷いながら
その時の状況や
自分の思いに
ピタッとはまる
言葉を探す作業。

それはまるで
私の大好きなパズルの様。
これだ!と思う表現が
見つかった時の爽快感。

私が書くことに惹かれるのは
そういう部分なのかもしれません。

これからも
自分らしく
書くことを楽しんでいきたいと思います。










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