吐き出す。

鬱真っ盛りだった時に
記事を上げていたことを思い出した。

今は鬱病ということも自覚して
自分なりの人生を歩んでいる。

改めて振り返ると
この半年間は地獄のような思いと
つまらない日常と
天国のように晴れやかな気分とが
混在していたように思う。

一人ぼっちで自分を責めながら
人生を歩んでいても
何も気付かないまま終わってしまうものも
沢山ある。

なんとなく、私は
自分のしていることに価値を置いてない。

人から言われて初めて
そうか、と思うくらい。

絵を描くことにハマったり
その絵自体をどうかと聞かれたら
描いてしまったものに価値を置けない。

書いている間だけは
私にとって価値のある作品になるけど
描いてしまってからは
それはゴミのように無害な残骸になる。


働かなくちゃいけない。
楽しく生きなくちゃいけない。
明るくなくちゃ。
周りのみんなと仲良くしなきゃ。


〇〇しなきゃで埋まっていた世界から
別に〇〇しなくてもいっかに
変わってきた。

何をそんなに追い込んでいたのだろうと
今なら思える。

それくらい鬱ってものは
人を孤独で死に追いやりにいく病気なんだなと
改めて思った。

鬱の間は何を考えても
何をしてても死がちらつく。

死にたい、しかない。
生きるのめんどくさい、死にたい。
眠れない、死にたい。

そんな毎日のようにどんよりとした
死にたい気分は無くなってきたけど
今度は、焦りや不安や退屈さが
付き纏ってきた。

これから、福祉の人たちの力を借りて
少しずつ社会復帰すると思うけど
社会復帰だって

ゆっくり階段を上がるように
百段千段近くある階段を一歩ずつ登るようにしか
上手くいかないんだってことにも
気付かされた。

私は愚かだ。
人の力は強力で強大で
時に人を殺しもするけど
生かしもすることに驚いている。

だけど、自分軸を持って生きていきたい。
他人からどう見られるかなんて言う
他人軸は取っ払ってしまいたい。




最近、韓国のエッセイ本を読んでる。
半年前に精神が病んだ時に
図書館で予約したものが
やっと入荷したのだった。

その時に、ふと、そんな本
借りたいと思ってたなと思い返した。

本だってたくさん読まなきゃ!と
思っていたけど
月に数冊くらいがちょうどいいんだと
記録しながら思った。

そんな風にしなきゃで固めていた人生から
ゆるくレールから転落して
奈落の底に落ちたかと思いきや
新しくレールをひいているような
そんな気分。

鬱じゃないっていうか
鬱に支配されないって心地が良い。

そう思った。

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