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あの日の記憶を召し上がれ

Ⅴ 夢の住人

「え?」
足の裏に感じるひんやりとした感覚。うわ、暗い。
気づくとそこは真っ直ぐ伸びた長い廊下。
石でできているのだろうか。
壁や扉に施された派手な装飾。
赤を基調とした柄が美しい。
誰もいないのか、不気味なほど静かだ。
目の前で起きていることが信じられなかった。
「この景色……」
どこかで。
「何者だ」
唐突に後ろから低い声がした。
はっと振り返る。
「誰?」
歴史の教科書で見たことのあるような、色鮮やかな袴。
目鼻立ちのよい顔。
年は私とそんなに変わらないように見えるけれど。
「その格好、この国の者ではないな。名を名乗れ」
「この国?」
「どこから入り込んだんだ」
「ちょっと待ってください! 私……」
あれ?この人……
「ここにいては城の者に捕まってしまうぞ」
知っている。
「私と一緒に来るんだ」
思わず口が開いて、二人の声が重なった。
一瞬相手が目を見開いた。
「やっぱりここ……」
本当にあの本の中に紛れ込んでいるんだ。
私が、ヒロインなんだ。

時代も詳細も明かされないまま進んでいく歴史ミステリー小説。
夢のように美しい国の姫が、ある国に迷い込んでしまうところから物語は始まる。
その姫は身分を明かさない男に助けられ、侍女ということで王宮にかくまわれる。
国を上げての宴が開かれた次の宵、そこでその姫の周りの人間が次々と死んでいく。
人間の無情さや孤高感を描きつつ、姫と次期王、そして名を明かさない男間で淀む恋愛感情がさらに謎を生むミステリー大作、とまでは記憶している。
確かこの後……
「悪いな。私の連れだ」
また突然、口元まで布で覆った長身の者が現れた。
声を聞くからに男。
まるで忍者みたい。
「何だ。貴様」
男がさらに低い声で言った。
「予言者、とでも言っておこうか」
男は一息置いて続けた。
「花は艶やかに、夜は滑らかに、ただ夢のように儚し。宴の宵に降る星よ。なるほど、お前の運命は少し厄介だ」
そう言うと男は、私の手首を掴んで煙玉を飛ばした。
「ちょっと!」
気づくと今までいたと思われる建物の屋根にいた。
深緑色の屋根。
急に澄んだ空気に囲まれた。
時代背景も分からないこの物語。
でもここの場面はすごく印象的だったのを覚えている。
夜空に濡れるような満月。
降ってきそうな星。
高い建物の屋根に二つの影ができた。
「さっきの詩、綺麗だった」
私は思わずつぶやいていた。
「お前何者だ?」
そいつが鋭い目だけをこちらに向けた。
「私は夢の住人」
「夢の?」
あ……無意識に口走ってたけど、これって確かヒロインのセリフだ。
「あの男には気をつけろ。何をしでかすか分からない」
「あの男?」
「あの男はこの王国の次期王だと噂されている男。風来坊で女好きだと有名なんだ」
「そうなの」
「明日の宵、ここで大きな宴が開かれる。次期王の正式発表と結婚相手の発表という名目だが、それにしては多すぎるくらいの人間が招かれている」
「なぜそれを私に?」
「お前がここの人間でないのなら、その宴には絶対に立ち入らないことを勧める」
え? こんなセリフなかったはずなのに。
「どうして?」
少し間を空けて聞いた。
「まぁせいぜい気をつけるんだな、夢の住人さん」
その男はそれだけ言うと煙玉を破裂させ、また一瞬にして姿をくらませた。
「はぐらかされた……」
こうして夜は明けていく。

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