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業界地図31 利他と贈与

「思いがけず利他」という本があり、僕は利他、贈与というキーワードを日々考えているので理解するまで(今も出来ていないけど)何回か読んでみました。

簡単にまとめると

世の中の多くの利他は利己的な利他である。その様な利他を否定。合理的な利他は利他ではなく、利他の本質を崩壊に導くイデオロギー。
利他と利己は反対ではなくパラドックス。 
有り難くない利他。
マルセルモースの贈与論からギフトの意味は贈り物と毒という意味がある。

では利他とは何か

受け取る事で起動をする。与える事で利他を生み出すのではなく、受け取る事で利他を生み出す。利他が支配に変わる利他はそもそも利他ではない。過去の贈与を受けながら今を生きている。
利他は過去からやってくる。

本当にざっくりですがこんな感じ。

読んでみて思ったのは
利己的な利他の何が悪いのか分からない。
マルセルモースの毒というキーワードに引っ張られ過ぎている。
利他を否定している一例として挙げられているのが利他はなくハラスメント。
利他を分けて考えた方がよく、利他1.2.3.4.5など同じ利他で語れない事を利他という1つの言葉で語っている。

では利他や贈与が巡る世界、贈与の総数が多い世界ってどんなだろうと考えてみた訳です。
どうやったら利他や贈与が巡るのか。ありがたくない利他や利己の強すぎる利他もどきは論外として。少なくとも今の時代にはより利他的思考や贈与感が今よりも増えた方がいいわけで。

パッと思ったのは二つ。

一つ目は
良いビジネスなんじゃないかと思います。ビジネスこそ利己的な利他ではあり、それはこの本によって否定をされてしまっているんだけど、お客様や取引先が喜ぶ利他をした後にお金が付いてくる。勿論最初に喜んで頂く行為の行動にお金を第一には考えず、ただただ喜んで頂く事に徹する事。
幸せを届ける事がビジネスの本質であり利他である。

二つ目は
少しでも余裕のある人は自分の持っている力やお金など少しでも社会の為に誰かの為に使ってみる。何もしない事を0、何かしたら1、貰ったら−1、として考えると1の社会と−1の社会は近いけど全く違う世の中になると思います。
少し得をしたい、という気持ちもあるけどほんの少しだけでいいと思うのですが一人ひとりが考えてみる。とりあえず考えてみるだけでもいい様な気もします。ここで気を付けなくてはいけないのは余裕のある人の話で余裕のない人は−1でもいいという事。−1は別に悪い事ではなく、他者からの贈与は遠慮なく頂く。その代わり余裕が出た時に1を誰かに返す。

と、偉そうに書いている僕は出来ていないので、自分を戒める為に書いています。

ここまで書いてなんですが、そもそもそんなに真面目に考えなくてもいい様な気もします。皆んな遠慮なく贈与し贈与され、利他的に動いて時に利己的になって、でも今よりも少しだけ何か行動が各々の思う利他を表現するだけでいいかもしれないですね。

それが難しいのかもしれないのですが。




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