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串本とトルコと大地震と ー旅の栞ー

旅程を決める際、
雨が降った場合の計画、どうしてますか?


あいやー

紀伊半島を南下中
尾鷲市を過ぎ、花のいわやを過ぎた辺りから、雨がパラついてきた。

「あいやー」

丸山千枚田を歩こうと思ったが、予定変更やな・・


うわぁぁ

紀伊半島の最南端、そして国道42号の折り返し地点である串本。その中心街に到着したころには、パラパラ雨が、ザーザー降り、いや台風並みのバケツをひっくり返したような土砂降り、キャッツアンドドックス状態になっていた。

「うわぁ」

ときおり強風にあおられて、運転席側の窓にバチンと叩きつけられる雨。恐怖を感じるほどの雨だ。

エスケープルート

旅行に出かける際、雨が降ったらどうするのか?
野外活動の多い我が家にとって、これが難問なのだ。

「アナタの計画は、雨が降った時点で、ハタンしているよね」

むぐぐ

妻によく言われる、厳しいひと言

そこで、今回は雨が降った場合の、緊急避難場所として、串本の「トルコ記念館」をチョイスしていた。

トルコ記念館 ?  串本に?


◇◇◇

ニホンジン


「オマエ ニホンジン?」


異国のバザールで、客引きに声を掛けられた。恐怖を感じ、無視をして通り過ぎようとすると、突然怒り出した。
友達を無視するのか、と

日本人だと思って、優しくしようと思ったのに、なぜオマエは逃げるようなことをするのか、と問われた。いやいや、海外のバザールで突然、声を掛けられて「はい」と返事はしづらいでしょ。

もう一度聞かれた「ニホンジンか」

うなずくと、突然ハグをされた。恩人よ! と、


スリじゃないよな・・
と、財布を確かめる。

命の恩人

トルコ旅行をされた方は、私と似たような経験をされていると思う。トルコの方々は、相手が日本人だとわかると、相好を崩し笑顔になるのだ。

そして、ワタシもチバに住んでいた。など、以前日本に在住していた、という話もよく聞いた。

なぜ、これほどの親日家なのか?

時は1890年、オスマン帝国の使節団をのせた巡洋艦「エルトゥールル号」が、串本南端の紀伊大島付近で座礁、沈没した遭難事件があった。

その際、地元串本町の方々が命をかけて救助、そして、なけなしの私財食料をなげうって、献身的な支援介護をしたのだ。

その後、そのニュースを聞いた日本全国から義援金も集まり、新しい船とともに生存者をオスマン帝国本国まで送還。

この100年以上前の出来事に、しかもオスマン帝国からトルコ共和国という国に代わってからも、いまだに日本人に恩義を感じているのだ。これが、トルコを訪れると突然「ハグ」される理由だ。

そして、イランイラク戦争の際は、恩返しとばかり、トルコ国民より優先して、日本人をトルコの飛行機に乗せて、救出してくれた。東日本大震災のときも然り。
そうなのだ。こちらこそ、命の恩人なのだ。


※ 興味がある方は、Wiki「エルトゥールル号遭難事件」を検索!


イスタンブールの「エジプシャン・バザール」にて
トルコなのに・・エジプシャン


いまこそ

某国の大統領が自国ファーストを訴えた頃から、世界がおかしくなっている。自分さえよければと・・


トルコ大地震

いまこそ、
恩人の国トルコへ
オイラにできることは少ないかもしれないが、寄付など出来ることをやってゆきたい。そして、世界中が恩人・恩返しで溢れる、平和なトキがくるのを、願ってやまない。


◇◇◇


串本のトルコ記念館
駐車場から、かなり歩く必要があった。

横殴りの台風並みの悪天候、駐車場脇のトイレに寄るだけでも、ずぶ濡れになった。やむなく入館を断念・・
エルトゥールル号に関して、串本の支援話が載っているトルコの教科書など、貴重な資料を観る予定だったのに・・


「しょせんアナタの計画は、こんなもんね」


くぅー


ぐうの音も出ない、妻の追い打ち

ホテルに戻る途中、小康状態になってきた雨。フロントガラス越しに、串本の名勝「橋杭岩はしぐいいわ」が滲んで見えた。


晴れ男のはずなんだけどなぁ・・

誰か、オイラもたすけて・・ 


(おしまい)



和歌山に行くなら訪れたいお店
雨が降っても、気分はアゲアゲ!


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なぐなぐ
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