三浦春馬さんという人の死(0)

今日は8月6日(木)。

7月18日と今日までの日々、自分のこれまでの35年の人生で最も感情が揺さぶられた人生最悪の日々になった。多分、これは後数年続くと思う。

なぜこの世界に表現者 三浦春馬が居ないんだろう。
その事実が受け入れられない。

今まで、感情をゆすぶられて引きずられることがほぼ皆無で、全てを割り切って振り向くことなく進んできた私が(甘い人生なのかもしれない)、この3週間、本当に色んな新しい感情を経験した。

身内が亡くなったときよりも、どんな失敗や挫折や困難があったときよりも、更に深く、闇に落ちました。
コロナ禍のせいじゃない。

自分にとって、なぜ、"このひと"が重要なのか(だった、とは言いたくない)、今後、表現者のハシクレとして生きていく上で、絶対に言語化しておかないといけないような気持ちに襲われています。この3週間程、色んな感情や気づきがあり、そこから逃れたくても逃れることが出来ず、苦しかったので、言語化しないと死んでしまいそうな気持になっているという言い方もできるかも。

"このひと"が私にとってただの"いち芸能人"ではなかったこと、認識はしてたけど、やっぱり本質的に自分の一部となっていたことを強く認識せざるを得なかった。
私は追っかけはしていない。作品も本当に一部しか見ていない。
なのになぜそうなのか、何となくわかっていたことをきちんと言語として記録したい。しなければ。

そう思って、noteを始めました。

発信することというよりも、自分の記録として書いていこうと思います。
私は昔から膨大な量の情報を頭に詰め込み、猛スピードでそれを計算する癖がある。丁寧に物事に取り組めず、ある意味これは"病気"と思っている。簡単に言うと、せっかちという言葉なのかもしれない。
でも、何とか、感情一粒一粒を残しておきたい。そういう気持ちになっています。なので、全ての記事を何度も読み直し、何度もアップデートすると思います。

彼の死について今日まで考えて来たことは膨大だけど、ざっとまとめると以下の様な内容になるかなと思っています(2020/8/6現在)。少しずつ、記録します。投稿の順序は、その時の気分によって変えながら書いていこう。

①経緯1:あの日のこと
②経緯2:数日前の出来事、前夜からあの瞬間まで
③経緯3:あの日から今日まで
④経緯4:感情の経緯
⑤経緯別版:最後に過ごした場所のはなし-都市と人の感情について-
⑥自分のこと
⑦"三浦春馬"について1:"14歳の母"以降
⑧"三浦春馬"について2:自分にとって特別だった理由-死生観、喪失感、本質について-
⑨"三浦春馬"について 3:今改めて過去の映像を見て
⑩番外編1:優しい世界を作ることについて
⑪番外編2:所属事務所について初めて知ったこと

書き終わった後は、自分の表現や大事にしているものに関する内容に移行していくと思います。


2020.8.6
(2020.8.6 改訂2)