気がつけば、相当ダサい生き方をしている気がする

最近の自分、相当、ダサいな、と感じる。

先日、今いるドイツから日本に本帰国することを決めた。もともとこちらの大学でワイン用ブドウの栽培学と醸造学を学んだらさっさと日本に帰るか第三国に移動するつもりでいたのに、なんだかんだと大学卒業後にこちらのワイナリーに働き口を見つけ、キャリアを積むという大義名分のもとダラダラと先送りしてきていた決断をよくやく下した格好だ。でも、その決断さえまだ迷っている。

帰国するのが嫌なわけではない。なんならさっさと戻りたい。そもそもドイツという国に愛着があったから来たわけではなく、目的地があったのがたまたまドイツという国だっただけの話だ。確かに昔から海外移住には興味はあった。興味はあったが、今の生活がその興味に沿うものかといえば、これはちょっと違う気がする。だから、ドイツを離れることに抵抗はない。それに今の自分には日本に帰る理由もある。

ならさっさと帰ればいいだろ、という大合唱が聞こえてきそうだ。そう、そのとおり。帰ればいい。身の回りのものを処分し、航空券を買って飛行機に飛び乗ればいい。何を迷うのか。お金に迷うのだ。ダサいことに。

ドイツに来てからすでに10年を超え、夏が過ぎれば12年目を迎えることになる。この間、自分で言うのもなんだがお金にはそれはそれは苦労してきた。大学で勉強するという立場上、浮浪者にこそならなかったが (そんなことになったら即、強制送還される) 生活水準は赤貧を通り越して完全に貧困層のものだったと断言できる。

とてもダサい行為なのは分かっているが、この際なのでちょっと苦労話に付き合ってもらいたい。とはいえ別に貧乏自慢するつもりはなく、そんなバックグラウンドがあることで今があるのだよ、という前フリにしたいだけだ。

ドイツに渡ってきた2013年の秋から大学を卒業した2018年の2月まで、日本からの仕送りなどない立場だった自分はすべての生活費をそれまでの貯蓄で賄った。いわゆる通帳残高が減っていく一方の生活、というやつだ。しかもそのなけなしの貯蓄さえ、大部分が使えない状態になっていた。というのも、仕送りなどで一定額以上の安定収入がない学生が滞在ビザを得るためには、当時の金額で1年間1人あたり8000ユーロを銀行の凍結口座と呼ばれる口座に入れておかなければならなかったからだ。

この凍結口座、ルールとしては毎月8000ユーロを12ヶ月で割った660ユーロ程度を口座から引き出して使っていいことになっている。一方で、8000ユーロは1人の人間が1年間の滞在許可証を得るために必要な金額。大学は最短でも3年間続く。つまり、最初に3年分まとめて24000ユーロを凍結口座に入れていない限り、この凍結口座内のお金に手を付けた瞬間に翌年の滞在許可証獲得がとても難しくなる。事前に凍結できるだけの余裕をもって24000ユーロを準備できていなかった自分にはこの8000ユーロを大学を卒業するまでの間、死金とする以外の選択肢はなかった。

少しでも生活を楽にしようと大学の途中からは短時間のバイトはしていたが、滞在許可証の関係で本格的な仕事はできなかったし、そもそも学業についていくことに必死だった自分には並行して生活費を稼ぐような器用な真似はできなかった。口座をみれば一応、お金はある。が、それは事実上使えない。使える部分のお金は減っていく一方。そもそもが、大学入学前にドイツ国内でドイツ語試験の準備を始めた瞬間から大学卒業のその時まで、一度でも事前の予定から遅延するようならその時点ですべてを止めて即撤退を決めていた程度の経済状態だった。決めていた、という少し格好いいが、実際はそんな綺麗事じゃない。そうしないと純粋に生活が破綻するという現実に裏打ちされた、選択の余地もなにもない強制された行動方針だった。金銭的余裕などあるはずもない。この時期の自分は、絵に描いたような典型的な苦学生のモデルケースになれるのではないかと思うほどに、絵に描いたような苦学生をやっていたと思う。ちなみに学生の期間中を通して、家賃などを除いた生活費 (大学関連でかかる費用を含む) は月300ユーロにおさめることが条件だった。今考えれば、相当、頭の悪い生活設計をしていたものだと思うが、それで乗り切ったのだからきちんと見定められていたということなのだろう。

かれこれ4年ちかく、そんな生活を続けた。いつの間にか、すべての行動がお金に換算されるものになっていた。予算がどうか、余裕がどうか、それをやってその後に生き残れるのか。日本にいたときなら、仮にお金がまったく無くなったとしてもなんとかなるかもしれない。でもここは海をわたった別の国。自分はただのよそ者で、よそ者が居続けるためには定められているルールに従う必要がある。そして、お金はそのルールの中に含まれている最も重要視される要素だった。そのルールを一度でも破ってしまえば国が守ってくれるはずもなく、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに容赦なく切り捨てられる立場でしかない。お金が大事だった。ダサいとかそんなこと、考えている余裕はなかった。

大学を無事に卒業し、ドイツ国内のワイナリーに就職し、2年後には醸造責任者のポジションを得た。この頃にはなんとか経済的に困らないくらいの収入は得られるようになった。ちなみに醸造責任者になるまでの期間の給料は当初、外国人局の担当者からその金額では滞在許可証を出せない、と言われる程度のものでしかなかった。

そんな収入状況だったので、生活面での不安は大学卒業後も続いていた。そもそもドイツに来る前に用意していたのは大学が終わるまでギリギリ持つだけの金額。当然、大学が終わったときには口座はほぼすっからかんだ。多少、収入ができたからといって安心できるほどの余裕を持てるわけもない。それに仕事をはじめたことで、今度は仕事のために車が必要になり、引っ越しが必要になり、引っ越しに伴い固定費が増えた。ガソリンを含めて仕事のために入り用になるものも増え、出費が増える。多分、この時期の自分はまだまだドイツという社会の最底辺辺りをうろうろしていたはずだ。

結局、なんとかそれなりの生活が安定してできるようになったのはここ3~4年くらいのこと。当然、これまでに投資してきた金額の回収などできていない。一方ですっかりお金に不安を感じるライフスタイルが染み付いてしまった。

さて、長かったダサい昔話は終わりにして今の話に戻ろう。すったもんだあったとはいえ、一応、それなりの実績を作ってきたおかげでドイツ国内で仕事を探すことはできるようになった。正直な話、ドイツ国内にとどまるのであれば、老後を心配しなければならなくなるくらいまでの間は生活の不安を感じることはないと思う。今の自分にとって、ドイツ国内のワイナリーに職を求めることはそこまで難しいことではない。なのに自分は、日本に帰ろうとしている。縁も実績もなければろくに信用もない、ついでに安定収入もない、故郷 日本に。

日本に戻る前提でいろいろ考えるが、とにかく食いっぱぐれないかどうか、生活を成り立たせられるかどうかが不安で仕方ない。頭の片隅ではどうにかなる、と思いながらも (実際に何人かの人にはそのようにアドバイスもいただいた)、すっかり染み付いた思考がそれを受け入れない。結果、思い切れず、グズグズと言い訳を並べてしまい、足が動かない。大変、ダサい。

ろくに資金もなく、言葉もできないなかでドイツに飛び込んできたあの当時の自分はいったいどこに行ってしまったのだろう。

と、ここまで書いてきて思い出した。そうだった。自分は4年間近くもの間、たった月300ユーロなんて金額でサバイバルしてきたのだった。こんな金額、日本ではバイトでも余裕で稼げる。つまり、生活できる。偉そうに専門性が、なんて言わずにやればいいだけだった。

ダサい、ダサいと思うよりも、行動するほうがよほどいい。さっさと今の部屋を引き払い、エアチケット片手に飛行機に乗るほうがよほどいい。でもね、それでもね、やっぱりね、少しでもいいから安心が欲しいのだ。ダサいのはわかっているけれど、あの生活はそれはそれでトラウマなんだ。できることなら戻りたくはない。

そんなダサい思考が、結局は今も頭のなかでぐるぐると回り続けている自分、やっぱりダサい。


なんてことをツラツラと書いては来ましたが、帰ります。2024年中、がデッドライン。おそらくもっと前倒しで行動することになると思います。お仕事はいつでも募集中です。ワイナリーでのお手伝い、醸造関連セミナーの開催、醸造についての助言などなど、なんなら短期バイトのお誘いでも喜びます。ぜひお気軽にお声がけください。

皆さんからのお誘いが安心になります。ご連絡、お待ちしています。

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