寿命なんだ

五十六億七千万年を求めている。正確には今日で御釈迦様の入滅後二千五百八年二月十二日目(2508年2月12日目)なので後五十六億六千九百九十九万七千四百九十二年と九月十八日(56億6999万7492年と9月18日)。
五十六億七千万年は弥勒様が仏になられる予定の日を指している。御釈迦様の死後からなので、計算が難しく、間違っているかもしれない。
弥勒様は西暦五十六億六千九百九十九万九千五百十四年二月十五日(西暦56億6999万9514年2月15日)に成仏される予定だ。
一日、また一日、弥勒様に会える日が近づくという事を思うと後ろにあったこともう全て海に沈む。1分1秒、僅かながら確かに近づいている。それを思い出すと息が出来るようになる。

ヒトは今ギリギリ120年までなら生きられるらしい。それ以上は難しい。もしかすると、世界の国々は結託して何かとてつもない技術を隠していて、実はお偉いさんは200年とか生きているのかもしれない。そうだったら嬉しい。だが望みは薄くやはり研究して何か長寿の方法を見つける他無く。
生物学というのは創造ではなく応用だ。他の種の生物の体や情報をヒトの生活に上手く取り入れて活用する。ヒトという種には限りがあるが他の生物なら望みを託せる。まだ人の立ち入らぬ深海でも宇宙でも良い。氷の中の眠った生物達でも良い。兎に角ヒトの長寿の取手が欲しい。彼等に体を売って、この情報だけでも守ってもらえないだろうか。そういう夢を見る。

長い時間を手に入れれば必ずいずれは本当の事を知れて真の安寧を得られると信じている。時間さえあればなんでも出来る。そう信じている。

寿命
いつも不安だ。特に日記を書く時夜寝る時。私の中で「寿命」という単語は本当にヒト一人分60キロくらいの重みを持って存在している。動かないヒト力の入っていないヒトの重さは想像以上で物語だと当たり前のようにお姫様抱っこみたいな事をするがあれは相当頑張らないといけないし人間は軽くない。人間ぐらいの重み、これが形容にぴったりの重さ。実感を伴った持ち上げられないレベルの重さ。
確か 無常を感じる

題『虫と歌 市川春子作品集』212頁より

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