超厳しいと呼ばれる寮に入って止むまでの2年の記録
皆さんとてつもなくお久しぶりです。
やっとやっと文章を書こうと思ってバイト先から失礼いたします。
突然ですが皆さん、高校生活はいかがでしたか?
人によっては部活動に打ち込んだり、恋愛に打ち込んだり、大学にいくために猛勉強をした人もいるでしょう。
今回はそんな華のある高校生活で私が病んでI can flyにいたった過程などを書きたいと思います。
よかったら最後まで読んでください。
あと、記憶を辿りに書いているので多少美化されていたりすり替えられていたりしますが気にしないでください
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入学までの話
中学三年の秋、気づけば宗教団体と化していた塾(いずれ書きます)をやめ、某、早⭕田アカデミーに入塾しとたんに偏差値が10もあがり、調子をぶっこいていました。
そこで志望校をワンランクあげ滑り止めとして某宗教系の高校を受けました。
結果、滑り止めは受かり第一志望は落ちました。
というのもその滑り止めの高校があまりにも魅力的だったので滑り止めが受かった瞬間もはややる気をなくしていたのです。
さて、この高校について説明いたしましょう。
奈良県某所の山にかこまれた盆地にある夏は暑く冬は寒い野球やラグビー、吹奏楽で有名な高校です。(ここまでいったらわかるはず)
規則としては携帯禁止、校舎より二時間以上かかるものは指定の寮にはいること。
朝のお祈りには必ず出席(宗教という分野の単位にはいるらしい)
ざっとこんな感じでしょうか。
そんな高校の寮に入ったお話です。
まずこの学校に入った経緯です。
我が家は母子家庭で小さい頃に母子寮に入っておりました。
そこのイベントで毎年奈良県の某所にある夏のお祭りに参加していました。
当時は母は熱心な仏教徒で私も毎日のようにお経を唱えさせられていました。
ここまでいったのならもういいましょう。
その母子寮は天理教の保有する施設でした。
そして毎年いっていたのは毎年奈良県天理市で開催する「こどもおじばがえり」でした。
その施設がきっかけで仏教だった我が家は天理教とすこし近くなりました。
ただ結論からいうと当の私はこの時も、そして天理高校に入ったあとも信仰心はあまりありませんでした。
だって、私が神なので。
あ、すいません、嘘です。
まあそんな感じで一般家庭である私が天理高校にはいれたのはこのような理由です。
推薦人にこの施設の施設長がいました。(どうやら天理教内では割りとすごい人らしい)
なぜ私がこの高校に魅力を感じたのか。
それは寮生活でした。
ただひたすら、親と離れたかった、、、
誰も知らないところにいきたかった、、、
それが一番大きかったです。
あとは進学率。
当時、獣医を夢見ていた私には東大の合格者が出ていたと言うのは大きな魅力のひとつでした。
ただ、現実はそんなに甘くなかった、、、
あとは、当時恐らく私は自分を虐めるのが好きだったのでしょう。
誰よりも素晴らしい経験を持つために優位を保つために敢えて苦難に飛び込んで耐え抜くのが美学ととらえておりました。
今考えるととてつもなくお馬鹿です。
そんなこんなで憧れの寮生活が始まりました。
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