坂口恭平100問100答 第17問 日記

17. 日記


今回自著の中でカフカに触れたことから、日記について考えるようになりました。カフカもかなりの量の日記を残していますが、坂口さんの場合はさらに膨大です。小説以外に日記や断片的なメモの中から重要な記述が見つかることもカフカの特徴なのですが、このあたりにも親和性があるかと思います。坂口さんにも(これでもまだ)本の形になっていない断片がたくさんありますよね。小説の枠組みで書きたいこと、日記の枠組みで書きたいこと、それぞれに違いがあることはもちろんだと思います。日記においては「何を書くか」はそれほど意識しなくても良いのかもしれません。小説と比較した際、日記の中にどれだけ坂口さんの思想が色濃く入り込むものなのだろうと、その塩梅が気になりました。テキストとしての比重はどのようにお考えですか。

答:

 今ではたくさんの本を書いてますが、僕はもともと一切文章を書いたことがありませんでした。小学生のとき、しばらく坂口恭平日日新聞という、別に毎日書いていたわけではありませんが、学級新聞とは別に、僕は自分で原稿を書いて、連載小説を書いて、挿絵も書いて、小学校の事務室で印刷して、同じクラスのみんなに配っていたことはありますが、本はほとんど読んでおらず、自分で文章を書いてるみたいなこともやったことがありませんでした。中学生になっても書いたことはありません。女の子と交換日記みたいなものをやろうとしましたが、手紙をもらうのは好きでも、手紙を書いた記憶はほとんどありません。高校生になって村上春樹を読んだ時、僕は自分でも小説が書ける、という謎の確信はありましたが、実際に書くことはしませんでした。字は綺麗でしたが、文章にしようとはしなかったようです。大学生に入ると、レポートを出す機会があり、それで少しだけ原稿を書いたりはしましたが、その頃には手帳に何か思いついたことを書いたり描いたりしてはいましたが、文章ではありませんでした。論文も出来上がったのはのちに0円ハウスの元になる本を手作りで作るのですが、そこでも文章はキャプションのみで、長い文章は全く書いていません。大学を卒業しても何にも書かないままでしたが、0円ハウスを出す、ということが決まってから、僕は当時はパソコンを持っていなかったので、それは2004年のことですが、高円寺に住んでいて、駅近くのインターネットカフェへ行き、ブログをはじめます。そして、毎日、日記を書き始めました。それは今では『坂口恭平のぼうけん』という本になってます。2004年3月25日から書き始めました。その時はカフカの日記のことは何にも知りませんでした。本を出すことは出すが、誰も僕のことは知らないだろうから、自分を知ってもらおうと思ったことは確かですが、それよりも僕がブログを書き始めて思い出したのは、幼少の頃に、心の街の中で書いていた瓦版のことでした。書きながら、これは知っている感覚だと思いました。あ、あの頃から書き続けている瓦版だこれは、と気づいて嬉しくなって、その日から僕は、体調が悪い時は休みましたが、2011年までほぼ毎日ずっと日記を書き続けてます。しかも2011年3月11日からそれはtwitterに移行し、今も続いてます。もう20年も書いてます。カフカは14年しか書いていないので、もうそれよりもずっと長く書き続けてます。僕にとっては小説と日記とエッセイと三つに分かれてはいません。すべて日記という感じです。僕が書いているのは、その時、その日に、その瞬間に感じたことです。小説も、その日その日に書いてます。書いたものを後日書き直すという作業をほとんどしたことがありません。小説ですら、後日推敲することはあっても、基本的な流れは変えたことはありません。文章を並べ替えしたことがないのです。誤字脱字を直すくらいです。理由は、前日の僕は現在の僕と全く違う存在なので、敬意を払って変えていないのです。他人だと思ってます。他人の文章を今の僕が勝手に改変することはできません。つまり、僕は文章の構成よりも、何よりも大事にしているのが、その時の僕が書いたことを変に手を入れないということです。小説としてまとまりがなくなるとか考えていません。そういう意味では作品という結晶を作り上げようという感覚がそもそもないのかもしれません。つまり、小説も僕の中では日記というものに近いような気がします。今、出版はされてませんが、僕の手元に2000枚の『カワチ』という長編小説があるのですが、これは100日間、毎日20枚の小説を書き続けたんです。その時は、日記は書きません、その時は毎朝、僕は起きると、すぐに、何をするよりも先に、書斎へいき、小説を書き始めます。何度も言うように、小説といっても、僕の場合は主人公がいて、物語があり、展開があり、終わりがあるみたいな感じでは全く書けなくて、書けないと言いますか、それは僕の言葉では書いていることにはならなくて、それは作っているという感じで、書く、というのは僕にとっては、作り上げるとは違うようです。僕にとって書くということは、日記なんです。その日の記録。その日に見たものの記録。朝、僕はiMacの前に座って、ちょこっと目を瞑って、自分に見えている世界を、ただ描写します。それだけなんです。見えなかったら、見えないまま書くんです。モヤがかかっていたらそのままで、名前も分からなければ分からないと、登場人物もコロコロ変わりますし、登場人物の性格も一定ではなく、男だったのが女になったり、死んだり、生きたり、時間も進んだり遡ったり、とにかく見えているままに書くのです。それを僕は日記だと思ってます。僕の主張は入ってない、僕はそこにいなかったりする、そこを見ている話し手になる人物も僕じゃなかったりします。そういうことにできるだけ忠実にやっていく。それが僕にとっての書く、ということです。だから思想は入っていない、とは言えないかもしれません。その時その時にその見えている世界の中で出会った人々の思想は入り込んできていると思うからです。それにしても日記はとても僕に合っている。それは突然、違うことを書いても、問題がないとみんなが思ってくれる土壌だからですかね、一日で、ただ1日という時間の区切りだけで、ブチ切ることができる、繋がってなくても問題がない、というか、繋がっていないということで繋がっている。そういう日記のあり方は僕の全ての制作物に影響を与えていると思います。最初に書いた文章でも、起きた出来事だけでなく、その時に聞いていた音楽の名前も記録してます。かつ、日記は何のために書いているのか、というと、ツイログについても書きましたが、ほとんど振り返ることのない僕にとっての重要なアーカイブとしてです。アーカイブとしてのみ機能しているような気もしますが、いや、それだけじゃないかな、日記の中で、幾つもの要素を幾つもの方向性で、多面的に、時には平面的に、表面だけの感じ、深みのある感じ、奥行きの違い、みたいなものも日記だと、平易な文章で表すことができる。平易であるのは僕にとってとても重要です。平易というのは、みんなが使う言葉って感じです。高校生くらいの常用漢字だけでやっていく。その理由は、それでビートを刻みながら、上物に色々乗っけていく、で、平易な言葉はみんながある程度、使い倒しているので、言葉に疑問がないんですね、疑問がないために、僕がその言葉を全く違う角度から焦点を当てて使っていても、読んでくれるんです。そうやって、また別の次元の音楽に繋げていく、みたいなことがやりやすい。小説みたいに銘打ってしまうと、読む人が最初から、構えちゃうので、言葉が自由に動きにくくなる。意味を読み取ろうとしてしまうわけです。こっちは意味なんか示したくないわけですよ。音楽の意味、なんか言っても、ちゃんちゃらおかしいですから、なんか心地よいとか、なんか気持ち良い、なんか心が動く、くらいで十分なんです。そういう土壌として、日記が活きてきます。それで、どんなことでも書いていい、唐突でも、時間軸だけで、みんな疑問に思わずつい読んじゃう。だいたい、どんなテキストもこうやって僕は作ってます。思想が入っているかということでは、つまり、こういうことをしてること自体が僕の思想ってことなんですかね、そう考えると、思想は全体に染み渡ってますが、僕は何を書こうか、これは書かない、これを書く、みたいな選別は全くしていないような気がします。わかってないこと、見えていないことは書かない、見えているものは書けるだけ書く、結局、書かなかったものは、めんどくさくて書けなかったものでしかないです。それでも書けなかったものがありえないくらいあるんですよね。そういうのをできるだけ舐め回すように書きたいんです。だから日記として、もう20年間、ある意味では1日も休まず書いているんでしょう。まだまだ書き足りないです。あと45年は毎日書くのでしょう。書きたい感覚があります。その感覚をそのまま書き表せたことはありません。だから、毎日やります。

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