坂口恭平100問100答 第13問 ドライヴ


13. ドライヴ


坂口さんの小説や詩を除いた著作における文体には、ある特徴があります。それは読み手の感覚を「ドライヴ」していくというものです。小説や詩においてもまた別の「ドライヴ」はあるのですが、エッセイなどに現れるここで触れたい「ドライヴ」感というのは、文の「読みやすさ」に近い話です。それも、ただ読みやすいのではなくて、自然に次の文へ、そして次の話題へ、次の本へと促されていくような効果が付与されています。「死にたい」を抱えた読者にとって、この「ドライヴ」感、さらには文の規模の拡張というものが、そのまま生きる時間の拡張につながっているのではないでしょうか。まず坂口さんが発生させてくれる「ドライヴ」に浸っているだけで生きられる心地がしてくる(同じ時間を感じる)、そしてそれが次のページへ、次の本へ、次の活動へと開かれていくうちに、読者はいずれは制作者になり、生きる時間が拡張されていることに気づくのです。この「導線」が整備されているところにも、坂口さんの総合的な活動の意味合いが見出せるかと思います。エッセイなどに見出せるこのような「ドライヴ」文体は、坂口さんも「ドライヴ」していて、それをそのまま書き写しているという感じなのでしょうか。それとも構築的に組み立てていくこともあるのでしょうか。


答:

 
 小説と詩を書くときと、エッセイや日記を書くときは、全く違う書き方をしてますね。それはそれぞれ役割が違うからでしょう。小説と詩に関しては、僕は自分が見たものを書いてます。そのまま書くんです。
 ぼんやりとしているようで、私はまだ寝起きだったからか、寝起きと言いつつ、私は寝た記憶がないので、少し肌寒くて、私は服を着ていたが、それは私が知らない服だった、誰に貰ったのかも知らないし、買った覚えはない。財布はないし、金もない、手に持っているものもない、私は何か書くものを持っていたが、筆のようなもの、それで私は何かを書いているらしい、遠くに山が、濃い紫色の墨のような山、私はその山を遠くに見ているのに、動物の動く姿が目に映っているのでそれを見ている、空は真っ白だ。夜が明けたばかりの真っ白な空、雲で覆われているから白いのか太陽の姿は見えないが、雲の奥には、それは雲に見えないで、全く空にしか感じられないのだが、その奥に巨大な太陽が光を放っていて、それは見えないのに、その薄い雲で全面を覆われた広い空の向こうに光が充満しているのは感じ取れた。
 試しに、今、見えている情景を適当にさっと書き取ってみました。僕が小説か詩を描く場合、いつも、この場所を書いてます。この場所はなんの場所かはわかりませんが、現実とは少し時間も違うようで、暑い日に少し肌寒い情景が見えるときもあります。だから少し違うとわかります。見ている当人も、僕のようで、僕じゃないような少し未来だったり、ずっと昔、太古の時もあります。僕が人間じゃない時もあります。でも、そういう場所があるので、そこで見えているものをただ素直に、それをただ直列に繋いで、書いていくのです。書くたびに、視点が変わったりします。でもそれがその場所、その世界では普通なので、そのまま書いてみます。そんなわけで、何かのドライヴはあるが、確かに、読みやすいとはまた別の感じになるのかもしれません。その時の自分の中での約束は、とにかく嘘をつかない、見えていないものを書かない、でも同時に、感じているだけのようなものも見えているとみなして全部、見えているものとして書く、という感じです。そのため、最初は「。」がほとんどなく、全て「、」で続いている文章になります。それは誰かに読んでもらおうという意識が全くないとは言えないですが、それよりも大事なことはしっかり自分が見えているものを見えているまんまに書いてみるという練習です。僕は小説を書きながら、何かの練習をしているような感じがあります。そして、僕が書いた小説は少し読みにくいし、なんでそんなものを書いているのか、と、わけがわからないところがたくさんあるのかもしれません、人はついついいろんな描写に、小説家は意味を持たせていると思い込んでいるからでしょうが、僕の場合には、書かれた描写には一切の意味がありません。ただ写真を撮るように、ただ見えているまんまに書いているので、自分でも意味がわからないことは多々ありますが、僕は自分自身にこれはどんな意味があるのか、とは問いません。風景が見えているので、風景だ、というだけです。意味はないので、人は混乱するのかもしれませんが、僕にとってはとても自然なことをやっているまでです、だから、あんまり読んでもらえていません。でもそれでいいのです。僕としてはいろんな書き方があり、それぞれに大事なのです。もちろん僕にとって、というだけなので、小説の場合、全然売れません。詩も全く読んでもらえてません。でも詩は歌にした途端、みんなに馴染み深いものになるみたいです。音楽を導入して、音楽と一緒にその風景を口にすると、みんな受け入れてくれます。でもどっちが大事とかそういうことではありません。僕は何か、ただ確認するためにだけ、作っているようなところがあります。
 それで、エッセイや日記、などの書き方、そのドライヴについての質問ですね。僕の文章は読みやすいとは思います。でも読みやすく書きたいと思って書いているわけではありません。そうではなく、僕の中で一番書きやすい方法で書いてます。自分なりの方法で書いたら読みにくいので、多くの人が読めるように、読みやすい文章を書いているというわけではなく、僕の書き方がこうなわけです。難しい単語もほとんど使いませんし、僕は本を読んできていないので、誰かが使っている言葉とかを利用するということがほとんどないのも理由なのかなと思います。僕は英語もそうですが、語彙が少ないです。中学生くらいまでの漢字だけを使ってます。でも、その少ない語彙ではありますが、言いたいことはたくさんあります。それは無限大にあるような感じがあります。そして、読みやすい言葉でわかりやすいことを伝えたいというのとも違って、僕が書きたいのは、なかなか言葉にするのが難しい、でも僕が表に現したいと思っていること、言葉にできないような感覚を、僕が持っている少ない語彙で、できるだけ言い表してみたい、という感じでしょうか。英語でも僕は延々と僕が話したいことを、30くらいの英単語で話すことができます。三歳児が哲学を話しているような感覚になるみたいです、現地の人が聞いたら。だから、僕は日記やエッセイの時は、僕が話しているように書いているってことなのかもしれません。でも面白いことに、僕は話すよりも、書くことのほうが早いです。なんなら、何を話しているかというと、僕が書くように話しているって感じです。僕は話をするよりも、まず書いている。それは幼少の頃から、そうかもしれません。僕はいつも書いてました。紙に書いていたわけじゃありません。一休さん、の寓話の「このはしわたるべがらず」という昔話を聞いた時か忘れてしまいましたが、僕の中に町があって、そこで瓦版を書く人がいました。書いていたのは僕ですが、僕はいつも自分が伝えたいと思っていることが幼少の時からあったのですが、なかなか言葉にならず声にならず、というか、話をしてもあんまり理解してくれないと思ったら、すぐに僕は心の中の瓦版に文章を書いてました。当時、話ができる人は、弟くらいでした。弟はかなり僕の理解者で、僕は弟に今起きている現象のどこが意味があるか、どこが面白いのか、どこが奇跡的なのかとかをよく弟にわかりやすく説明してました。それを聞いて弟はよく感動してくれたものです。おかげで、弟はかなり早い段階で、僕のことを、なんらかの芸術家のような人と認識してくれてました。小学生の頃にはもうそれは起きていて、中学生くらいになると、かなりはっきりと固まっていたような感じがします。弟に伝えられないものもありました。弟がずっと横にいるわけじゃないからです。横にいないと意味がありませんでした。印象的なことは現実の世界で起きますし、今この瞬間に起きるので、一緒に誰かといる時に、奇跡を目の当たりにして、なぜそれが奇跡なのかを伝えるためには一緒にいる必要があるからです。弟が一緒にいない時は、いつものように僕は瓦版に書いてました。ペンや紙を使っていたら、遅いんです。この瞬間の何がすごいのか、奇跡的なのかってことを、伝える必要があるので。そのために僕は4歳くらいから心の中の瓦版に何かを書いてました。その瓦版の一つが『幻年時代』の元になっているのですが、つまり、瓦版が今では、小説や詩になっていると思います。それは即座に僕が書いていることです。何か感じたとき、奇跡を目の当たりにしたい時、僕はそれを人に即座に伝える必要がある、伝えたい、と思ってしまいます。でも、それを即座に声にすることはなかなか難しいので、書く必要があります。僕は今、この心の中の瓦版を、僕のエッセイなどの文体の元になっていると説明したくて書いていたのですが、書いた結果にわかったのは、この心の中の瓦版は実は今の小説や詩の元になっているんだということが今の今、理解できました。それで、僕が弟に話をしていたこと、弟に伝えるように、これが、まさに今のエッセイや日記の元になっているんだとわかりました。僕はエッセイや日記は、話すように書いていると思ってましたが、ただ話すように書いていたわけではなく、「弟に」話すように書いていたんですね。弟はどんなことでも僕が話すことを理解するっていうか、あ、そういうふうに言うんだ、あ、そういうふうに物事は連関しているんだ、繋がって、しかもあのあり得ないくらい遠いところにあるものとも、確かに繋がっていて、そこが新しいね、とか、弟は現在パルコ出版の有能な編集者ですが、とにかく彼は編集者だったわけです、僕とずっと、僕もずっと作家だったんですね、きっと。僕は4歳の時に、何か伝えたいということがあり、誰も信じてはくれないですが、そんなことを言ったら、それは0歳よりもっと遥か昔の、胎児の時から、伝えたいことがあったんです。誰にも伝えたいのに、そうです、僕は最初に感じているのは一緒に誰かいてくれたら、今この目の前で起きていることが一体なんなのかを説明できるのに、そしてみんなで共有して、これはとても希望を感じる、新しい! 創造的でワクワクする!とかみんなで言い合いたいですよ、ほんとは、胎児の時だって、僕はそうでした。僕は母親と話をすることができてました。というか、僕が勝手に、読み取っていただけですが、母親に言葉を贈ることができないわけです。動いて反応するしかできない。しかし、こちらはしっかりと母親の感情が言語として伝わっていましたし、私もそれを外に表す言語を持ってました。だからほんとはその時弟がいてくれたらいいなと思ってますが、弟はまだ生まれてもいません。しかし、僕は弟が生まれる前から、うん、それ面白いね、その表現最高だよ、と励ましてくれる人がいたのです。それが心の中にいた瓦版を毎日読んでくれる僕の心の中の世界の街の住民たちです。彼らは複数いました。弟と初めて会った時、その街の住民の一人のように感じたものです。まるで「はだしのゲン」のゲンが僕で、死んだ弟進次が、僕の心のなかにいた街の住民であり、その街での僕の弟、そして、その後現れた隆太が、まさに、その後、現実世界に生まれてきた僕の実の弟のようでした。実の弟の名前はりょうたというのですがリュウタとリョウタでなんだか名前も近いのです。はだしのゲンを読んだことのない人にはなんだそれって話かもしれませんが、はだしのゲンこそ、僕が小学一年生の時に、母親が買ってくれた、僕の一番最初に全巻集めた漫画が『はだしのゲン』でした。僕の息子はゲンというのですが、もちろんその名前も中岡元から頂いたものです。息子は弦楽器の弦ですが。元の名前は弦ではなく「幻」と書いてゲンでした。妻のフーちゃんに、幻はまぼろしになりそうで不安、ということで、弦になったのですが、今でも僕の中ではゲンの漢字は「幻」です。幻年時代の幻です。ちょうどその本が出版された2013年にゲンは生まれました。平安時代、「まぼろし」という言葉は、消えてなくなる幻影という意味ではなく、まぼろ、を生み出す士ということで、幻術士のことを指していたそうです。とかこんな話を僕は今でも弟に話し聞かせたいんですよね。だから、こうやって、いろんな話が交錯するんだと思います。これとこれが繋がって、こうなる、と口にすると、弟が感動してくれるからです。僕の文体が一切ブレないのは(僕はそう思っているのですが)まさに想定している読者がブレてないからでしょう。僕が想定する読者が弟のリョウタなのです。その意味で、僕と弟は僕が4歳くらいからずっと作家と編集者の関係でした(現実の世界ではまだ一度も一緒に本を作ったことはないのですが)。僕と弟は何もない世界で、両親が毎日喧嘩する世界の中で、つまり、つまんない世界で、毎日、抜群に面白い制作の日々を送ってました。いつも僕が何かを発見したり思いついたりすることで全てが始まってました。でも同時に、いつもその発見を我がことのように喜び、さらに形にしていこうと僕の気持ちを盛り上げる編集者弟の存在がいたことはどれだけ強調しても仕切れません。弟こそ、僕のエッセイの源流です。そして、弟以前に、僕は瓦版に書いており、それこそが小説の源流です。僕の根源には小説があります。でもそれは現実世界には読者はいなくても良いのです。僕の心の中の現実に住む多くの住民のために書いているからです。彼らの読解力は果てしないです。どこまでも読み取ってくれます。弟は彼らとはまたちょっと違います。弟は僕に心の中だけでなく、現実というものが他にあることを教えてくれました。それが僕が今、付き合っている、そして、皆さんが読んでくれているこの日本社会という現実です。僕はこの現実以前に、私の中にある現実だけで生きてました。そこで僕は毎日、書き続けていたのです。小説を翻訳して弟に伝えていた。エッセイはその意味では僕にとっては自分で翻訳している感じです。読みやすくする、というよりも、あちらの現実の言語をこちらの現実の言語に翻訳しているのです。ついついみんなが読んでくれて、何かやりたくなってくれているとしたら、それはつまり、この翻訳を読んで、僕の心の中の、それこそ僕の根源的な現実なのですが、その現実のことを少しだけ、時空間としてリアリティを持って、感じてくれているからかもしれません。そして、その私の中の現実の中では、もしかしたら、読者の方だって、僕も何か作れる、と勇気を持てちゃっているのかもしれません。まさに弟がそんな気持ちになっていたのかもしれないと、それはずっと前から思ってました。それで僕と弟は現実の世界でものちに、作家と編集者として、今も変わらず作品を作り続けているんでしょう。

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