坂口恭平100問100答 第18問 翻訳

18. 翻訳


坂口さんは今後実際の翻訳のお仕事はされないのでしょうか。坂口さんの「憑依」的な現象について考えていると、坂口さんの翻訳はとても面白そうというか、読んでみたいと強く思いました。実際の、と前につけたのはすでに小説の形で翻訳は存在しているからです。坂口さんの言葉でたとえば『千のプラトー』が翻訳されていると考えることができる。そういった体験に対して、実際の翻訳はかなりの縛り、制限を坂口さんに課してしまうものなのかなとは思います。町田康さんが『口訳 古事記』を書いたように、坂口さんの口訳古典があったら面白そうです(読んでみたいとか面白そうとかは禁句ですよね、自分ではじめればいいのですから)。それはいま気軽に言葉にしてしまっている僕の勝手な意見であり申し訳ないのですが、石牟礼道子さんの影響も含め、坂口さんにとって「訳すこと」というのは大きな役割を持つように思えます。坂口さんを語る上で、様々なレベルにおける「翻訳」性は見過ごすことができないと思います。

答:

 翻訳については、もとが村上春樹育ちですので、やってみたいなとは思うんですよね。村上春樹繋がりで、柴田元幸さんも可愛がってくれて、僕にMONKEYという雑誌にいつも短編を書いてみて、と声をかけてくれます。毎号、僕の短編と絵を掲載してくれます。しかも、驚くべきことに、柴田さんは僕が書いた短編をほどオンタイムで、サムマリッサさんに翻訳を頼んでくれます。これは大変なことだと思います。サムさんの翻訳がまた素晴らしく、そのことについてはMONKEY第31号の「読書」特集での柴田さんがローランドケルツさんにインタビューした記事を読んでもらえたらと思ってます。このように僕の原稿はとても素晴らしい翻訳者に恵まれていて、短編小説は、ほぼ全て、鬱の時に書くのですが、鬱の時に、漂っている空間世界をそのまんま書いてます、これが僕の中で唯一オンタイムで翻訳されて英語圏の人が読めている、という現状がとても興味深いです。僕はどんなふうに映っているのでしょうか。そういう楽しい仕掛けを企ててくれる柴田さんには感謝してますし、いつか、柴田さんに、僕が英語圏の本を日本語に翻訳した原稿を送ってみたい、なんてことを思っていたりします。英語の本で翻訳しようとしたことはないことはないんです。僕が持っている英語の本は2冊だけで、一冊がケルアックの『地下街の人々』です。これはドゥルーズの批評と臨床で、この地下街の人々についての言及があり、興味を持って、新潮文庫で翻訳があるにはありますが、自分でもやってみようと、しかも薄い本ですので、できるかなあ、なんて思ってましたが、やってみたら、退屈しちゃって、やめました。読んでいたら、やっぱり自分で書こうと思ってしまうからです。あとはデビット・フォスターウォレスというまさに僕と今、同い年にあたる46歳で自殺してしまった、僕の好きな小説家の最大最長のとんでもない長編小説『INIFINIT JEST』を「永遠にバカ」というタイトルで、翻訳しようとしましたが、これも途中で飽きちゃってやめました。でもまたやってみようかな、とちょっと思いました。でも、今は時間があると、すぐ自分の原稿を書きたくなってしまうので、読書自体、なかなかできません。それが本は読めるようになったんです最近。そのことについては、書きましたかね。書いていないかもしれません。またあとで書きましょう。それで、もう一つは古典の現代語訳ですが、これも本当はやってみたいんですが、方丈記とか、道元の正法眼蔵とか、をやってみたいと思ってますが、何かきっかけがないと難しそうですが、やったら本になると思うと、やればいいのにな、なんて思いますが、やっぱり今は、翻訳という意味では自分の体の翻訳をしたい、というのが一番強いです。この質問箱も、そういう意味で、自分の体の記憶の心の経験の翻訳、という意味合いが強いかもしれません。あ、思い出しました、一つ、僕は翻訳をやっていたのを思い出しました。というか、これまでやってきた翻訳をちょっと、ファイルを開いてみましょう。書いて以来、全く振り返っていない原稿です。楽しみになってきました。ファイルを探します。

ファイルが見つかりました。まずはデビット・フォスター・ウォレスの「永遠にバカ」の翻訳をお送りします。


***************************************************


 『永遠にバカ』  デビット・フォスター・ウォレス  翻訳:坂口恭平


  1 うれしかった一年  


 ぼくは職員室にいて、名前も知らない何人かの変な顔と体に囲まれたまま、椅子にすわっていた。猫背だってのに、まっすぐ伸びた固い背もたれに、背骨をおしつけた。十一月のこのクソ暑い日を忘れるくらい寒い部屋で、豪華な板張りに二重窓、外のチンケな受付からは想像もつかない場所に、チャールズおっちゃんとミスター・デリント、そしてぼくが座っていた。ここまで来るのに、ずいぶん手間取った。  

 それでもぼくは今、ここにいる。   

 しかめつらした三人組が、アリゾナの午後の光でテカテカになったマツの会議テーブルを横切ると、夏用ジャケットを脱ぎ、ウィンザーノットで結んだネクタイを緩めた。  

 学長と教務部長と体育学部長らしいが、ぼくは誰が誰なのかさっぱりわからない。  

 ぼくはちょっと偏ってて、楽しそうな人って思われたり、笑顔を見せることすらできないんだけど、このときはできるだけ普通に見えるようにしていたし、むしろ感じよくしていたと思う。  

 ぼくは慎重に脚を組むと、ズボンの膝のところで手を合わせた。交差した両手の指はXの文字に見え、これから身に起こることを映し出しているように感じさせた。面接には他に人事課の職員もいて(それはつまり大学の創立委員であり、テニスチームのコーチでもあったぼくの隣にいるミスター・デリントなのだが)、さらに他にも、ぼんやりとしか見えないが、立ったり、座ったりを繰り返す人たちがいる。ミスター・デリントは小銭をじゃらじゃら鳴らしながら学部長たちと向かい合っていた。それはさっきから匂う、この部屋の臭さを追っ払うための仕草に思えた。ただでもらった高性能トラクション・ソール付きのナイキスニーカーを履いたぼくの右にいる彼は、ぼくの腹違いの兄の母から借りてきたローファーをどうにか履いてお願いした通りに座ってはいたが、彼のこの大学でのテニスコーチとしての地位と同じように揺れ動いていた。  

 向かって左の黄ばんだ学部長は作り笑いをしながらそり返っている。なのに、足元を見ると、靴を踏みならしていて、どうせ協力なんかする気ないんだろう。最近わかってきたことだが、こういうやつは、なんでもやってあげるとか言いながら、何をお願いしても「忘れてた」とか言って返事しないまま放っとくんだ。真ん中に座ってる毛むくじゃらのライオンみたいなやつも、マークシートにあれこれ言いながら笑顔で目を通している。


「あなたがハロルド・インカンデンザさんですね。十八歳。あと一ヶ月ほどで高校を卒業し、マサチューセッツ州アンフィールドにあるアンフィールド・テニス・アカデミーの寄宿学校に入学予定とのこと」  


 ライオンのメガネはほぼ長方形で、上と下の縁だけ少し丸い。


***************************************************

冒頭の冒頭しかできてませんが、今読み返すと、いい感じでした。面白い!もっと読みたくなりますね。さて、次は、ケルアックの地下街の人々の翻訳です。

***************************************


The Subterraneans

地下街の人びと

ジャック・ケルアック


 昔、僕は若かった。何をやりたいのかはっきりわかってた。頭はいつも冴えてて、こんな前置きなんかせずにどんなことでも細かく全てを一気に語ることができた。とは言いつつ、これは自信がなくて自己中心的な男の物語でもあるから楽しい話にはならないと思う。ま、とりあえず話をはじめよう。本当に起こったことだけを語るのが僕のやり方だ。ある生ぬるい夏の夜、あの子はジュリアン・アレグザンダーと一緒に車のフェンダーに腰掛けてた。ジュリアン・アレグザンダー。そう、まずはサンフランシスコに住む天使の話からはじめることにしよう。

 ジュリアン・アレグザンダーは地下街の人びとの中の天使だ。「地下街の人びと」ってのは僕の友だちの詩人アダム・ムーラッドがつけた名前。「地下街の人びとは口下手だけど物がわかってる人たちで、古臭くなくて、知的でエズラ・パウンドのことも知り尽くしているが、見せつけることもせずいつも静かで、キリストみたいだ」とアダム・ムーラッドは言った。ジュリアンは確かにキリストに似てる。僕はラリー・オハラと通りを歩いていた。興奮と狂気のサンフランシスコ生活を送っている間中ずっと一緒にいる古い飲み友だちだ。僕は酔っ払うといつもニコニコ愛想振りまきながら友だちに酒をたかってしまう。若い頃からそんな悪い習慣身につけちゃダメだ、なんて誰も言わなかった。でもたぶん僕のたかり癖には気づいてたと思うけど。みんな僕のことを気に入ってくれてた。「君のガソリンを求めてみんながやってくる。たかられてるのは君かもよ」サムはそんな感じのことを言ってた。で、ラリーオハラはいつも僕によくしてくれた。この頭のいかれた男はアイルランド生まれの若いビジネスマンで、彼がやってる本屋の奥にはバルザック風の書斎があり、そこでハッパを吸いながら、ありし日の偉大なるベイシー楽団やチューベリー楽団たちについて語り合ったもんだ。彼についてはあとでまた話そう。というかあの子は彼とも付き合っていた。というか、みんなと付き合ってた。なぜなら僕が不安定でちっとも落ち着かず心がいろんな状態に移ろっていたのを知ってたからだろう。僕は自分の悩みや苦しみを打ち明けたことがなかった。ほっとくとどこまでも話が広がっていくけど、どこまで話したっけ、そうだ、そんなことを思い出そうとしていたんじゃなくて、僕はまっすぐ家に帰って、家といっても四方から壁が押し寄せてきそうな憂鬱な狭い部屋で、サラ・ヴォーンとゲリーマリガンのラジオの番組でも聴こうとしていたときだった。彼らはモンゴメリー通りの「黒仮面」って名前のバーの前に停めた車のフェンダー、ちょうど前輪の上あたりに座っていた。ジュリアン・アレグザンダーは若いキリストみたいに痩せて髭もじゃで黙ってる。その風貌はアダムだけでなくおそらく君だって終末に現れた天使とか地下街の聖者だと口にするはずだ。確かに彼は今この瞬間、完全なスターだった。そして、あの子、マードゥ・フォックス、僕が一番最初に角にあるダンテ・バーで彼女の顔を見たとき「まじすげえ、絶対にあのかわいい子とつきあわなくっちゃ」と神に誓った。彼女が黒人だったってのも大きい。しかも彼女は僕の妹が小さかった頃の友人リタ・サヴェジと同じ顔をしてた。当時の僕は彼女のことをあれこれいつも妄想してて、特にトイレに座ったときは自分の股間を見ながら、彼女の美しい唇とネイティヴアメリカンみたいに優しく締まってる高い頬骨を思い浮かべていた。リタよりももっと甘くて黒い顔、そして純真な小さな目はいつも情熱的に光り輝いてるマードゥは真面目な顔でとんでもない言葉をロス・ウォーレンシュタイン(ジュリアンの友だちだ)に向かってテーブルに深くもたれかかりながら話していた。「僕は彼女と付き合うんだ」僕は彼女の陽気でセクシーな目を見つめようとした。彼女は一度も気づいてこっちを見ることもなければ、僕なんか視界にすら入ってなかったと思う。



******************************************


 これもなんか良くないすか?もっと読みたい。確かに僕は翻訳をした方がいいかもしれません。調子に乗って、柴田さんに送ってみようと思います。世界で一番すごい人にメールを自信を持って送ることができる。おそれもなしに。それが僕の長所です。さて、柴田さんにメールを送ってみましょう。送ってみました。


 柴田さんお久しぶりです。 ふと、冒頭だけですが、翻訳してみました。 デビットフォスターウォレスのINIFINITE JESTとケルアックの地下街の人々です。 どうですかね? こんな世界一の翻訳者に読んでもらうなんて厚かましいですが、 翻訳やってみたらいいですかね、向いてるかどうか、単刀直入に言ってください! 柴田さんだけ僕に小説を書けと言ってくれるので、つい甘えてメール送っちゃいました。 よろしくお願いします。 坂口恭平


 さてどうなるでしょうかね。返事が楽しみです。そして、もう一つ、僕は南方熊楠の現代語訳をやろうとしてます。それもおそらくどこかにファイルがあるので、見つけてきます、今から行ってきます。


 ありました。すぐにコピペしてみます。


*****************************************


熊楠自伝


大体、おれのことを勘違いしているやつばかりで、困る。どいつもこいつも通り一遍な見方、おれの一つの面を、いかにも観察しきったというような気取った名文風の文字で書き連ね、ただの奇人であると世の中に広めてやがって。馬鹿野郎。迷惑な話だ。もうこうなったら、自分で書く。はっきり言っとくが、おれは伝記に書かれてあるような、変人ではない。あれは自称ジャーナリストたちが書いたデタラメである。我慢ならんおれは、とにかく今生きる人間に乗り移ってでも、ちゃんと自分のことを説明せんといかんと思った。そういうわけで誰でもよかった。生きている人間ならば、誰でも。幸い、一人のよくわからぬ人間を見つけた。しかも無駄な教養を身につけていない正真正銘の素直な阿呆だ。しかも、何もすることがなくて退屈なのだろうか、おれが乗り移っても文句一つ言わず、やるっていうのである。頭の中を調べたが、本当に空っぽで、逆にこちらが不安になってしまった。こんな空っぽな状態で、生きているってのは一体、どんな気持ちなのか、少し調べてみたくなってしまったくらいだ。しかし、そんなことをやっていて、いつあちらのほうへ連れていかれるかわからん。とにかくおれは、こいつの体を使って、おれのことを書いてみることにする。自伝なんてものは本当につまらんと思う。しかし、誤解され続けるのもつまらん。いつか、おれのことをちゃんと理解してくれるやつが現れると思っていたが、いつまでたっても、自由にゲロを吐いただの、幽霊と喋れただの、サーカス団で恋文代筆してただの、おれが吹いた法螺ばっかり特集し続けやがって、本来、おれが考えていたことなんか、誰一人として、探ろうとしておらん。なんだか研究書みたいなものもたくさん出てるらしいが、おれを研究してどうするんだ。おれは研究対象にはならん。研究しちゃダメなんだ。おれは一つの装置みたいなもんで、体に装着して、それでもって思考し、自由に現実を歩けるようにならんとダメだ。そのためにいろんなことを書き残しておるんだが、どうも研究者っちゅうもんは、頭でっかちでいかん。生前、会っておったら、絶対、むかついてゲロを吐いてしまいそうなやつばっかり墓の周りをうろうろしている。というわけで、今からおれのことを書きます。


 おれは慶応3年4月15日和歌山市に生まれた。親父は日高郡に今も30軒ほどしかない、とにかく寂れた村の庄屋の次男だった。13歳のとき、こんな村の庄屋になってもしょうがないと思い立ち、御坊町というところの金持ちの家の丁稚奉公に出る。力が弱い親父は、沢庵をもってこいと言われると、夜中ふんどしを解いて、梁にかけて、漬物石を動かし持っていったそうだ。その後、和歌山市に出てきて、清水という家で長い間、番頭として店を仕切り、主人が死ぬとその幼子をしっかりと守り、成人すると南方という家の入婿となった。南方家は雑賀屋といい、今も雑賀屋町といい、近頃まで和歌山監獄署があったその辺りが昔の雑賀屋の家だった。おれはそこで生まれた。


*******************************************


これも面白くないですか? もっとやった方がいいかもしれません。南方曼荼羅の翻訳もありますよ。


*******************************************



南方曼陀羅(土宜法竜書簡より)



意訳 坂口恭平





 子分である法竜コメムシくんへ                      

  



                                 金粟如来第三仏 南方熊楠より



 不思議なことが起きると、人は不思議だと言う。しかし不思議って一体なんだ。おれはいつもそう考える。不思議とは、この現実の中にあらわれる別の場所や時間なのではないか。そんなことを言ったら、この目の前の現実もまた不思議だ。この世界は次の五つの不思議で成り立っている。


 1 物不思議

 2 心不思議

 3 事不思議

 4 理不思議

 5 大不思議


 まず物不思議についてだが、これはつまり科学が解明しようとしてきた領域のことだ。今日、物不思議についてはあらかた片付いていることになってる。しかし、法則とか原理とかって大袈裟に言ってるが、実際のところは、ただ不思議を解剖して、順番通りにざっと並べているだけだ。

 心不思議とは文字通り、心の世界のことである。心理学って学問があるが、あれは脳や感覚器官から離れずに研究しているので、物不思議と変わらない。つまり、心ばかりの不思議についての学問というものはいまだ存在していない。坂口恭平だけが研究中である。

 現在、どうしようもないことに、物と心をバラバラに研究している者しかいない。そんなことだから、不思議だなあ、と馬鹿みたいにただぽかんとするだけになるのである。不思議だと感じた時は、本当は現実とは別の、見えなかろうが、実在する、別の世界に触れている。常に、物と心は交じり合っているのである。バラバラで存在していることなど一度もないのであって、おれはいつも同時に全てを感じているのだから、分けて考えることなく、いつも同時に全てを考えている。物と心が交じり合うとき、事が起きる。それが事不思議である。そこにも世界があるってことだ。

 事不思議については、数学者や論理学者たちによって今も研究が進行中である。ド・モールガン、ブールという二人の学者は数学、論理学の両面から精緻な研究を行っているが、悲しいかな、目の前の手柄に目が眩んでおり、うまくいっているとは言い難い。よって、事不思議もほとんど明らかになっていない。

 そういえばおれは一昨日からずっと眠っていない。イギリスに急いで送らないといけない論文書いてて、これがまた長文で、直してたら、また書き足したくなっちゃって、書きたいことを覚えておいて、あとで書くみたいなことが全然できなくて、書いている時にしか浮かばないもんだから、眠らずに書くしかない。三日も寝ずに生きていられるのは変だと思うやつもいるかもしれないが、前田正名氏なんかもこの徹夜の流儀を語ってたことがあった。寝ずに書き続けられる自分をすごいなと思ってはいるが、そもそもこの手紙を読んで理解できるやつはあんた以外にいない。正直言うと、さすがに今は眠い。でもおれは馬みたいに一回休むと、なかなか起きないから、濃い茶を飲んでどうにか書き終えたい。九ヶ国語で書いてるから、精神弱ってて、誤字脱字もあると思うから、見つけたらすぐ聞き返してね、すぐ答えるから。

 去年、パリで話したけど、易経とか禅の公案なんかは、粗くはあるけど、おれが書いてきたような不思議についての思考の跡が残っているから、感心するよ。

 さてさて、物心事の上に理不思議ってのがある。これはちょっと今は言わない方がいいかな。さっきも書いたけど、精神が疲れてるからたぶんうまく言い表せないから。


*************************************************


 いいじゃん、僕、翻訳できてますね。これ。もっとやったらいいと思います。僕は翻訳が好きです。多分向いてます。なぜなら、その人の声が聞こえてくるからでしょう。僕は声を聞くだけで、自分がその人にその人そのものになれます。古典現代語訳もできるし英語の翻訳もできるし、そういうことが好きで、僕じゃない自分になれるのも楽しいし、というか、自分じゃない人になっているのではなく、その人の中に含まれている、僕の成分を見つける感覚です。その感覚で、僕の成分があると感知した作家や芸術家や哲学者はどこまでも、僕はかけます。その人に成り代わっているのではありません。それは嘘の感覚だと思います。そうじゃなくて、憑依などないのです。そうじゃなくて、その人の、死んでしまった人の、中に、自分自身の成分を見つける、その研究者、科学者のつもりです。熊楠によると、僕は誰もまだ手をつけたことのない心の科学者らしいです。そういうことを言ってくれる熊楠がカッコ良すぎて、でも熊楠は生きている僕に、今生きていることに嫉妬しているそうです。いいなああ、今、生きてるのはいいなあ、と言ってます。熊楠のためにも僕は頑張りたいなと思ってます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?