坂口恭平100問100答 第15問 小説が解決する問題

15. 小説が解決する問題


この質問集の中でも僕が坂口さんの作品を社会の話と結びつけて話している箇所がありますが、決して坂口さんの小説がそれだけで収まるわけではないことにもここで触れておきたいと思います。社会的な問題は、あえて小説で解決しなくても良い。解決のための方法を小説の外側に多く持っている坂口さんが書く作品からは、そのような姿勢が感じられます。経済的な問題は解決できる。他も含めて様々な問題が解決していった先にそれでも残る問いとは何なのか、これこそが小説で追及されているものではないでしょうか。当たり前だという回答が返ってくるかもしれないのですが、坂口さんが小説に向かい合う際に思っていること、小説でどこに向かっているのか、どこをみているのかについて聞いてみたいです。


 社会の話ですよね、僕はあんまり興味がないんですよね。どういう社会にする、みたいなことを考えようと全くしてないかも知れません。そんなこと話をしても仕方がないんだと思ってます。だって、元がおかしいんだから。社会とは、ある地面の上に発生します。僕が感じているのは、この地面がおかしくなっているということです。つまり、それは僕が小さい時に感じたこと、土地を所有し、誰かが占有し、勝手に使っている。お金を持っている人が家を建てて、お金がない人は家から追い出される。そのこと自体がおかしいと思っているので、この地面の上で社会の話を延々としたところで、同じことだと思います。自民党が〜とか、野党が〜とか、すみませんが全く関心がなく、社会福祉が〜とか、自殺問題が〜とかすら何にも関心がありません。元がおかしいのです。と、僕が感じているだけですが。他の人はおかしいと思っていないんだと思います。だから、僕がおかしいんだと思います。僕は選挙には行きませんから。妻が必死に投票している姿を見て、ついつい同情して投票しにいくことはありますが、書くことは、お前らは間違っている、としか書いたことがありません笑。妻、ごめん。まあ、いいんです。それで僕は新政府を作りました。水面下で勝手にやってます。中国でこれをやって本まで出版すると殺されるそうです。ロシアでこれをやると毒を盛られて死ぬそうです。ロシアと中国が好きです。こんな直接的に、感じた恐怖への抵抗を行動に起こす国は、素直でいいです。それに比べ、ヨーロッパはなんですか。人を監視し、殺しまくっていたのに、今や、なんだかそれを反省して、環境問題まで気にしちゃっているらしいです。自由の国らしいです。僕が新政府を作ったことを伝えると、素晴らしいとヨーロッパ人に言われました。助成金が出るからグラント申請しろって言われました。ザ・ヨーロッパって感じですね。芸術家ってことにしたいんでしょうね私のことを。申請するわけありません。ガチなんですから。ロシアと中国の方がマシです。アメリカは金を稼ぐしか道がありません。起業家ですよね!どんなものを開発してもいいんです。お金が稼げれば。最高ですね。そして、でっかくなったらたんまり金が稼げて、しっかり政府ともつるみます。あんな国で成功したくないですね。英語なんか使いたくもないですね。グローバル!バンザイ!私は熊本でいいです。ここが天国です。私は国を信用してません。元がおかしいんですから。なので、一番しょうもない国こそ、一番チャンスがある、と考えてます。ロシアと中国で活動すると即座に殺されます。ヨーロッパでは多額の助成金がもらえ、さらにノーベル賞の可能性も出てくるでしょういのっちの電話に関して、しかし、そうすることで芸術家として慈善家として取り込まれていきます。僕としてはこのしょうもない国、世界で一番しょうもない国の代表である日本こそ、一番脆弱で、やっつけやすい政府だと考えてます。えっ、みんな、日本が貧困化するとか不安感じてたりしないですよね、逆にぶっつぶれた方がいいと思ってますよね? あ、違いましたか。それは僕だけでしたか。社会は地面の上に発生します。元が狂っているので、現在、社会は存在してません。僕の認識ではそうです。そして、一番しょうもない国でこそ、穴が開けられます。僕の視点ではそれが日本です。日本という国では有名にならなければ、政治家にならなければいいんです。そうすれば暗殺されることもありません。監視体制は脆弱です。なぜならこれは僕の視点ですが、アメリカの奴隷なので、僕の父親はNTT、当時は電電公社でしたけど、当時から、まあアメリカの言いなりなわけです。アメリカは中国を監視したい、だから、僕は福岡の電電公社でアメリカ人がいたのを見てますが、彼らが電電公社を使って、いろんなものを作ってたわけです。電電公社は当時(1978年)からスカイプやってました。中国だけ見てますから、日本人は完全に無視されてます。日本人は馬鹿だと思ってます。英語もできないどうしようもないやつだと思われているので、とても好都合です。そんなわけで、僕が新政府を作ったと本を出版したのですが、本来で言うと、これは内乱罪なわけです。死刑です。中国とロシアは真面目な国ですから、そういう本を出版すると、すぐに捕まり、刑務所で不慮の事故で殺されます。しかし、日本では素敵なことに、余裕で出版できます。地下出版とかではありません。おかしなことに、日本有数の出版社である講談社から出ちゃいました。最高です。お金もたくさんもらいました。ありがとうございます。朝日新聞も馬鹿なんで、『坂口恭平、新政府を設立、初代内閣総理大臣に就任する』という見出しまでつけて記事にしてくれました。日本ってすごいと思いませんか? 僕には可能性しか感じられません。飯はまずいし野菜もまずいし魚はしょうもないのにハリボテみたいなホテルとかマンション立ち並んでそれが何億円もして給料安いのに、みんなまっすぐ東京に向かいます。日本政府も馬鹿なら、日本国民も大方馬鹿で、しっかりうまくいきました!何にも起きない国、日本。反乱が全く起きないことになってます。それでいいんです。そのままでいいんです。そのまま腐っていきましょう。完全に腐らないと、元がおかしいことが判明しないので。私が見るに、このように、世界のどこを探しても、日本ほど、気楽にいられる場所はありません。日本の東京以外ならどこでもいい感じがします。できるだけ離れておくこと、それが僕に課した唯一の方法でした。僕が選んだのは、九州熊本、僕が生まれた場所でもあります、明治政府に反乱を起こした人たちが住んでいた場所でもあります。オウム真理教という日本政府を潰そうとして失敗した教団が生まれた場所でもあります。おっかない場所です。興味深いことに、新政府を立ち上げたと僕が言って、笑う人がこの熊本では少なかったです。当然ばい、と言う人の方が多かった。ま、それもどうでもいいのですが。

 社会の話じゃない、小説の話なのに、ついつい、社会の話ばかりしているように思えるかもしれませんが、そうじゃなくて、社会など存在しないと僕が思っているということを言いたかっただけです。おそらく僕は狂っているのかもしれません。僕自身としてはとても落ち着き穏やかな気持ちで話しているのですが。言っていることは無茶苦茶です。もちろん僕もそう思われるだろうということは認識してますので、狂っていると言われても、ごもっともとしか思いません。まあ、口では小説と言ってますが、僕の中では小説、ではないんだと思います。それはどちらかというと、詩に近いのかもしれません。僕の認識ではどんな国も発生するときに、社会の枠組みなんか発生してません。そんなのはずっと後のことです。まず発生するときに、一人の人間が発生します。それは絶対に複数ではないと思います。一人の人間が発生する。そして、その一人の人間が、別の次元の世界をのぞいている。そして、その別の次元の世界をのぞいている様子を口にします。口にするのは、他の人には最初は、訳のわからないもの、話が繋がらないもの、知っている言葉を使っているが、組み合わせがおかしいもの、狂っているもの、出鱈目なものに映ります。感じられます。だから、肯定も否定もできないものとして、それが逆に、避けたいものとして浮かび上がってくるでしょう。なので、その人はいつも一人です。無視され、川辺に追いやられて、その前の社会から弾かれてしまうでしょう。だから一人です。いつも一人です。ですが、別の次元の世界が見えてます。見えているものをそのまま描写します。それが詩です。でも最初は詩だとは感じられないでしょう。出鱈目だと笑われるでしょう。ですが、その一人は殺されない限りは永遠にやめません。その描写は次第に量を重ね、一つの世界として、少しずつ以前の社会に形を見せ始めるでしょう。そして、それは少しずつ詩という魂に、肉片や骨がまとわりつき、神話となっていくのかもしれません。そして、神話が完成したとき、それは一つの共同体にとっての重要な新しい時空間として、人々の前にようやく生き物として姿を現します。そして、共同体はその一人が死んだのちにクニを作るかもしれません。そのクニは一つの社会を形成するでしょう。しかし、僕は生きてますので、そのクニについてはあんまり考えません。僕がやろうとしているのはこのような一連の流れを、この世界一しょうもない脆弱な日本で延々と死ぬまで行動してみようと思っているのです。だから、社会とか小説とかそういう区別ではないのです。私はまず誰からも笑われながら詩を歌うでしょう。歌っているつもりです今も。もちろん、しっかり笑われてます。大丈夫です。今のところ、台本通りなはずです。そして、私はその詩を重ねて時空間を形成しようと、今年からさらに、行動の質を変えているつもりです。次に僕が向かっているのが神話の制作です。そして、私は晩年一つの共同体を形成するでしょう。どうせ僕が死ねばクニになります。そして、また僕が死んだらクソな社会が出来上がるのです。それが素敵な生き物の循環なんでしょう!

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