坂口恭平さん 100問100答 7日目



「宴」のことを思い出す。

物だけでなく、態度経済も作れて、人も呼べる坂口恭平が制作した「宴」である。

そこには建物が、火が、煙が、絵が、敷物が、楽器が、歌が、作物が、料理が、が、あった。聴覚を、嗅覚を、味覚を、視覚を、触覚を、を、感じた。「死にたい」から遠ざかろうと制作に励む人々で賑わっている。作品が市のなかを行ったり来たり。流れるように早口で喋る坂口さんがいた。彼がゆっくり語り始めた時には、土地の物語を紡ぐ先祖のことを共に想った。この「宴」は、あまりに人を生かすもので溢れている。

僕は、華やかな「宴」の後にこぼれ落ちてしまう余剰を、なんとかして言葉に変えてみたいと思った。




PART1 根

(1〜11)



1.赤瀬川原平

鴨長明も師匠の一人に挙げられていましたが、彼らは複数の分野における制作を同時に成し遂げていたことから坂口さんの参考になっています。とりわけ赤瀬川原平の場合は、美術や文芸に取り組んでいた点だけではなく、都市に対する批評観やその実践に関しても坂口さんとの類似が見出せます。すでに多くの機会で語られているために赤瀬川との重なりを強調することもイマイチかなと思うのですが、やはり赤瀬川は坂口さんに制作のきっかけを与えた点においても重要な存在だと思います。この「制作へとつながる出会い」とでもいえるような体験について質問をしてみたいです。坂口さんの制作論に則って考えるならば、はじめにまず自分自身が何をやりたいのか、何に興味を持っているのか、自分自身の固有の「声」に気づくことが必要でした。その「声」は「死にたい」に対しての「薬」にもなり得るので、「声」のする方向に自分の制作を延ばしていきたい。しかし同時に、この最初期の過程においては、自分自身を一気に惹きつける作品との電撃的な出会いの体験が必要かもしれないとも思うのです。僕もいま文章を書く形で制作をしていると言えるわけですが、やはりある批評との印象的な出会いの瞬間があったことを今でも覚えていますし、自分の制作もいくらかその方向に向かっていったのではないかと考えています。坂口さんは、赤瀬川原平との出会いを決定的な要因として位置づけますでしょうか。それとも、そうした体験がなくとも、影響をあまり受けずとも、自分の内側から制作の芽を育てていくことができると考えますか。


2.南方熊楠

水木しげるの『猫楠』という漫画を読んでいて、実際どこまでが本物の熊楠と重なるかはわからないのですけれども、熊楠のとてつもないバイタリティに驚きます。バイタリティだけでなく、気前の良さという点でも坂口さんと共通していますね。本をたくさん読んで外からの情報を入れながらも、まずは自らのからだを実験台にして学ぶような姿勢にも同じことが言えると思います。ここで触れてみたいのは、熊楠の「粘菌」の見方についてです。人が生きていると思っているときの粘菌は実は死物で、繁殖の胞子を守っているだけであり、粘菌という生命がもっとも活動しているときには、見た目には痰のようなものとして死物に見えるという問題。実は死んでいるのに、死んでいる粘菌をみて、人は粘菌が生えたという。活性化している状態の粘菌を、死物同然とみる。ここから「死んだら何もないと考えるのはおかしい」という熊楠の考えが展開されていきます。粘菌の世界をみれば、死んだと見える状態に似ているときに粘菌はもっとも活性化している。ならば人間にも同じことが考えられるのではないか。坂口さんの鬱との関係は、粘菌の例からも説明ができるように思いました。熊楠の文士としての姿勢や態度だけではなく、細菌などを例にした細かな点においても坂口さんとの類似は見出せるのでしょうか。また、こうしたことを踏まえて南方熊楠に言及されていたのでしょうか。坂口さんと霊との関係についても、熊楠を経由して考えてみようと思いました。


3.中沢新一

坂口さんと中沢新一の間にも共通性が見出せるかと思います。坂口さんはよく中沢さんの名前を出しますけれども、僕の見方としては以下のようになります。現代思想の文脈です。「差異」化(中沢さんの言葉で言えば「微分」)を目指す際にいつかくる「そこ=リゾーム」を捉えるのではなくて、神秘という言葉で隠されてしまっている次元を含めた「ここ」にある意識を活性化すること。そして、もはや「そこ=リゾーム」は構造としてすでに現在へと組み込まれてしまったという観点も含め、二元論的に重なった世界を一元論的に開いていこうとすること。また、態度という点でも言えることがあります。中沢さんは「中間的」という言葉で表しますが(『雪片曲線論』)、「モダンな批判理論」と「新しい形のコンサーヴァティズム」(当時でいえば浅田彰さんに見出された姿勢)の間に構えを取る。自身が前者には「ムイシュキン的な白痴」として、後者には「いっこうに悔い改めようとしない破壊者」として映るかもしれないとわかった上で、それでも両者から距離を保ちながら言論を組み立てていきます(佐々木敦『ニッポンの思想』を参照)。坂口さんは、一般的に見たら、アカデミックな知性にも造詣が深く、在野の知識人としてお金もしっかり稼げているような作家です。それでも本質的には、おそらくどちらからも距離を保ち、その中間で物事を考えようとしている。そうしていまここにある意識を活性化させるための取り組みをされているわけですよね。乱暴なまとめ方になってしまい申し訳ないのですが、坂口さんは中沢さんの思想について、ご自身の活動と重ねてどのように理解をされていますか。(中沢さんが直面した困難について、坂口さんが音楽を通して乗り越えようとしたという風にも捉えることができますので、そちらも音楽の質問のところでさせてもらおうかなと思っています。)


4.ドゥルーズ=ガタリ

『けものになること』を読めばわかりますが、坂口さんはドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』を引き継ぐというか、そのままに書き続けていくということを目指したのかなと思います。実際にドゥルーズ=ガタリが引用する作家たちの名前が坂口さんの小説の中でも頻発するからです。1文目などは、「俺はドゥルーズだ」で始まっています。そして坂口さんがこれを「マジ」だと思っていた感覚が面白くて、もう少し深掘りしてみたくなりました。過去の作家と時に感覚が通じ合うというのは知の喜びの一種でもあるかと思いますが、このような現在形における「重なり」の感覚というのはよくあるものなのでしょうか。そういう時の方が調子が良くなるというか、うまく制作に落とし込めるというような実感はありますか。単なる憑依とはまた違うのかなと考えています。自分自身をその誰かと同期させ、シンクロさせたままに書いていく。そのことのメリット、デメリットなどについても考えを巡らせています。


5.ジャック・ケルアック

『路上』には、放浪を続ける主人公、サル・パラダイスの身体の衝動が詳細に描かれていますが、この作品は坂口さんに大きな影響を与えたそうですね。『路上』はフィールド・レコーディング的だったと記されています。確かに、『けものになること』や『現実宿り』のように、坂口さんが鬱の状態をフィールド・レコーディング的に書いたかのように読める作品もあり、ケルアックの線を精神世界にまで延ばしていったのだなと理解をしました。最近では、小説内におけるフィールド・レコーディングの範囲をさらに広げているのではないかなと推測することもできます。現在を足場にして、現在形の中で過去にアクセスしていく。全てをひっくるめて、解像度の高いままに記録する。坂口さんにとって60年代カルチャーが今に至るまでどれくらいの影響を与えているものなのか、また時間が経つ中での手法の更新などがあるのかなどきいてみたいと思いました。


6.ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

ソローには面白いエピソードがあります。本物の自然は嫌いかもしれないという話です。ソローはマサチューセッツ州のウォーデンの森にて2年2ヶ月間の自給自足生活を送りました。そこで原生自然の価値を説いています(この森はボストンにも近くて、過去にボストンに留学した経験からすると結構都会...)。その後、さらに北上してメイン州のカターディン山に遠征をするのですが、そこでの原生自然体験というのはかなり否定的に描かれているのですよね。簡単にいったら、里山は好きでも、ガチの山は苦手だと、そういった印象で僕は捉えています。ですが、やっぱり人が自然に親しむときって、どうしても里山寄りのものになるのかなと。キャンプとかをみていてもそうで、本当の深さを持った自然の中には人はあまり踏み込んでいけません。それが現実であり、里山からみえる自然の描かれ方というものにもあえて注目するだけの価値があるのだと思います。坂口さんはというと、あくまで里山的に自然との距離を保ちながら、それでも手元の小さな自然を深く見つめているように思いました。土との関係などがそうですね。自然は恐ろしいものであるから里山的な距離感を保つけれども、それでもそこに原生自然体験を見出そうとしているかのような。ソローの中途半端さというのにも、また別の意味合いを見出せそうな気がします。坂口さんにとって、ソローの生活だったり自然との距離感というのは、どのようなものとして映っているのでしょうか。


7.ゲーリー・スナイダー

ゲーリー・スナイダーから話を展開してみようと思います。彼は日本で10年以上も禅仏教の修行をした詩人としても有名で(京都の相国寺や大徳寺にもいました)、ビート・ジェネレーションの作家でもあることから坂口さんとの心理的な距離感も近い。スナイダーは、21世紀と19世紀という異なる世紀の時間を組み合わせるような生活をしているそうです。生活実践も仏教由来であり、これは日本とは異なる仏教観にも依拠するため留意はしておかなければならないですけれども、「どう毎日を過ごすのか」という「知的な実践」にこそ仏教はあるのだと考えているらしいです。ここには坂口さんの制作論とも重なる部分を見出せます。自然との調和を考えながら詩を生み出していくこと。加えて、坂口さんと禅仏教との関係性や距離感についても話を聞いてみたいなと思いました。


8.レーモン・ルーセル

坂口さんとレーモン・ルーセルの関係性についても、詳しくは触れられていることがないように思います。坂口さんは『アフリカの印象』にインスパイアされてドローイング100枚を描かれているくらいなのに、外からの言及がないというのもおかしな話なんですよね。まずルーセル的な「現実との照応を持たない」という点は、坂口さんの作品と比較してもわかりやすいはずです。現実をずらしていったり、現実が立つ地面から揺らしていくことで、また別の現実を見せてしまう。次に、ルーセルの文章が持つ特性について。僕的にはこちらの方が気になりました。翻訳家の國分俊宏さんによれば、ルーセルの文章には機械仕掛けのようなところがあって、言葉を部品のようなものと捉え、部品と部品を組み立てるようにしてテキストが紡がれているというんですね。それもあえて不自然に、ぎくしゃくした感じをそのまま伝えるような文章です。やや人工的な匂いがして、無機質な感じのする文章。一方、坂口さんの文章の中で、たとえば小説作品『けものになること』について考えてみますと、その文章にもやはり部品的な感じというのも現れていると思うんです。部品を組み合わせるようにして、激流を作っていくといったイメージです。僕が気になるのは、坂口さんは『けものになること』のような文章を書かれる際に、どれくらい言葉を部品としてみているのかということです。言葉に対していくらかの距離を挟み、がちゃがちゃと動かしていくのか。それとも、もう少し細かいレベルでひとつひとつの言葉に向き合い続けるのか。これはいずれにしても大変に神経を使う作業だとも思っているので、「推敲」の質問を考えた際にも似たような話をしてしまっているのですが、ルーセルを経由して、坂口さんにこの問題についてどのような意識を持たれているのか聞いてみたいと思いました。


9.村上春樹

著作のなかで、坂口さんが村上春樹さんのいくらか熱心な読者であるとおっしゃっていました。とりわけ関係してくるのは、作家として走り続ける(書き続ける)ための姿勢なのかなと思います。インディペンデントな姿勢の程度に大きな違いはありますが、おふたりとも創作のための安定した基盤づくりにこだわっているように見えます。村上春樹さんの他にも、そういった創作の土台づくりの点で参考にされている作家はいたりするのでしょうか。また、村上さんにおいてはランニングが書くことに大きな影響を与えるわけですが、坂口さんにとってのランニングのようなものを見据えるとき、それは何になるのでしょうか。様々な制作が混じり合う形で創作の心持ちも整えられるのでしょうか。こんな機会なので、聞いて見たいことはたくさんあります。「弱さを克服する方法」というのは、おそらく村上作品において重要なひとつのテーマであり、それは倫理的なデタッチメント(やれやれ)、記憶を切り出すように歴史を読み込もうとするコミットメント(壁抜け)、誰かとの関係性を特権化することによる穴埋めなどに現れているかと思います。「老い」を迎える中での継続可能な「土台づくり」というものがあれば、想像が可能な範囲で聞いてみたいです。弱さを克服するためのランニングは、やはり年を取るごとに難しくなってくる。現在の村上春樹作品にも影響があるかもしれません。村上さんのようにこだわった土台づくりをされている坂口さんだからこそ、そして多様な方法を重ね持つ坂口さんだからこそ、書き手の「老い」に向けたモデルの構築、準備のヒントに気づいているのではないかなと思っています。


10.11.石牟礼道子、渡辺京二

世間一般には、石牟礼道子といえば『苦海浄土』の作家という印象が強いと思います。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本作は、チッソに代表される近代が壊してしまった古代的なアニミズムの世界へ戻る回路として読まれ、評価されました。4歳の子供であるみっちんは、近代工業主義の結果として現実の世界から疎外されてしまいます。しかし、こういった解釈に異を唱えたのが渡辺京二ですね(『もうひとつのこの世』)。みっちんが最初から果たして幸福だったと言えるのか、そこから問い直さなければならないと。みっちんの疎外は、チッソに代表されるような近代の退廃がもたらしたのではない。近代工業社会に対しそれ以前の農民・漁民の世界があるとしたら、そのどちらにも属さない異界の中にはじめからみっちんはいる。石牟礼道子もまた、自分が異界に属するものであることを知り、孤立感の中で生きていたのだと、作品に的確な批評を加えました。このように考えると、なぜ石牟礼道子が『苦海浄土』を記したのかもわかりますし、それが決して「ノンフィクション」の枠におさまらない作品で、石牟礼道子が患者の思いを一人称の文体に載せて書いていたことにも納得がいきます。彼女自身が生まれつき疎外の感覚を持ち、人間界と異界の間に生きていた。だからこそ奪われた者としての患者に深い共感を示し、その思いを文にすることができた。ここには、深いレベルでの魂の共振によって、疎外を受けた(もしくはそう感じている)者の隣に立つ姿勢、それも自分自身が異界にいる感覚を生かしながら自然に寄り添うような姿勢が見出せます。これはまさに、坂口さんが行なっていることに近いのではないでしょうか。坂口さんは度々石牟礼さんに言及はするものの、どのような形で影響を受けているのかということに関してはあまりお話になっていなかったのではと思います。影響を受けているというよりも、僕からみれば、「死にたい」の感覚に寄り添う坂口さんの姿はすでに石牟礼さんに重なっていきます。いまこうやって言葉にする中でこぼれ落ちてしまうものがたくさんあるのですけれど、石牟礼道子の達成を社会的な解釈だけに還元させない読み方、それは更に付け加えれば渡辺京二さん、坂口さんと引き継がれているものでもあります、その達成の意味合いをしっかりと読み繋いで、書き繋いでいかなければならないなと思いました。坂口さんの実践がどのように見えるかということで石牟礼道子との重なりに触れさせてもらったのですが、問いとしてはやはり、社会的な言論の規模に負けずに、このバトンをどのように繋いでいくか、ということだと思います。読み手として、書き手としての渡辺京二さんの批評観も、しっかりと受け止めていきたいです。


12.保坂和志

「作為的にことばをまっすぐ吐く」ということについてお話をききたいなと思います。どれだけ細かく文章を組み立てていても、作為的になっていたとしても、読者からしたら直感で書かれているようにしか見えないような書き方があります。そして、書いている坂口さんからしても直感で書かれているようにしか見えないと、そう思い込めるくらいのレベルにまで自身を持っていっているからこそ生まれてくる結果があるとのことでした。これは小説における総合的な技術の積み重ねによって可能となってくるものなのでしょうか。それともある決まった方向に向けて小説の角度を設定していった方がいいのか、時に限定というか、研ぎ澄ませていくことも必要なのか。坂口さんや保坂和志さんが取り組まれている小説の可能性について、そして「ことばをまっすぐ吐く」ということのレッスンについて、お話をきいてみたいです。絶対に簡単なものではないだろうと承知してはいますが、どのような作為のメカニズムがあるのか、考えてみたいと思いました。(保坂さんにおいては、ひとつの場面を描くときに書き手が必ず行なっている、何を書いて何を書かないかの取捨選択、さらにはその抜き出した情報をどういう順番で、どのように再構成するかという「出力の運動」こそが小説における文体なのだそうです。)



PART2 表現

(13〜37)


13.ドライヴ

坂口さんの小説や詩を除いた著作における文体には、ある特徴があります。それは読み手の感覚を「ドライヴ」していくというものです。小説や詩においてもまた別の「ドライヴ」はあるのですが、エッセイなどに現れるここで触れたい「ドライヴ」感というのは、文の「読みやすさ」に近い話です。それも、ただ読みやすいのではなくて、自然に次の文へ、そして次の話題へ、次の本へと促されていくような効果が付与されています。「死にたい」を抱えた読者にとって、この「ドライヴ」感、さらには文の規模の拡張というものが、そのまま生きる時間の拡張につながっているのではないでしょうか。まず坂口さんが発生させてくれる「ドライヴ」に浸っているだけで生きられる心地がしてくる(同じ時間を感じる)、そしてそれが次のページへ、次の本へ、次の活動へと開かれていくうちに、読者はいずれは制作者になり、生きる時間が拡張されていることに気づくのです。この「導線」が整備されているところにも、坂口さんの総合的な活動の意味合いが見出せるかと思います。エッセイなどに見出せるこのような「ドライヴ」文体は、坂口さんも「ドライヴ」していて、それをそのまま書き写しているという感じなのでしょうか。それとも構築的に組み立てていくこともあるのでしょうか。


14.予感

坂口さんの「読み方」についてきいてみたいことがあります。意味を理解しながら読むのではなくて、次にくる展開を、感情を、「予感」しながら読んでいくという仕方です。僕にもなんとなくいっていることはわかるというか、実際に多少認識もしているのですが、これは立ち上げられている小説世界というか言論の場に対して、自分の身体や脳が先に予備動作を始めているといった感覚に近いものでしょうか。それぐらい自分が前のめりになっているというか、誰かの文章に対して「乗っかっている」かのようなときに僕は「予感」に近い体験を覚えました。そういう読書は幸せなもので、驚かされたり、感傷的になることも多い気がします。


15.小説が解決する問題

この質問集の中でも僕が坂口さんの作品を社会の話と結びつけて話している箇所がありますが、決して坂口さんの小説がそれだけで収まるわけではないことにもここで触れておきたいと思います。社会的な問題は、あえて小説で解決しなくても良い。解決のための方法を小説の外側に多く持っている坂口さんが書く作品からは、そのような姿勢が感じられます。経済的な問題は解決できる。他も含めて様々な問題が解決していった先にそれでも残る問いとは何なのか、これこそが小説で追及されているものではないでしょうか。当たり前だという回答が返ってくるかもしれないのですが、坂口さんが小説に向かい合う際に思っていること、小説でどこに向かっているのか、どこをみているのかについて聞いてみたいです。


16.小説が迫る現実

小説の魅力のひとつに、たとえそれが起こりえないようなことであっても、いちど書いてしまえば起こったことになるという小説内現実の効果があると思います。ガルシア=マルケスに接続のできる文脈です。ではそのような小説という土壌において何を書くのか。批評の場合、狙って何かを書きにいくと、その結果は現実よりも小さなものにまとまってしまうのではないかという感覚があります。社会の言葉を使っているのに、むしろ普遍性からも離れていくかのような感覚です(もちろん普遍的な説得力を持つことは大事になるのですが…)。一方で、小説においては感じたものをそのまま提出できるというか、坂口さんのなかで起こっている反応がそのまま外に出る。面白いことに、その小説の言葉の方が現実を捉えている。だから小説には2重の構造があって、そもそも書けば現実になるのだけど、書かれるのを待っているものもまた現実なのかなと。そして、この構造に安易に頼ることなく、いかに現実を現実として出すことにひたすらこだわれるかが重要だと思っています。小説において現実を書くために意識されていることはありますでしょうか。


17.日記

今回自著の中でカフカに触れたことから、日記について考えるようになりました。カフカもかなりの量の日記を残していますが、坂口さんの場合はさらに膨大です。小説以外に日記や断片的なメモの中から重要な記述が見つかることもカフカの特徴なのですが、このあたりにも親和性があるかと思います。坂口さんにも(これでもまだ)本の形になっていない断片がたくさんありますよね。小説の枠組みで書きたいこと、日記の枠組みで書きたいこと、それぞれに違いがあることはもちろんだと思います。日記においては「何を書くか」はそれほど意識しなくても良いのかもしれません。小説と比較した際、日記の中にどれだけ坂口さんの思想が色濃く入り込むものなのだろうと、その塩梅が気になりました。テキストとしての比重はどのようにお考えですか。


18.翻訳

坂口さんは今後実際の翻訳のお仕事はされないのでしょうか。坂口さんの「憑依」的な現象について考えていると、坂口さんの翻訳はとても面白そうというか、読んでみたいと強く思いました。実際の、と前につけたのはすでに小説の形で翻訳は存在しているからです。坂口さんの言葉でたとえば『千のプラトー』が翻訳されていると考えることができる。そういった体験に対して、実際の翻訳はかなりの縛り、制限を坂口さんに課してしまうものなのかなとは思います。町田康さんが『口訳 古事記』を書いたように、坂口さんの口訳古典があったら面白そうです(読んでみたいとか面白そうとかは禁句ですよね、自分ではじめればいいのですから)。それはいま気軽に言葉にしてしまっている僕の勝手な意見であり申し訳ないのですが、石牟礼道子さんの影響も含め、坂口さんにとって「訳すこと」というのは大きな役割を持つように思えます。坂口さんを語る上で、様々なレベルにおける「翻訳」性は見過ごすことができないと思います。


19.風景

『現実宿り』では、現実の時空が少しずつ歪んでいくような体験が描写されているかと思います。それは「雨宿り」の経験に重ねられる。軒先に逃げ込んだ瞬間、外の雨も、からだについた雨粒も、何か温度を持った別のもののように感じられてくる。そのようにして時空が変化する体験がたしかにあります。そしてそれについて考えることは視界を、風景を引き連れてくる。自分が感じている時間の風景と他者が感じている時間の風景、その2つがあったとして、描写の際にそれぞれに変化をつけるために意識されていることはあるのでしょうか。それとも、時空の歪みは人間誰しもがある程度似たような経験の形で持つことができていると考えますか。


20.即興

近年でいうと、『土になる』は原稿用紙30枚程度のボリュームを推敲なしでnoteに掲載する試みから生まれています。坂口さんも、漢字をひらがなに開く、開かないといったことも考えずに、ただ書き連ねていったのだと。しかもこれまでの訓練として結果的にそうなったとおっしゃっています。小説以外に目を向けても、坂口さんにとって「即興」というのが重要な意味を持っていることは明らかです。即興だと始まりと終わりが勝手に決められてしまうのでそこから生まれる作品もあるとみる立場、始まりがあって終わりがないからこそ可能となる表現があるとみる立場、いろいろな考え方がありますけれども、ここではある小説の可能性について考えてみたいと思います。小説における「思い出す」機能についてです。とりあえず思い出し始めてみて、そこからどんどんと「思い出す」が派生していくのですが、このとき過去から過去へ、過去から未来へ、現在へと時制が入り乱れるかと思います。「思い出す」力で時間を、現在、過去、未来をジャンプしていくイメージです。この時に「即興」の力がより強く発揮されるように思えるのですが、例えば「思い出す」のような、「即興」の磁場と強く結びついた言葉、表現に関して坂口さんはどのようにお考えでしょうか。たとえばある地点からスタートして、ずっと思い出し続ける、その生々しさをありのままに描写する作家としての保坂和志さんがいて、坂口さんにも似たところがあるように感じました。


21.並走してくれる作家

坂口さんにとって、自分の「死にたい」の感覚と並走してくれるような作家はいましたか。また、この文脈においてはどのような文学を読まれてきたのでしょうか。僕にとってはカフカがそうで、カフカが持つ答えを出さない感じというのが、自分が抱えてきたやり場のないモヤモヤ感と相まってときに読みやすくすらあったのですよね。また、ブローティガンは一度辛くなった際に自分のコミュニティ全てを捨てるつもりで遠くへ引っ越すのですが(まるで移住のように)、移住先での限界にも向かい合い、悩んだ末に再度原点へ戻って人生に向かいあった作家といえます。ぼくは海外で暮らせばいいと何度も考え実践したこともあるのですが、やはり日本でしか叶わない活動というのもあるわけで、今は日本で暮らしています。坂口さんの場合はもっと制作的な文脈が色濃くなるのですかね。「死にたい」と文学の関係についてきいてみたいと思いました。坂口さんもまた、多くの人にとってそういった「並走してくれる作家」のように見えているはずです。


22.批評機会

坂口さんはしばしば、「批評がされない」とご自身について言及していますよね。でも実際には「ユリイカ」などでも特集をされていたり、評価も含めて、注目されていないわけではないように思えます。坂口さんの著作を評価する作家やアカデミシャンも多い。もちろん、批評の側が坂口さんの実践を全然拾えていない、追いついていないといった問題が背景にあるのでしょうが、坂口さんは批評のどのような点に限界だったり物足りなさを覚えていますか。なぜ批評が坂口さんに言及できないのだと考えますか。


23.本づくり

こんなことをきいていいのかという感じですが、本が出来上がる前の一歩手前の部分、そこにどれだけ手間をかけているかについての興味を持っています。具体的には、どのように編集者や出版社に営業をかけているかということです。というのも、近年独立書店や一人出版社が増えた結果として、本を出版することのハードルはかなり下がったはずで、そんななかでも坂口さんはある程度大手の出版社と組み続けているという印象があります。単に人気実力作家であり、求められているからというわかりやすい視点は置いておいて、やはり坂口さんからしても、インディペンデント性の高いものづくりよりも、より配本規模の大きい出版社との関係を優先するところがあるのでしょうか。そこはあくまでシビアに考えて当然の帰結になるのかもしれませんし、相性の良い編集者さんとの関係なども考えられるのですが、本づくりに関する営業についてもお話を聞けたらなと思います。「企画の着火」というのは、坂口さんの実践を形作る要素の一つであると思っています。


24.開いた家、閉じた家

親からの精神的な暴力を受けてなお親のいいなりに生きなければならない子供が、自分の魂を守ろうとするために葛藤する『幻年時代』。動物や死者、社会の決まり切った枠組みからこぼれ落ちるような存在が集まり、ネットワークが織り込まれていく空間を描いた『徘徊タクシー』。そして前者のような子供時代を過ごした恭平が、命を育む家庭というものをいかにして営むことができるのか思考する『家族の哲学』。これらはそれぞれ、「閉じた家」と「開かれた家」、そして「閉じた家」から「開かれた家」への移行として読み解けるかと思います。初期の坂口さんの作品においては、とにかく「家」というものが重要なファクターとなっている。そうした作品群と比較して、のちの『現実宿り』や『けものになること』、『建設現場』のように、記憶や主体の感覚自体(鬱のときの内的なイメージや状態の観察)を鋭敏に描き出す方向の作品もまた存在します。興味関心のタイミングなども関係するとは思うのですが、坂口さんのなかでは、現状ひとまずの状況として「開かれた家」への暫定的な答えが見つかった、そこにたどり着いたということなのでしょうか。『家の中で迷子』などは家にいても鋭敏な感覚を元に偶然性を呼び寄せられる(開かれる)という点で、上記の流れが全て合流していくような作品にも思われますし、「開かれた家」の新しいあり方についても、聞いてみたく思いました。


25.残る建築、残らない建築

最近話題になっていたことの一つに、大阪万博の建設問題があります。莫大な国家予算を使いながらも、わずかな開催期間のためだけに大きな建築物を作り、すぐに壊してしまう。開催者側からの不透明な議論だけが原因ではなく、そもそも刹那的な建築の在り方自体に疑問の声が上がっていたのではないかと思います。語られている達成の目安についても、藤本壮介さんが中心となり作り上げたあの巨大な「リング」(とそれに伴う風景)が今後も人の心に残る、残らない、そういった印象論に強く依存してしまっているような気がします。対照的に、坂口さんの建築はそれが心に残るか残らないかというよりも、ある種の心の在り方や、ものの見え方自体を作り上げてしまうものではないでしょうか。だからそれはずっと人の中に残るのです(本や創作物に立ち返って、坂口さんの世界に都度触れていくことももちろん可能です)。そのようにして考えていくと、テキストの力に頼らず、刹那的な建築物がいつまでも人の心に残る、ましてや人に夢を見させるといったことはかなり難しいのではないかと僕などは思ってしまいます。これはあくまで僕の意見でしかないので、「リング」のような建築物についての坂口さんの考えを聞いてみたいです。


26.固有の音

その人にしかない音を出せるかどうか。これは楽器の演奏でもそうですが、坂口さんはとりわけこの部分に敏感であるように思います。固有の音を見つけようと鳴らしていく。また、僕自身にとっても本当にそうだなと思わされたのですが、鑑賞者が持つ「気持ちが参っている時にでもなぜか聴けてしまう」という感覚にも興味を持ちました。坂口さんの楽曲には、しばしば心を動かされます。たとえば文字による名付けや言葉の影響はどれくらいあるのか、坂口さんにとって気持ちのいい音を追求した結果としての人々への波及があるのか。言葉にしたら失われてしまうものもあるかとは思いますし、全てがテキストに表される必要もありません。坂口さんの固有の音を探そうとする様を感じ取ったとき、もしくは坂口さんから固有の音が届けられたと感じる時、人は心を動かされるのでしょうか。この「固有の音」という観点から、音楽の話を聞いてみたいです。生の声だから固有なのは当たり前というところを超えて、さらに深く坂口さんが固有性を探していっているように僕には見えています。


27.流動

中沢新一さんにとっての「差異化」は、「最初から在る」ものですよね。それは社会が進んでいくベクトルに応じて出てくるものではなくて、すでにある現実の世界に対して意識を働かせることが重要になります。渦を巻くようにして存在していて、時に神秘的な体験の形で出くわしはするけれども、ただの「神秘」として受け取ってしまえばいつまでも近づいていけない。意識の働かせ方が足りない。そして中沢さんの抱えた難題は、いわば社会の「スタート以前」に戻ろうとしたところで、「知」によってそれを捉えようとした時に零れ落ちてしまうものがあるということだと思います。「知」は多かれ少なかれ言葉に頼らざるを得ませんから、流動状態はある編制された形に変わらざるを得ません。このパラドックスを、坂口さんは音楽を通して乗り越えようとしているように見えます。言葉には着地しない音、声、それらすべてが混ざり合って、いまここにある別の現実が鑑賞者の間で意識されるということなのかなと思いました。坂口さんは音楽を介した別の現実との関係について、どのようにお考えでしょうか。


28.制作を導く制作

モチベーションについての、個人的な質問です。制作を導く制作、としての音楽のことを考えています。ぼくは他の誰かの制作に励まされて、自分もこうやって何かを制作したい!と思うことがあるのですが、それは多くの場合音楽で起こります。疲れ果ててソファに寝転び、心臓をラクにしてあげながら、誰かの音楽を聴きます。ギター1本とかで、手作り感の強いものも好みです。プロアマ問わず、自分の琴線に働きかけてくる音楽があったとき、自分の姿勢が制作に向けて導かれていく印象があります。事実いまこうして文章を書いている時にも、休憩のタイミングで音楽を聴くことで助けられています。ぼくにとってはいまのところ、ゆるくみれば音楽が「制作を導く制作」であり、真剣に捉えれば文芸もそうなるのかなと思います。坂口さんにとっての「制作を導く制作」とはなんなのでしょうか。音楽を入り口に、そのような観点からもお話を聞いてみたいと思いました。


29.楽器との親しみ

僕が制作者に憧れを覚える理由の一つに、慣れ親しんだ道具との距離感というものがあります。楽器を自分にとって自然な形で扱うには、いくらかの日々を楽器と共に過ごさねばなりません。凝縮された時間の重みが、鑑賞者に伝わってくるのです。相棒となる楽器が一つあれば、路上であっても、配信の場であっても、孤独さが薄れていくのかなとかも考えます。坂口さんにとっては例えばギターがそうだと思いますが、時間をかけて馴染ませていった関係性を持つ「楽器」というものを、どのように捉えていますか。音楽以外の話に展開されても大丈夫です。慣れ親しんだ道具との関係だったり、道具との距離感を詰めていくというところにどのような意識を持っているのだろうと気になって個人的に質問をさせてもらいました。


30.パステル画

坂口さんが触れている「美術的な悩み」について少し追求させてください。坂口さんの中では「奥行きのある絵画」への強いこだわりがあるかと思います。それは『まとまらない人』などですでに坂口さんが語られているように、20世紀美術におけるクルト・シュヴィッタースからラウシェンバーグへ至る流れと、クプカから始まってジャクソン・ポロックに至るような流れからの影響でもあります。奥行きというのは、4次元、5次元、6次元といった高次元の方向を向いているわけですね。一方で、坂口さんのパステル画というのはあくまでも低次元(フラクタル解析の結果1.6次元)であると。低次元であってもそれが導く良さもあると思うのですが、坂口さんにとってはかねてご自身が目指してきた方向性との間にズレが生まれてしまっている状態でした。今後はこの「奥行き」について、それがある方向を目指していくのか、それとも奥行きのなさを鍵として新たな方向性を切り開いていくのか。パステル画の試みについて、現在どのようにお考えでしょうか。すでにどちらかというと後者よりかなとも思うのですが、僕個人としても、奥行きのなさには関心があります。無意味であることが持つ意味であったり、ただ「あっ」と思って写真に撮った風景を描写するところにも繋がってくるように思います。坂口さんの持つリズムだけが絵に現れるというか、そういった面白さもまた、あくまで複雑な文脈を通しながら考えてみたいです。


31.フランシス・ベーコン

千葉雅也さんが指摘しているのですが(「思考停止についての試論−フランシス・ベーコンについて」)、ベーコンの絵画作品にはフレームの問題系が存在しています。硬化したフレームで意図的に「閉域」を作り出すことで、その中身を圧縮する。いわばマゾヒスト的な工夫のなかで、徹底した服従性を活用しながら内的な変化を導いていく。マゾヒストが自分を処罰する法から快楽の効果を得てしまうように。本当に勝手な物言いのように聞こえてしまったら申し訳ないのですが、坂口さんが風景を写真で切り取ることと、膨大な量のパステル画を描いていくことの間にも、ある種の過剰なストイックさが反映されているのではないかと思いました。つまり、拡大するものとして風景を捉えず、あらかじめ枠で縛りをつけている可能性ですね。拡大するように見えないのはおそらく、その風景が完成された一場面であるかのような整った構図をしばしば持っていることとも関係があるかもしれません。風景をある意味で断片的に描いたから制作のボリュームにつながっていったのか、多くの枚数を描きたいからその要請によって風景が切り取られていったのか。どちらが先かということによってまた違いもあるかとは思うのですが、やはり坂口さんのパステル画においてはフレームとの関係性が強く現れていると思います。たとえば風景が快楽を得るのではなく、このセッティングにおいては坂口さんが快楽を得ている可能性も考えられるかもしれません。坂口さんの「ゼロリスク」の作り方だったり、「無能の自覚」であったりは、どこかで坂口さんご本人に対してストイックに負荷をかける思考であるという印象を持っています。そういった背景を元に、パステル画に関しても考えてみました。


32.過去性

坂口さんは、ご自身のパステル画における過去性についてどのようにお考えでしょうか。今後は人物画にも挑戦していきたいとのことでしたが、その時パステル画からは「過去が私を見つめている」という感覚が生じてくるのではないかと思いました。写真で切り取られ、パステルで描かれたその風景は、一回きりで取り返しのつかない過去なのか、それともそうではないのか。作品がもつ過去性についても考えてみたいと思いました。


33.具体性

坂口さんがなぜ風景画を描くのかということを自分なりに考えてみたのですが、それは風景という概念が持つ具体性のためではないでしょうか。まず坂口さんは具体性を積み上げていくタイプの作家だと思います。それは無能の状態からひとつひとつの制作を積み上げていくところからも、詳細な日記を長年書き残してきたところからも理解がしやすい。ここで話は小説へと飛ぶのですが、小説を書く際にはとりわけ風景描写というのが具体性につながりますよね。今はかつてのような人々の内面のメタファーとしてではなく、ただ風景そのものを風景として描く小説家も増えたように思います。その時作家が意識しているのは、風景描写に「時間」が含まれているということではないでしょうか。時間が含まれるからこそ、風景描写は具体性に繋がる。風景を具体的な存在として認識することができる。このような小説的な身体感覚のもとに、坂口さんは具体性への架け橋として、風景を選択したのかなと思いました。なぜ風景なのかという点に関して坂口さんのお話を聞いてみたいです。


34.アンリ・マティス

「肉体の疲れをいやすよい肘掛け椅子に匹敵する何かであるような芸術」。パステル画をはなれてみても、坂口さんとマティスの間にはそういった点で共通点があるかと思います。ここではさらに別の論点も加えてみたいです。マティスの作品を考えてみると、平倉圭さんが詳しく指摘しているように、そこでは構図や表現に加えて「布置 disposition」が意識されています。この「布置 disposition」にこそ原理的な意味がある。マティスが白いカンヴァスの上に赤、緑、黄などの「感覚」をまき散らす(ばらばらに置いていく poser)として、ばらばらに置かれた諸感覚を後から装飾的な仕方で整えていく技が「構図 com-position」です。でも、筆が加えられる度に全体の構図はひとつのまとまりに向かう一方で、まき散らされた個々の感覚はその重要さを失ってしまいます。「いったい一つの画面として完成しており、同時に、そこにまき散らされた感覚のそれぞれもまた生彩を失わないような絵画はいかにして描きうるのか? すなわち「一つ」であると同時に「ばらばら」であるような絵画はいかにして描きうるのか?」(「マティスの布置 見えないものを描く」)。画面に置かれた「諸感覚の離散的な自律性」を絵画の最終形態にまで持ち込むためには、どのような道筋を辿れば良いのか。坂口さんは、マティスが持っていたようなこうした「布置 disposition」の感覚について、どのようにお考えでしょうか。


35.アートワールド

アートと資本主義の関係についてお聞きしたいです。坂口さんは以前、高額で取引されるアートも、行くところまで行ってしまうとほとんどの顧客はマフィアになるといった話をされていました。そこに至る一歩手前でうまく身を翻すのか、それとも覚悟を持って資本主義の中でのアートを徹底させていくのか、判断もまた別れると思います。いまや前者を取ると単純に即答することも難しい気もしています。いずれにしても芯を持った態度を設定していく必要があるのかもしれません。坂口さんは現状のアートワールドについてどのようにお考えでしょうか。


36.museum

坂口さんのパステル画には、前述したようなマティス的特徴(肘掛け椅子に匹敵)があるのかなと思います。美術家が自前の展示スペースを持つというのは現在の美術界でもよくみられる流れです。ただ坂口さんの「museum」の場合、美術館自体が癒しの場としても機能しているのではないでしょうか。作品ひとつひとつをフラットな目で見るという意味合いからほんの少し距離を置くことにはなりますが、場が持つ効果もまた存在しているのではないかと思いました。鬱に疲れた人たちが坂口さんのパステル画を見にきて、同時に坂口さんの表現する全体の空気感にも触れる。その空気を持ち帰り、生きてゆく。坂口さんの実践において「museum」はどのような意味合いを持っているのか、さらに考えてみたいと思いました。


37.ブラック・マウンテン・カレッジ

1933年から1957年にかけて、アメリカノースカロライナ州の山間部に、ブラック・マウンテン・カレッジという実験的なリベラルアートカレッジが存在していました。とりわけバウハウスの継承、ジョン・ケージやバックミンスター・フラーによる実験的な実践(これは伝統的な芸術の存立条件の解体を促すようなものですね)、さらにはその磁場に引き寄せられた芸術家たちの名にも注目が集まり、わずか20年で閉校となったこのカレッジは神話的に語られることもあります。BMCの教育に関していえば、小さな共同体における共同生活を基盤としたことと、カリキュラムの中心に芸術を据えたことにその特徴をまとめられるのではないでしょうか。それでもBMCの初代学長J.Aライスは、あくまで「BMCは手段」であり、「目的は個人」であったと強調しています。共同体を重視することが制度的な拘束へと転化してしまう危険性をふまえていたわけですね。個人を目的とした、学びの共同体をいかにして作るかというところに力点が置かれていました。坂口さんがすでに何度もBMCについて言及しているように、このBMCの思想は坂口さんへ引き継がれており、その実践を新たに試行しているという風に理解しています。BMCへの言及はあってもそれ以上にBMCが深掘りされることは、これまでテキストレベルではなかったと思いますので、一応僕なりの整理を踏まえ、以上のような「継承」が見出せると指摘しておきます。BMCを引き継ぎながら、そこに美術より幅を広く持った「制作」や「死にたい」の文脈を合流させていく。これが坂口さんのやっている学校ですよね。なので、読者の方には、この文脈を踏まえた上で、改めて坂口さんが語る基礎的な制作論に目を通していただくのも面白いかなと思いました。坂口さんは、BMCを継承しつつ、より長くその実践を続けていくのでしょうか。それとも現在に至るまでの制作論は、一通り完成形に近づいたといえるのでしょうか。



PART3 哲学と姿勢

(38〜60)


【哲学】


38.失敗

ぼくは失敗だらけの人生を歩んできました。むしろ今坂口さんに原稿を書いているこの瞬間はポジティヴな「非常事態」のような感じで、とても嬉しく思っています。坂口さんの考えでは、良き失敗を重ねることが大事ですよね。失敗を恐れずに、むしろ失敗した際に返ってくる失敗の質のようなものがより良くなるように、全力で自分のエネルギーを投入していくというイメージで僕も実践しています。それに、日々頑張っていくことで、過去の失敗の見え方も変わってくる、なんならなかったことにすら近くもなっていきますよね。近年は、そうやって現在から過去にアプローチしていく思考の在り方が支持を得られているように思います(訂正可能性)。それでもたまに、どうやってでもなかなか変形していかない過去の失敗もまた存在していて、その類のものは現在からの「間接的な」アプローチではなく、現在からの「直接的な」アプローチをしなければならないように感じてしまう時もあります。うまく忘却していくのではなく、むしろ傷ついてでも介入していくということです。坂口さんには、現在の地点から中和していくことが難しい過去の失敗に対して、どのような手段をとりますか。


39.幸福

漠然とした「幸福」というものを、人がきちんと手に取れる形にしたいと坂口さんはおっしゃっています。そのための方法論は、「死にたい」を抱えた人々に制作を促す形で、すでに構築されてきているようにもみえます。その幸福とは、ただ幸せなまま手に入れられるものでもないのかなと考えていました。坂口さんには『幸福な絶望』という著作がありますが、そのタイトルからも言えるように、幸福のすぐ裏には絶望が張り付いている。絶望ともうまく付き合いながら、その中で幸福が得られるという回路についてはどのようにお考えですか。


40.真理探究

「けれどもほんたうのさいはひは一体何だろう」と問いかけた作家がいました。宮沢賢治です(『銀河鉄道の夜』)。愛する者との死別はどうやったら乗り越えられるのか、ほんとうの神様はいるのだろうか、みんなの幸せというものはありえるのだろうか、「ほんとうの幸い」について、賢治は様々な考えを巡らせました。宮沢賢治のこうした「ほんとう」への問いかけは、「真理探究」という言葉に言い換えることが可能です。「真理探究」へのまなざしを持つことで、東北の花巻から世界文学の地平へと接続されていくわけですね。世界の文学者たちは、たとえば神とは何か、人間とは何なのか、永遠の真理とは何かといった人類の根源的なテーマに向けて作品を書いてきました。前述した幸福についての議論などをふまえると、公共的な可能性を考える坂口さんの作品が今後このような方向へと移行していく可能性もあると思うのですが、「真理探究」という点に関してはどのようにお考えでしょうか。


41.バイタリティ

宮沢賢治にもすごいエピソードが残っていますね。25歳の賢治が家出をして東京へきた時のことですが、半年ほど一人暮らしをしています。昼間は法華経系宗教団体の布教活動を行い、夜の間に創作に徹していました。1ヶ月に3000枚書いたとのことなのですが、1日に100枚、40000字として、これはものすごいと思います。そして、現役の作家で人が驚くくらいの分量を日々書いてきているのは、やはり坂口さんではないでしょうか。賢治の場合は、頭で冷静に計算しながらものを書いたというよりも、(それがたとえ性欲などであったにしても)何か根源的なエネルギーを大切にしていたようです。坂口さんの制作へのエネルギーやモチベーションというのは、躁鬱以外の要因から出てくることもあり得るのでしょうか。どのようにして膨大なまでの創作へのエネルギーを日々生み出しているのでしょうか。


42.つばぜり合い

アーネスト・ヘミングウェイの作品には、二者間の「つばぜり合い」がよく出てきます。老齢の闘牛士と凶暴な牛の闘い、漁師とカジキの闘い、そしてときには男女間のコミュニケーションにおける繊細な「つばせり合い」(「白い象のような山並み」)が描かれたりもします。対立の果てに死が顔を覗かせてくる、ほのかに死を見ることによって、そこから逆に生きていることを痛烈に感じるという展開は、翻訳家の都甲幸治さんによれば、おそらくヘミングウェイの戦争体験からの反映であるそうです。このように考えると、坂口さんもまた「つばぜり合い」を持っている。それも生と死だけでなく、躁と鬱の二者関係まで存在している。つばぜり合いの中から生の萌芽を導く坂口さんがひとつの戦争状態のようなものを生きているのかもしれないと、ヘミングウェイとの重なりから見えてきました。ヘミングウェイとの連関については、おおよそこのようになるのではないかと思っています。この「つばぜり合い」の思想は坂口さんを形作るものの一つであるかもしれない、そうだとして、他に坂口さんが抱えている二者関係には何があるのでしょうか。ほのかな死を垣間見せるものとしての「つばぜり合い」に関して、一度考えてみたいと思いました。


43.動き続ける

バックミンスター・フラーからの影響について触れたいと思います。「直線というものは存在しない」という思考ですね。たとえ鉛筆で定規を使ってまっすぐに線を引いたとしても、顕微鏡でみればでこぼこした線のように見える。フラーの建築においても、止まっているように見えるものが実は細かく振動していて、そのことで頑丈さを保っているのだといいます。ここから坂口さんは、微動だにしないものの強さではなく、動き続けて変化し続けるものの強度の方へと惹きつけられていきました。実際に、動き続けて変化し続けるものの持つ強度というのは、坂口さんの活動を追いかけてきた読者からすればわかりやすいものだとも思います。僕の考えでは、動き続けるためにはどこかでバランスを取るというか、動きすぎないための工夫を持っているのかなとも想像しました。中庸の姿勢を持つからこそ、他人からしたら「動き続けている」かのようにみえる。動きすぎないための方法をわかっているから、動き続けることができる。坂口さんにとっては、動きすぎないための思考などは効果を持っているのでしょうか。


44.暇と退屈

哲学者の國分功一郎さんの著作に『暇と退屈の倫理学』があります。「暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか」という問いに対して、坂口さんはかなり真正面から答えを出していると思うのですが、ここで考えたいのは國分さんが参照しているユクスキュルの「環世界」との関係です。すべての生物が生きている別々の時間と空間が「環世界」であり、國分さんは、人間が他の動物に比べて極めて高い環世界間移動能力をもっていることを指摘しました。そして、人間は環世界を相当な自由度を持って移動できるからこそ退屈するのだと。坂口さんも様々な制作を同時並行的に楽しんでいます。そして特徴的なのは、それでもしっかりとひとつひとつの制作にグリップしているというか、中途半端に飽きないところです。好きなものしかやらない、飽きるならやらないという選択の積み重ねによってそういった次元にたどり着くのか、それともドゥルーズのように坂口さんも何かに「とりさらわれる」(そして「動物になる」)瞬間を待ち構えているのか。簡単にいえばどうやったら飽きないのか、うまくとりさらわれるためにはどうしたらいいのかということを、「楽しむことの訓練」に精通している坂口さんに、詳しくきいてみたいと思いました。


45.ゼロ

ゼロコストなんて難しいのではないか。結局すごい人が頑張って影から支えるしかない。簡単にいえば入り口としてはそういう話で、その限界を超えていくための議論をしたいなと思います。少し意地の悪い見方をすれば、いのっちの電話も、0円ハウスも、結局坂口さんが裏でカバーすることから成り立っています。坂口さんが犠牲になっているとも言える。すごいのは、坂口さん自身はこの構造にすでに自覚的であるにもかかわらず、自身の犠牲を放っておくどころか、あえて自分の権力をゼロにするようにも働きかけていることです。同じ盤上にいるにもかかわらず、相手が緊張し縮こまってしまうことを防ぐためですね。これは強者がわざと自分にハンデを課す感じとも言える。権力をゼロにする。そして自分への負担がないのだという回路を、それを言葉や実践の形に落とし込むことによって現実的なものにしてしまう。だからゼロコストを達成、継続していけるのだ。これは贈与の文脈とはまた少し違った形で自分自身をも納得させる理屈だとも思いますし、ゼロの裏側に隠れたこの回路は評価されるべきです。しかしながら、これは坂口恭平だからこそ成り立っているゼロコストでもあるのかなと。重荷を背負わない中で、幻想ではない形で(幻想が現実になる効果は踏まえた上で)、ゼロコストは可能なのかきいてみたく思いました。


46.孤独

坂口さんは、「孤独」に関してどのようにお考えでしょうか。僕はやはりどんなに手を尽くしても、一人でいることは難しいし大変だなと思います。一人でいることが大好きです。本を読んだり映画を見たり、ただ歩いたり寝たり。どの瞬間でも寂しくはありません。そういう時の自分は「孤独」っていいなと、世間一般的な考えに近いものとして共感します。ただ時にどうしようもなく疲れている自分を、大切な人の存在をきっかけに発見することがあります。深く癒され、心が休まる。ああ、自分って疲れていたんだな、大切な人の温もりというか時間を本当は心の底から望んでいたんだなと後から発見します。その時にならないとなかなか「孤独」は見つからないし、表面には出てこない。個人の力で「孤独」を乗り越えた気になっていたが、ふとした時にそうではなかったことに気づく。「孤独」への出会い方としては一応不幸せではないのかなと思いますが、自分では認識できないところにある「孤独」、これだけ乗り越えるレッスンを重ねてきても決して消えない「孤独」というものに興味を持っています。

47.酋長

坂口さんには、「酋長の哲学」とでも表現できるような姿勢があると思っています。いわば「あらゆるすべての経験を積め」というやつです。レヴィ=ストロースですね、『悲しき熱帯』。酋長は物事を率先して巧みにやって見せつけるとか、酋長はいつでも群れの人々の気晴らしになり、日々の生活の単調さを打ち壊すために陽気に歌ったり踊ったりするとか、酋長は医療師で、呪術師で、シャーマンで、、、と続いていきます。坂口さんの表現は夢だったり幻覚についても触れますし、いのっちの電話などでの現実のずらし方にも近いところがあるかと思います。坂口さんはかつて酋長に入門する、その扉を開きました。いくつもの実践を通して酋長色も強まってきていると思うのですが、いま仮に酋長の立場から考えて、今後新たに目指していく方向はあるのでしょうか。それとも、初めに掲げた基本に向けてこれからもその習熟の度合いを強めていくのでしょうか。


48.肯定性

僕は、小説家の磯崎憲一郎さんがいうところの「書かなければならない」使命感みたいなものに共感しています。これはネガティヴな文脈での「しなければならない」ではなく、好きな作家たちに励まされることから生まれているのだと解釈しました。カフカやガルシア=マルケス、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ビートルズ、、、彼らが放出している肯定的な力に自分も奉仕しなければならない、そのような使命感だと磯崎さんは書いています。僕にとっては坂口さんの小説というのもやはり「肯定性の文学」であり、制作から生まれているのも「肯定性を含んだ作品」だと思っています。力強いものから儚いものまで、様々な肯定がそこにはある。坂口さんのなかでも、肯定的な力に奉仕しよう、その一部分となろうというような感覚は存在しているのでしょうか。



【姿勢】


49.厳しさ

ここでは専門家としてのプロフェッショナリズムについてではなく、あくまでプロの作家や表現者としての意識を、若い頃からどれくらい強く持たれていたのかということをききたいです。表の場でははっきり言わずとも、ご自身に課されていた「厳しさ」というものがあるのではないかと思います。坂口さんのふとした際の発言や所作から漏れる「厳しさ」というか、坂口さんの物事に向き合う姿勢を感じ取ると、ただ楽しく制作をしていれば良いわけではないことも伝わってくるように思います。楽しさに力点を置いているけれども、しっかりと自分自身の手綱は握っている。プロとして生きるための姿勢に関して影響を受けた人物や出来事などがあればきいてみたいです。


50.気前の良さ

僕は、坂口さんが首長の姿勢から導き出した「気前の良さ」という概念がとても好きです。さらに知的な面で気前が良くなれば「器用さ」にも到達できるのですが、僕はまだそこを考えられる次元にはありません。世の中の人たちがもう少し「気前の良さ」を持ち、そうした態度を開いていけば、大抵の問題は解決できると思うのですよね。むしろ「気前の良さ」がないからこそ、他者から最大限の利益をむしり取ろうと必死になる人々が現れる。もはや自衛を超えて他者への患いとなっていることが自分でも気づけない。僕もこの「気前の良さ」が導く自由や風通しの良さというものについて、今後さらに深く考えてみたいと思っています。鬱の状態の時でも「気前の良さ」を保つには、どのような工夫をされているのでしょうか。


51.Decency

頭木弘樹さんの紹介で知ったのですが、カート・ヴォネガットは来日して大江健三郎と対談した際、「人間として何が最も重要と思うか」と問われて「Decency」と答えたそうです。「Decency」は英語圏の会話の中でよく使われる「Decent」のニュアンスだと思うので坂口さんの「気前の良さ」に近いところもありますけれど、ここではひとまず「親切」という訳を当てはめます。ヴォネガットが「親切」に価値を置いたのは、それが「愛よりも少し軽いもの」だからです。愛は重い。愛の名の下に、恋愛から戦争まで、多くの争いが起きています。愛することは難しい。一方で、「親切」にすることは愛することよりも簡単で、まだできるという感じがする。嫌いな相手に対してでも、多少の「親切」ならしてもいいかなと思える。この「親切」の軽さにヴォネガットは意味を見出したのだと思います。この軽さによってもたらされた「親切」は、たとえそれが軽い気持ちでなされていようとも相手には「親切」なのであって、たかが親切されど親切なのであって、かけがえのないものになり得ます。坂口さんの中で、このような「軽さ」を伴ったコミュニケーションというのは重要かと思うのですが、たとえば「親切」に似たような概念を「気前の良さ」などの他にも活用しているのでしょうか。


52.謙虚さ

坂口さんを語る際に、謙虚さというのはとても大事な要素だと思っています。謙虚さの扱い方というか、その程度によって生まれてくる制作の形があるからです。坂口さんは、他のどんな人よりも謙虚であるという状態を自身に課している。課しているというか、心の底からそう思えるようにすでに身体化されているわけですよね。だからこそ、下手でもいいからとすぐに動き出すことができる。ぼくがきいてみたいなと思ったのは、謙虚だからこそ本当に動けなくなってしまうみたいな状況についてです。それは謙虚じゃないから動けないんだというのが一つの見方としてあるとします。自分なんてちっぽけだと思えたら、自分を守る必要がなくなったら、好きに自分を見せることも容易になるのだと。一方で、僕は「死にたい」を抱えた人の中には、謙虚であることを外側に向けたエネルギーとしてうまく使えない人たちも一定数いるんじゃないかなと思うんですよね。いわば「不遜さ」がほしい、「思い上がり」がほしい。ほしくても、どうしてもできない方がいると思うんです。たとえばそういった「不遜さ」を、あくまで良い意味合いの中で表現やアウトプットに生かしていくためには、どのような過程をふむ必要があるのでしょうか。


53.ドラッグ性

ルー・リードの話から展開したいと思います。ドラッグを摂取するのではなく、自分自身がドラッグそのものになるのだという発想の転換が坂口さんにはあり、それは表現に対してもかなりの影響を及ぼしているように見えます。もはやドラッグに例えられるレベルにまで自分自身の「酔い」を持っていくために、もしくは「酔い」を駆動させるために、何か音楽的な要素が関連しているのでしょうか。またそうした酔狂を持続させていくためには何が重要になるのでしょうか。


54.揺れ

これも意地の悪い見方なのかもしれませんが、素朴な疑問というか、あくまでもひとつの関心としてきいてもらいたいです。坂口さんのなかには、本当にふたつの態度があるのかもなと思ったりもしています。たとえばですが、推敲をする、推敲をしない(推敲をしていることに気づいてほしい、推敲をしていないことに気づいてほしい)とか、承認欲求は必要、承認欲求は不必要、もしくは自分のことを見てほしい、放っておかれたいなど、様々なレベルで坂口さんのいっていることには両面性が現れるのですよね。これは長い時間をかけて丁寧に坂口さんの作品をフォローしている人であればあるほど、身に覚えのあることなのではないでしょうか。もちろん、都度の作品ごとにおいて取り組んでいることや狙いが変わったりもしているので、あくまでその時々に片方の態度を選択しているのかもしれませんが、決してそれだけでもない気がする。制作ごとのモードに加えて、躁と鬱の間を行ったり来たりすることによる揺れも加わり、全体として様々な方向に複雑に揺れているのかなと想像しています。坂口さんの中では、このような姿勢の揺れに関してはどのようにお考えですか。


55.インディペンデントな商売

坂口さんはとてもインディペンデント性の色濃い作家だと思います。しかしそれだけではなく、機を見てきちんと大衆の目をひくような営業、商売を仕掛けていく。たとえば出版社との関係性もそうですよね。しっかり商人としてやれることをやる。インディペンデント性と商売の両立はいまの言論界ではできていない人の方が多いので、坂口さんのご意見には意味があると思いました。文学フリマなどで継続的な制作はしていても大きな出版には至らないフリーの作家、ビジネスマン受けのする本を狙って書き続けるライター、望みにかけて自分の博論の出版をひたすら待ち続ける大学院生、みんなどこかしらで行き詰まっている印象を受けています。坂口さんくらいご自身で全てをこなせる方であっても、商売に関して妥協はしない。改めてそのことの価値や意味合い、態度についてお話をきいてみたいと思いました。


56.絶対的なプライド

プライドの話をきいてみたいと思います。僕なりの言葉で表してみると、「絶対的なプライド」と「相対的なプライド」というものが考えられて、前者が満たされているうちは「孤独」も薄れるのではないかと、若い時には考えていました。承認欲求に振り回されて、他人を叩き、落とすことで自己愛を守っている人々は「相対的なプライド」しか持っていません(ともに良くなろうと思えるような余裕がない)。むしろこの「相対的なプライド」を守るために迷宮入りしているように見えます。多くの人たちにとってはほとんどがこちらのプライドです。一方で、制作を地道に続けてきた人たちにはそれぞれの「絶対的なプライド」が養われていくと思います。ある意味で自己受容ができているので他人を攻撃する必要がない。だから承認欲求や人間関係のトラブルに苛まれることもなくて、自分を安定させることができるのだと考えていました。一般的に言うところの孤独は乗り越えた気がするのですが、「絶対的なプライド」を磨いていった先でも新たな「孤独」に出会った気がするなというのが現在の僕の状況です。坂口さんは、「絶対的なプライド」を伸ばしていくことに関してどのようなお考えをお持ちでしょうか。


57.語りの権力

僕は批評が持つ権力構造についてよく考えます。僕が格好悪いな、イケてないなと思うのは、ただ権威的に振る舞うのが好きで、批評だったり芸術をそのための道具のように使っている人たちです。しかも実力を伴わずに、声の大きさだけで周囲をごまかす人達がSNSの影響でかなり増えてきたように思います。何が実力なのかという点でいえば、ここではひとまず「自分自身の論」を持っているかということをその測りにしておきます。作家であれ、批評家であれ、文芸に関わる人間であれば、これまで培われた芸術の文脈の中でのひとつの持論(文学的な)を最低一つは確立させている。そういった自身の哲学が根本にあるからこそ、ようやくはじめて他人の作品にも向かい合うことができる。この論は勉強の結果として得られた知識を並べるだけの文章のことではなく、あくまで自分自身の身体性を通して導かれた「固有の音」のことを意味しています。実際に文芸に取り組んでいる人同士では通じ合うところがあるとは思いますが、世の中の多くの人にはこの「固有の音」についての判別が難しく、声だけが大きい人に簡単に騙されてしまう。結果的に、実力を持っていなくとも、自己愛の結果として、権威的に振る舞うことに酔った結果として、他者を批評する展開を止められなくなる人が生まれるのだと思います。さらに言えば、一度酔ってしまった人たちに自己批判的な視線を期待することも難しい。坂口さんは、若い頃からそういう人たちとは全く違うというか、声の大きさがあっても固有の音をはっきりと際立たせていたと思います。中身が、持論が、そして思想があった。僕も自分自身についての課題がたくさんあるのですが、権威的に振る舞わないための意識について、坂口さんに聞いてみたいなと思いました。


58.聞き流す

抑えつけるのでもない、反抗するのでもない、無視するのでもない、深く入り込むのでもない。ただ相手の存在を肯定し、ともにそこにいること。もしくはただともにいるという形での共同体。坂口さんは「聞き流す」という表現を通してそうした関わり方を強調していくわけですが、この「聞き流す」に行き着いたのは、妻や子供から今まで知らなかった家族の形を教えられる『家族の哲学』においてかと思います。『家族の哲学』からおよそ10年経った今の地点からみると、当時から「ケア」の形について坂口さんは書いていたのですよね。しかも、積極的な介入を目指して都合良く振り回されている「ケア」概念とは違って、公認心理士の東畑開人さんが使われている方の狭義の「ケア」、ただそこにいてあげるという「ケア」の在り方を坂口さんは前もって描いていたのだと思います。「ケア」に関する議論が活発となってきたいま、ここで坂口さんの感覚をもう少し詳しく追いかけてみます。坂口さんは「聞き流す」という言葉を当てはめているわけですが、ここでは「ただそこにいる」に加えて「ただ話を聞く」のニュアンスが加わっていると整理できるでしょう。「ケア」を行う側の立場からしても、「ただそこにいる」はできても、「ただ話を聞く」の方が難しく感じる場合もある。言ってしまえば、現代人は前者に対応してきてはいるが、後者の方にはまだうまく対応することができていない、僕にはそのように見えています。坂口さんの「聞き流す」という言葉には、「ケア」の議論をさらに先に推し進めるような可能性があると考え、いま改めて「聞き流す」(意味ではなく音楽として受け取る)ことについてのご意見をきいてみたいと思いました。


59.利他のバランス

哲学研究者の近内悠太さんは、ケアの風景、利他の風景として、たとえそこに間違いがあったとしても劇を止めないこと、言語ゲームからその人を疎外しないこと、「こうしなくちゃいけない」や「こうあるべき」という規範性を書き換えてしまうことといった言葉で表現しています。ケアや風景を考える際にしばしば土台とされるのは、他人への想像力です。「汝が他人にしてもらいたいと思うことを、汝も他人に対してなせ」というチャールズ・ダーウィンの黄金律。僕は最近援用されがちなこの回路に少し直接的な強さを覚えてしまうといいますか、他者理解って難しいので、もう少し消極的な利他の姿勢もあり得るのではないかなと思っています。具体的にいうと、「汝が他人にしてもらいたいと思うことを、何時も他人に対してなせ」というよりも、「自分がされて嫌なことは他の人にはしない」といった姿勢のことを考えています。これは小さい頃に僕の母親から習って以降ずっと自分と並走している言葉でもあり、積極的利他に対する消極的利他のような形があるのではないかと思っています。「自分がされて嫌でないのなら他の人にしてもいい」といった単純な話にはならず、僕にとってはときに他者への想像力そのものが他者への過度な介入だったりに行き着いてしまうのかもしれません。他人について考えようとする想像力が、結果的にケアや利他とは異なる方向に帰着してしまう、これから一般的な議論が増えてくるに従ってありえなくもない傾向なのかなと思います。積極的であれ消極的であれ利他に開かれた状態であることが重要だとして、坂口さんはどのようなバランスにおいて両者の姿勢を保っているのでしょうか。たとえば「気前よく」何かをしてあげようとするときと、ただ「聞き流す」ときでは異なる利他の姿勢が発揮されていて、坂口さんにも両方の感性が混じり合っているように見えます。


60.さらけ出す

マーク・トウェインの話につなげます。坂口さんは「自分が体験したことをできるだけ詳細に時空のズレすらも正確に恥ずかしさや社会的な家庭的に問題になっても恐れず書き記す」ということを目指しています。マーク・トウェインもまた、いわば「みっともなさ」までを意識的に描いた作家でした。『失敗に終わった行軍の個人史』という作品では、英雄を中心に華々しく語られる南北戦争に対して、ごくごく平凡な人々の視点を導入します。ただふらふらと戦争についていっては仲間割れをし、誤って発砲して人を殺してしまい、トラウマを抱えたりする。英雄になろうとして戦争に参加した若者たちの無能さをありのままにさらけだすことで、しばしばなかったことにされてしまう人々の時間を、公的な歴史の代わりに語りました。ある文脈において表現するのが恥ずかしくなるようなエピソードでもさらけ出すことを恐れない、そんなマーク・トウェインの姿勢や勇気というものは、坂口さんに共通するものなのかなと思います。ここで考えてみたいのは、マーク・トウェインが肝心の描写の際にはコメディタッチを用いていたということです。都甲幸治さんが指摘していますが、笑いがあるからこそ、辛い現実や今まで見えていなかったものまでをも見させることができたのだと。坂口さんは笑いと勇気の関係性についてはどのようにお考えでしょうか。



PART4 実務

(61〜70)


61.インプット

坂口さんは、ご自身のインプットに関して多くを語りませんよね。たまに引用元や好きな作家について教えてくれたりもしますが、僕にはそれもほんのごく一部であるように写っています。やはり突拍子もない形で様々な固有名が飛び出してくる様をみていたり、実際のものすごい勉強量というのが作品から伝わってくるからです。ぼくがここでききたかったのは、どういった作品をインプットしていますかということではなく、坂口さんはいつインプットをしているんですかということの方です。一体いつ本を読んでいるんだろうと、ここまでの量のインプットが可能になっているんだろうと素朴な興味を持ちました。1日のうちでアウトプットに費やす時間に関してはしばしば語られていますし、実際にその様子を動画などを通しても見ることができるのですが、坂口さんはどのように勉強をされていますか。学生時代からの蓄積があったりするのはもちろんだと思いますが、普通に気の向いた時にインプットをされているのでしょうか。それともある程度これも計画的にされているのでしょうか。


62.アウトプット

坂口さんのいくつかの発言を聞いていると、たまに「自分の頑張りに気づいてほしい」とでもいえるかのような感情を受け止めるときがあります。まず正しい過程の積み重ねがなければこれだけの量の制作を、評価を伴った表現にまで高めることはできません。でもここにはやはり難しさもあって、ストイックさを見せると今度は人が受け取る優しさの度合いが変動してしまうということなのかなと思います。「ゼロ」の問題でもありますね。坂口さんが自身を「下げる」からこそ、相手は心にゆとりを持つことができる、できたりしてしまう。でもそうすると、どこかで坂口さんにも負担がかかっている。ゆえに「自分の頑張りに気づいてほしい」という発言も生まれてくる(可能性)。僕からすれば、坂口さんのアウトプットというのは、それだけで人に「気づかせる」ものがあると思います。それでもどこかで、もし坂口さんに制限のようなものがかかっているのであれば、影響として現れているのかどうかなど気になりました。もちろん、坂口さんは真摯に全力を注ぎ込んでいるから、「自分の頑張りに気づいてほしい」が「わかってもらえなくても仕方ない」という割り切りの上での発言かもしれませんし、ひとまず「ゼロ」のことにも関連して考えてみたいなと思いました。

63.体力づくり

ぼくは以前は筋トレ、今は有酸素系のジムに通っているのですが、それは基礎体力をつけるためです。本当は畑仕事などをしたり、山に登っていれば自然に力もつくのかもしれませんがそうはいかず。結局のところ、多くの皆さんと同じように、継続的なものづくりには体力がいるなというのが僕の考えで、簡単に風邪をひいてしまったり、疲れてしまって気力までなくなってきたりすると、日課への負の影響があると思っているのですよね。日課を続けることに失敗してしまうことがあります。坂口さんは、ご自身の基礎体力をつけるために何か運動はされていますか。あくまでも長く健康的に作家生活を送るための試み、その一要素として体力の問題を捉えていますでしょうか。また、もし体力に気を遣う必要があまりないのだとしたら、楽しさ以外にも、能動的な制作を土台として支える他の要素のことをきいてみたいです。


64.推敲

坂口さんのいくつかの『小説』はいわば「言葉の激流」のようなもので、そこで何か意味を掴み取ろうとしても簡単に失敗してしまうと思います。むしろ激流の中で、流されながらも水の流れの変化などを感じ取っていたら、自然と音楽が聞こえてくる。リズムに開かれてくる。僕はそのような体験をしています。もしくは、その時々の自分が反応する言葉の塊のようなものをたどっていく、気に入ったフレーズ(やアフォリズムなど)を追いかけながら読み進めていくことも、小説の楽しみ方として良いかと思います。読む側はこれでいいのですが、書き手側、編集側のことを考えるととても不思議な気持ちになります。どうやって推敲の神経を保つのかということです。おそらく坂口さんは、推敲においても並々ならない力を使っている気がして、おそらくただ流れるように書いただけの作品ではないなと、そう思わされるのです。一般的に読者の側からしたらあまり気にしないポイントなのかもしれませんが、僕もひとりの書き手として気になりました。坂口さんは推敲に何か工夫をされているのでしょうか。どのような態度で推敲に向かい合っているのでしょうか。(僕も坂口さんの文章にもっと細かく、時間をかけて向かい合いたい。それは次回の坂口恭平論での宿題になりますが、その姿勢をより強く持ちたいという思いから質問をさせてもらっています。)


65.前提

僕の見解ではありますが、坂口さんは、一般的な読者が難しい本を好まない、読まないといった現在の状況を正しく認識しているように思えます。ただ「読者を信じる」などといって、商業の場で好き勝手に表現を発表できる状況でもなくなってきました。というかすでにそのような状態になってから長い時間が経っているかと思います。状況を見なくて良いのだという理由なんていくらでも正当につけられますが、そこであぐらをかかずに、上から目線で表現を出す以外の道筋を考えている作家は、特に僕より年上の世代では少ないです。批評家の東浩紀さんがいうところの「動物」的な振る舞いをする人々に、どのようにして言葉を届けるか。もちろん自分の好きな方向を向いて好きなように制作をするという時間は残しつつも、いかにして目の前の観客や読者を意識することができるのか、自分の表現を損なわない形で届けることができるのか。僕も坂口さんも、自分にとって固有の文脈を共存させながらも多くの人たちに届く線を探しているところがあるのかなと思い、一緒にこの問題を考えたいと思いました。


66.演じる

坂口さんはご自身の活動において、どの程度「演じている感覚」を持たれていますか。「坂口恭平」という像をどれくらい意識していますか。ご自身の様子をYouTubeで流す際などには、本当に自然体の坂口さんがそのまま映っているのかと思います。一方で、坂口さんには自分の人生の脚本を書くという意識もあるはずで、どこかでフィクショナルな未来の坂口さんを想定し、そこに合わせて生きる部分もあるのかなと思うのです。だからYouTubeに映っているのはありのままの坂口さんであり、同時に脚本を演じている坂口さんであるとも考えられます。演じるからこそ引き上げられる自分がいたり、助けられる自分がいるのかもしれない。坂口恭平という演劇をどのように演じているのだろうと興味を持ちました。


67.漫画

坂口さんは、小さい頃に漫画をすでに書かれていましたよね。漫画表現者としてネイティブというか、僕にはそういう風にすらうつっています。なぜかというと、これは最近考えていたことなのですが、自分の表現の手段としての漫画を持ちたいと思っているからです。それもより純粋な表現としてというよりかは、どちらかというと「人に言葉が届かない」時代状況をふまえ、伝わりやすい表現手段を持ちたいという気持ちから生まれてきた考えです。僕はこれまで続けてきた文筆活動はやめる気がありませんし、むしろもっと複雑なことを学んでいきたいと思っています。同時に、それとは別にメディアとしての漫画表現を習得し、並行させていくことを考えています。坂口さんは、現代においていわば「コミュニケーションツール」のように変化してきた漫画について、どのようにお考えでしょうか。僕はそういった漫画表現でも突き詰め、貫いていくことで、芸術性を持つところまでいけるのではないかと考えています、反発も買いそうですが。『生き延びるための事務』が発売前の段階ではありますが、漫画についての坂口さんの意見をきいてみたいです。今後も漫画作品を展開していくことは考えていますでしょうか(「死にたい」の線でいえば、届くための効果はあると思います)。


68.Twitter(X)

Twitterは坂口恭平にとっての総合芸術である。四次元空間のような理解を得るため、そして複数のツボを押すための道具。坂口さんが運営している唯一のSNSメディアでもありますし、そこには制作の多くが吸収されていきます。雑誌を作り、映画を作り、自ら編集をする。そういった感覚はとても楽しいものなのだとTwitterにも投稿されていましたね。Twitterに関して僕が思うことは、すべての芸術をそこに集約した際の交通の難しさというか、やはり現状では整理も難しいカオス状態が生まれるように見えるんですね。それもまた面白いのですが。インスタグラムとかはTwitterよりも過去の投稿が見つけやすかったり、映像の記憶もその助けとなります。一方でTwitterではなかなか簡単には過去のものまで遡れないというか、坂口さんくらいの投稿頻度になると現実的に見つけることも難しくなってくるのではないかなと。そういったものは坂口さん的にはあまり気にならないのでしょうか。もちろん、ツイログなども利用はできますし、文章に関しては、なんとか拾って再編集し、書籍などに活かすことも可能だと思います。文字である以上Twitterも原稿であるとの考えから、たくさん書いていく理由も理解できます。諸々を含めて、坂口さんのツイッター哲学のようなものを聞いてみたいと思いました。


69.複写

坂口さんには珍しいとは思うのですが、固有名とともに具体的な勉強について触れた記述を見つけたので質問にしてみました。鬱期にジョセフ・コンラッドの『闇の奥』を読みながらMacbookのテキストファイルで複写をしていたという話があります(『発光』)。自ら創造的なことは考える必要はなくて、とにかく手を動かしているうちに読めてくる。いかにして創造的な回路が生まれているのかを他者の思考を使ってゆっくりと理解していくことができる。勉強法の一つとして、このような複写は今でもされているのでしょうか。


70.反射しない

たとえば「死にたい」の感覚について文章にしたり、むしろその前の段階で自分自身について語ろうとする行為にすら、芸術の世界からの反発を感じとってしまうときがあります。文筆活動をしていると、特に小説の世界を大事にする人たちからは小言を聞かされているように思うこともあるのです(Twitterでエアリプばかりする人もいますけれど、実際には僕自身による僕へのツッコミに転化します)。簡単にいえば、自分のことばかり書くなと、自意識にこだわったところからものを考え始めるなと。個人の世界を突き詰めた先に世界の真理があるように書くのではなく、世界を世界そのままとして書きなさいと。自意識や自分の感覚よりも現実を大きなものとして描く、そのために言葉を費やしなさいと。おそらく小説の世界を守ろうとしての発言だとは思うのですが、そのような小説的な姿勢はすでにいくらか権威的なものになっていると思うのですよね。もちろん現実を豊かなままに取り出すための練習は欠かしませんし、その必要性も重々理解しているのですが、やはり威圧的な声というものに対して自分自身の感性を萎縮させてしまうところがある。それが僕の課題の一つでもあるのかなと思っています。反発に対する反発で文を書いてしまうことがあっても、本当はその方向で書くことがやりたかったわけでもないんだよなと後から気がついたりもします。坂口さんは、自分の世界にこだわるなというある種の権威的な声に対して、どのように自らの創作を適応させてきましたか。自分の感性を萎縮させずに、自立した芸術への道筋を見出していきましたか。



PART5 生活

(71〜88)


71.料理

以前は自炊なんて面倒でした。出来上がった美味しい食事を簡単に、それもより安く買えてしまう時代に生きています。でも今は、自分で料理をするほうが楽しい、そう思います。自炊をすれば、自分が好きなように日々「味を変えられる」ことに気づいたからです。外でのご飯は確かに美味しい、そしてメニューもたくさんある。でも結局自分は好きなメニューばかりを一貫して注文し、飽きたらまた手持ちの手札のなかから別の好みを注文する、そういった循環の中に閉じ込められていました。味の豊かさが失われていました。ぼくたちのからだ自体も、絶妙にですが、日々美味しく感じる味付けを変化させています。塩分が足りないとか、水分が足りないとか、いろいろな理由があります。日々の状態に合わせて自分の好みの味を見つけていく。味を整えられると、毎日が自分にとってのベストな食卓に変わります。ただ、もしかすると美味しさを追いかけていったがゆえの不自由さというものもあるのかもしれないなと思いました。美味しさは大事ですけれども、美味しいだけが料理ではない。僕などは美味しさに紐づけていかないと習慣的な料理のプロセスにすら到達できなかったのですが、むしろここからどのようにして美味しさから離れ、料理自体の喜びを見出すか、または別の美味しさに開かれていくか。そんなことを坂口さんの料理ノートを見ながら考えさせられました。坂口さんは、美味しさとどのような距離感を結んでいますか。


72.陶芸

ウィリアム・モリスと坂口さんを接続してみたいと思います。自然の樹木や草花をモチーフにしたモリスのテキスタイルデザインのファンは多いですが、ここではより根本的な話です。「芸術と仕事、そして日常生活の統合」という理念を掲げてモリス商会を設立したことからもわかるように、モリスは生活に必要なものこそ美しくあるべきと主張しました。とりわけ手仕事の重要性が説かれます。大量生産大量消費の循環から離れていま一度原点に立ち戻り、自分にとって価値のあるものを大切にする。「アーツアンドクラフツ」の精神は、現代の持続可能な社会と生活の観点からみても意味があるでしょう。モリスの掲げた精神は、それを支持する人々の運動にまで展開されていきました。坂口さんにとっての日用品づくり、陶芸やガラス細工などは、多くの人々に展開可能な「制作の思想」としての意味合いを超えて、何らかの傾向を目指したものなのでしょうか。

73.家事

ニュートラルポジションに戻すことの大切さについて、考えてみたいと思います。家事において重要なのは、常に次の動きがはじまるように「元の状態に戻してあげること」ではないでしょうか。床を綺麗にする、お皿を洗う、洗濯をする。それらは床に寝転がってストレッチをしたり、美味しいご飯を載せたり、気持ちよく服を着て出かけることを導きます。何かをしたら元に戻しておくと、次の動きが始まる。もちろんこれは家事についても同様なんですよね。家事をしたら、家事に使った道具のあれこれをニュートラルポジションにしっかりと戻す。次の家事を導く。そうやってうまく流れていく。坂口さんは、行動を起こすための行動としての家事を楽しみますか。一般的にみて、他の行動と違って家事は楽しみを覚えづらいところもあるのかもしれないですが、「事務」的な要素も併せ持つ家事について、いま改めて坂口さんのお考えを聞きたいです。


74.農業

京都で有機農業の修行期間を終えた友人が、今年の4月から地元の千葉に戻り、農家を始めます。ぼくも遊びに、学びに行ってみようと思っています。農業をやっていると、季節の移ろいに敏感になり、自然が有機的に循環する様を目の当たりにできるそうです。この言葉では尽くしきれないくらい、実際にその通りなのでしょう。坂口さんも畑を営んでおられます。簡単には思い通りにいかない農作物や土、水、それらと触れ合うなかで、農業のどこに「制作」的な特徴、農業だからこその「制作」的な面白さを見出しますか。(ぼくの家も米農家で、収穫したお米をお世話になった方々へ渡す際には喜びを覚えています。)いま書きながら気づいたのですが、こんな幸せな話だけでは終わらないのが農業で、坂口さんは恐怖としての自然観も強くお持ちなはずです。河川敷で暮らす際になぜ砂利を巻くのかという話は印象的でした。雑草をそのままにしておけば人は生きられなくなってしまう、ある程度自然を管理しないと人間はやられてしまう、だからバランスを伴いながら自然と付き合っていくべきだという考えに行き着きます。自然は危険なものでもあり、親しみの深いものでもある。ときに贈与の喜びもある。農業についての坂口さんの考えをきいてみたいです。もしかしたらそれは「制作」でもないのかもしれません。


75.コーヒー

坂口さんがケトルをコンロの上に置き、お湯を沸かしている。なんだかそれだけでも丁寧な所作に見えてしまいました。ぼくは電気でお湯を沸かしてしまいがちだったので、火でお湯を沸かすことの意味合いについて考えさせられました。言ってしまえばコーヒーを作るのも素材に触れ変化させていくという点で料理に近いのであり、そこで火は重要な役割を持ちますよね。火を通すことで、食材が変化し、未確定な世界に開かれていく。ここでは水が食材の立ち位置になってしまうのですが、やはりコーヒー豆の加熱だったりのことを考えても、いかに機械だったりのコントロールから離れた地点に立つということが大事なのかがわかります。コーヒーにおいても、きちんと一度「火」にぶつからせるというか、そういう価値を学んだ気がします。あれこれ書いてしまっていますが、坂口さんはよくコーヒーを飲んでいるように思われますし、コーヒーと火の関係について一度考えを聞いてみたかったのです。坂口さんは食べ物や飲み物と火の関係について、「火」にぶつからせることについて、どのようにお考えでしょうか。生活の解像度を上げるという意味では料理に開かれる視点でもあると思います。


76.編み物

坂口さんは、編み物をしていると独特のリラックス効果があるとおっしゃられています。これは編み物をしている際の手の運動が持つ速度というものが、脳の速度とは異なるがために生まれている現象なんですね。脳みそを空っぽにして、ある心地よい速度の中に身をまかせるというか、そういった作業は「死にたい」への対策としても有効なのではないかと思いました。結局のところ、なんだかんだで制作が大変だと言われる場合の多くには、それがときに頭を使うことでもあるからなのかもしれません。手先を動かし、あまり難しいことは考えなくても良い。頭を空っぽにしていても良い。それでも、負担が少ない中でしっかりとした制作物が出来上がり、充実感を得ることができる。制作を好きになることができる。頭を空っぽにしたまま、見栄えも良くおしゃれにこなせる編み物は、「死にたい」を抱えた人に向けて特に勧めやすそうです。もちろんそれぞれが好きなものを見つければ良いのだし、自分自身の声を聞くことが大事なわけですけれども、ある種の次の選択肢、別の選択肢として編み物のような制作を並行させていくことにも意味があるように思えました(制作のセーフティネット的な制作として)。頭を休ませる制作についてのご意見を坂口さんにきいてみたいです。


77.都築響一『TOKYO STYLE』

坂口さんの著作の中で見かけたことがあり、話してみたいなと思いました。僕もこの本が好きで、長い時間をかけてパラパラ眺めているうちにかなり自分の感覚がチューニングされてしまったように思います。『TOKYO STYLE』で描かれるのは、小さい部屋でも、ごちゃごちゃした部屋でも、とにかく「気持ち良く暮らしている」人々の様子です。家具や道具が自分の身体のように馴染んでくる感覚、物だけでなく空間、スペースとの関係もそうです。住人それぞれの小宇宙があり、人とは被らない個性が見えてくる。「コタツの上にみかんとリモコンがあって、座布団の横には本が積んであって、ティッシュを丸めて放り投げて届く距離に屑カゴがあって…そんな「コックピット」感覚の居心地よさを、僕らは愛している。」、そう本文にもありますが、この「コックピット」感覚こそ坂口さんも子供時代から大切にされてきたものなのかなと思います。それを可能にする部屋とはどのようなものなのか、いま改めて考えてみたいです。インターネットの存在により文脈が錯綜しているように思えます。


78.家族

僕はよく自分より大切な存在とは何なのかについて考えます。僕は未婚で子供もいないのですが、親になった友人たちがしばしば言うのは、今では子供の方が自分よりも大切な存在になったということです。これはパートナーとの間でも言えることかもしれません。自分よりも大切な存在が自分の外にある、そして潜在的にはですが他人にとっても同じ事態があり得る。子供にとっても、自分より大切な人が自分の外側に存在していくのかもしれない。そのように考えていくと、世界は「自分ごと」で回っているのではないんだなと思えるようになるというか、ぐっと外側に向けて広がっていくような印象を持ちました。それに比べるとやはり僕はまだまだ自分のことばかりを考えているから、それに応じた視野を持ってしまっているのかなと考えさせられましたし、いつか見方が変わることもあるのかもしれません。自分の家族のことはとても好きだし、なんなら気持ち的にはすでに自分よりも大切なのですが、僕の書いている表現の内容からして、まだ自分は自分の枠に囚われているのかなと考えています。坂口さんは、この自分という枠を、ご家族との関係のなかでどのように捉え、思考していますか。


79.土

自分の住む場所、生活する場所を整える。足元から考える。そういう準備があってこそ、自分から出てきたものをいじらないまま自然に出せるようになる。素材の生々しさを守れるようになる。『土になること』では、「土」の哲学が語られているように思いますが、これは坂口さんの他の制作にも深く結びつく重要な論点だと思いました。一般的に自分自身をさらけ出すことの意味は、まずは坂口さんよりもひとつ手前の次元で話が終始してしまう感じがあります。さらけ出すことが怖いか怖くなくなるかといった、自信にまつわるコミュニケーションの話ですね。しかしそれとは違って、もともと自分の中の深いところに持っていた感覚が何かのきっかけに表に出てこようとしたとき(それを感じ取れたのならばもうその時点でおそらく価値があるのですが)、それが自分より前の世代の感覚、土地の感覚であればいっそうのこと、なんとかこぼれ落とさないようにしたいと感じます。この文脈の方が坂口さんのいうところの土の役割に関係してくるのかなと。さらけ出すのはもちろん大丈夫、怖くない。そういう問題なのではなくて、いかに初動の生々しさを損なわないまま歴史的で現在的な感覚をさらけ出すことができるのか、それを考えることが重要なのかなと思いました。「土」についての考えをおききしたくて、勝手に質問に入れこんでしまいました。


80.酋長以外

少し前に書いたメモの中で書いているように、僕にとって坂口さんは宴を全て一から制作している人です。そしてその宴は、態度経済の中でこそ可能となる。酋長を務めるというのは、それが格好良いとか、肌に合っているからなんですかね。酋長をやらなければならないというよりも、酋長をやりたいからやっているんだと、そういう書き方も以前にされていたと思います。ここで考えてみようと思ったのは、態度経済や宴における、酋長以外の重要なプレイヤーの存在です。坂口さんは全て実践の形に落とし込んでいるから現場の(態度経済の)理解の解像度も高いはずで、坂口さんからして他の主要な役割というのは考えられるものなのでしょうか。リーダーが何人かいるのかなとか、それとも自分以外はみんな他者としているのかなとか、共同体の中身について考えてみたく、このような質問を用意させてもらいました。


81.唯一の読者

坂口さんの著作の中でも度々紹介されていますが、坂口さんには燈書店の田尻久子さんという、信頼できる読者がいます。それも、唯一の存在として信頼を置けるような方です。文章を長く書いていくために、そのようなパートナーがいてくれることは大切だよなと、制作における重要な話でもあると思ってきいています。坂口さんは、態度経済のなかで自分の作品を評価してくださる方々をどれくらい意識しながら制作をしていますか。もちろん歴史的な引用や同時代的な表現の流れをふまえて制作をされているかと思います。按配というか、どれくらい自分が態度経済に向けて自由であるのかをきいてみたいです。どこを向いて制作をしていくのかということの、バランス感覚を学びたいです。


82.本屋

ひとつの本屋さんに来たとして、どのように店内をみていくのだろうということが気になりました。最近は独立書店やひとり出版社もかなりの数に増えましたが、それらは本好き同士のネットワークとして、ゆるい態度経済のようなものを生んでいる気がします。態度経済を提唱している坂口さんは、どのようにして本屋さんを楽しみますか。書店員さんにおすすめの本を聞いたり、決まったジャンルの棚に向かったりするのか。自分自身への本の仕入れ方、自分の興味に対していかに新たな本を差し込んでいくのかについても興味があります。また、本を書きはじめる前の段階で、構想を練るために本屋に行ったりはしますか。


83.熊本県人

渡辺京二さんに『熊本県人』という著作があるのですが、この作品は「熊本県人気質」の歴史的な形成過程を丹念に掘り起こすものです。坂口さんは「熊本県人気質」についてどのようにお考えですか。ご自身もまた重なるところがあるのでしょうか。僕も『熊本県人』を参考にしながら、地元の千葉県人について考えてみたいと思っています。


84.土地の創作

坂口さんは、先祖巡りをして、そのすべてを文に収めていく。ここには、家父長制度を越えるための手がかりとして先祖のことを考えている、そういった文脈があるかと思います。ものすごくカジュアルにいえば、一番近い父親ではなく、先祖の話なら聞いてみようといった感じですね。そこから開かれてくる可能性があるだろうと。これは事実説得的な議論かと思いますし、さらに面白いのは自分自身と生まれ育った土地だけが結ぶ記憶や関係性というものがあるということですよね。先祖の声は、土地との関係性も媒介してくれる。逆にその土地が先祖との関係性を媒介してくれるという言い方もできるかと思います。坂口さんは、熊本に戻ってきてからはとりわけこの文学的な鉱脈を掘り進めているようにみえるのですが、生まれた土地の創作を継承していくという点について、ご意見をきかせてもらいたいです。


85.フィールドワーク

熊本にお引越しになってからは、かつての「都市の幸」を見つけるというものからまた別のフィールドワークの形へと何かしらの変化や展開があるのではないかと思いました。匿名的な素材が散らばっている東京都とは異なり、熊本にはその土地固有の歴史性がいたるところで芽を出しているのかもしれません。そもそも坂口さんにとってフィールドワークは、あくまでノンフィクションでなくても良い。フィクションでノンフィクションを達成するというのも特徴的であり、この方向を伸ばしていった先に石牟礼道子さんの鉱脈へと合流したりもするのかもしれませんね。坂口さんは現在お住みになっている熊本にて、どのようなフィールドワークを展開、もしくは思考されているのでしょうか。


86.海外

坂口さんの活動との同時代性を持たれていたり、坂口さんご自身が意識されている海外の作家はいますでしょうか。僕が北米に留学していた2010年代には、やはり心の問題を抱えている友人たちが多く、都会で生きる上での悩みなどを共有していました。いわゆるZ世代においてはメンタルヘルスへの意識がさらに上がると言われていますし、結構普遍的な悩みなのかもしれません。坂口さんは海外での展示も経験されていますし、今後の展開ということをふまえても日本国外との関係性を聞いてみたいと思いました。国内で土地固有の文学的な鉱脈にあたっているということも理解しております。


87.一坪遺産

東京から離れた場所では少しサイズが異なりはするのかもしれませんが、それぞれの人間にとって重要な「巣」が張り巡らされているという点では変わらないのかなと考えています。広さではなく、あくまで自分に必要なものを揃えた場所としての「巣」なので、その空間は今も誰かの手によって(時に面白い形で)展開されている。坂口さんは、『TOKYO一坪遺産』においては、都市空間の閉塞性を打開するためにあえて小さな空間への注目を強めていました。質問というのは、漠然としていて申し訳ないのですが、土地の歴史的な時間性に対し自らを開くかのような「巣」について、お話を聞いてみたいなと思いました。僕の実家の近くではそれぞれの家の庭に祠のようなものがあってその周りを各家庭ごとに整えていたりだとか、苗字ではなく家号(家の名前)で呼び合うことが普通なので「巣」としての家の空間性というのにもまた少し特徴があるように感じています。僕の場合は小川さんではなく「仁屋(にや)」さんと呼ばれるといった感じですね。隣の小川さんは「ひろばたけ」さん、足城さんは「しょうじゃつ」さん、中村さんは「むけ」さんです。


88.モバイルハウス

僕はVTuberとモバイルハウスの関係について考えることがあります。二次元と三次元の世界、さらにはフィクションとノンフィクションを行き来し、掛け合わせながら生きているVTuberにとっては、自分が生きていくための「素材」=「幸(さち)」がひたすらに転がっている状況のように見えるのですよね。もちろん僕はVTuberではないのですが、ある程度Youtubeでお金が稼げていて、ご飯も宅配できるような状況では、パソコンの前だけで生きられる人がいるのかもしれません。運動も画面の前でダンスとかしているわけですし、精神衛生も保てるのかもしれない。むしろ自分を守ってくれる鎧としてキャラのイメージを使っていたり、移動する感覚というのもネット内を飛び回ることで解消されている可能性があります。モバイルという言葉の力点をどこに置くかで意味は変わるのですが、ネット上のアバターだったりが誰かにとっての住む家、精神的なモバイルハウスとして機能している例もあるのではないかと思いました。つまりそのアバターに入った結果としてお金だったり食事だったり運動だったりへの機会が創出され、生活が立ち上がる。そのアバターの立つ位置、見せ方だったり存在の仕方は、ネット上でいかようにも動かしたり変えることができます。暮らすための家的な存在をネット上に持つということがいくらか現実的になったことにも恐ろしさは感じるのですが(寝る場所だけあれば良いという暮らし)、坂口さんにとってインターネット内世界における「生活」はどのように見えていますか。



PART6 からだとこころ

(89〜101)


89.閉塞感

僕は、今でも閉所恐怖症っぽいところがあるといいますか、満員電車には乗れないし、長時間車に乗ることもできません。日常を送るためにうまく利用時間をずらしたり、自分なりの工夫を設計して生活しています。とりわけぼくが辛く感じるのは、自分のからだが他の人でも物でも、何かによって圧迫されるときです。パーソナルスペースの問題でもないのですよね。たとえ自分の身の回り1メートルに空間があったとしても、閉じた空間の中に大勢の人がいれば常に酸素がなくなっているような感じがして、居心地が悪くなったりもします。これは一例ですが、とにかく様々な場面において僕のからだが不快さを感じてしまいます。いつか田舎に戻るのかなとは思っているのですが、坂口さんは東京の閉塞感や圧迫感に耐えながら生活をしていましたか。東京にいながら、居心地の良い狭さをどのように設計していましたか。


90.身体イメージ

『日常的な延命』というぼくの本に書かせてもらったのですが、僕自身の身体イメージのなかには、バーチャルで、ある意味で思考が停止してしまっていて、ときに危険な「流れ方」をするかのような像があります。デジタル環境に慣れすぎてしまったがゆえ、自分自身の固有の文脈を失ってしまったという状況にも近いです。そういう時にはどこからか聞こえてくる「死にたい」の声に自分のからだがくっついていってしまう気がして、それを避けるための方法などを僕は考えてきました。制作ももちろん効果のある方法の一つです。坂口さんは、ご自身の身体について何かイメージのようなものを持たれたりしますでしょうか。躁鬱を抱えた際に、身体はそれぞれどのような形で蠢いているのでしょうか。


91.眠り(24時間への合わせ方)

坂口さんのようにうまく1日を使えている人たちが羨ましいです。しかも、エネルギーがたくさんあるのに、うまく消費しながら眠りにつけている。というのも、ぼくのここ10年間くらいの悩みの一つに、「1日24時間」の枠組みがうまく心身にフィットしないことがあります。簡単にいうと、うまく疲れることができなくて眠れません。しかし、いつも以上にジムにいる時間を増やせば(一日の大部分を費やして)、とてもそれ以外の活動が回りません。結果的に、仕事をするなかでほぼ絶対に夜更かしをする日や寝ずに起きたままの日、昼夜逆転の日が生まれてしまい、規則正しい日課を持つことが難しくなっています。坂口さんはいまも眠りに関する問題を抱えていたりするのでしょうか。眠れなかった場合は、そのまま日課通りに一日を過ごして、その時の自分に応じた制作を選んだりするのでしょうか。また、眠りにつくために血糖値が上昇するタイミングなどを気にしたりしますか。ぼくは眠れないことから過食に走ってしまうことがあるので、どうにかお腹が空いた状態でも眠りにつけることが理想です。我慢したまま朝になってしまうことばかりで、それも悩みです。どうやったら眠れるのか、科学的なアプローチでなくても、もはや真似から入りたい気持ちすらあり、聞いてみたいです。


92.湯治

坂口さんが最近触れている湯治についても、ここで考えてみたいと思います。温泉の良さは、もう入ったら浸かるしかないというか、ゆっくり休まるしかないというか、その一方向性にもありますよね。「死にたい」を抱えているときって休むのが下手というか、どうしてもうまく休めない。休もうとしても度々邪魔が入るんですよね。もしくは中途半端を嫌って状況を打開しようと頑張りすぎてしまう。湯治の場合は、まずもう計画するところからも楽しいですし、そこに向けて出発してしまったらあとは何も考えなくていいみたいな気楽さがあると思います。そんなことを書きつつも、僕は読書の時間のほとんどはお風呂に浸かりながら読んでいます。サウナみたいに時々出たり入ったりしながら。でもそれも、時に苦しい読書を常にお風呂の存在が緩和してくれるみたいな感じで、楽しい読書ならさらにはかどるんですよね。椅子に長時間座るのが辛い腰痛持ちの人にも、お風呂の浮力はおすすめできます。もちろん出先の温泉で本を読むことなどはありませんが、やっぱり僕をここまで支えてきてくれたのもお風呂の存在だなと、坂口さんの湯治への言及を見ているうちに強く思わされました。湯治に関しては、歴史を紐解くことができるのも興味深い点だと思います。今後はどのように「湯治」についての思考を展開されていくのでしょうか。


93.心臓を休める

坂口さんから教えていただいた、まず横になって体に血液が流れる際の負荷を減らす方法、心臓をラクにしてあげる方法、これがかなりぼくのなかではヒットしました。家で仕事をしていて疲れてきたり、無理しそうになってきたときには、まずソファに寝転がる。気分が良くなるし、生産性がとても上がりました。坂口さんはもしかしたらこの方法以外にも知っているかもしれない、知りたい人は他にもいるかもしれないと思って質問にしました。ぼくの場合は自らカイロプラティック風に首を鳴らしてみたり、即効性はあってもどうしようもない実践ばかりです。起床時、作業時にうつに対抗する手段として、なにか試されていることはありますか。「手から先を簡単に動かす」のようなものの、さらに一歩手前にある動きのようなイメージです。


94.安全

坂口さんはご自身の安全についてどれくらいの神経を使っていますか。都内では、いわゆる「無敵の人」だったり中高齢のサラリーマンだったりが、自分の人生を棒に振るか降らないかくらいのレベルで喧嘩しているところを日々目撃してしまうんですよね。自暴自棄になった人がいのっちの電話にかけてくることなどはないのでしょうか。ドキュメンタリーの映像を合わせて坂口さんはかなりご自身のプライベートまでを開示しているように見えるのですが、熊本にいるから平気なのか、それとも万全の策を坂口さんなりに練られているのか。僕自身、今は日本にいることは好きなのですが、道ゆく人々への信頼というものはあまりなくて、自分自身の安全に気を配りながら生きてしまっているところがあります。エネルギーの無駄遣いだなとか自分でも思うのですが、世間一般に言われるような形で日本人のことをただの「良い人」として認識していません。いのっちの電話を長い間運営する上で、どのように坂口さんご自身の安全を守ってきたのでしょうか。


95.生き延びるための知恵の伝達

これもブラック・マウンテン・カレッジの継承と重なってしまうところがあるのかもしれませんが、あくまで「死にたい」の文脈を意識しようと思います。坂口さんは、死なないための技術の存在を教えるのではなくて、技術のための技術というか、その習得方法にこだわって言葉を費やしてくれますよね。加えて、近年の著作においては、本自体のリーダビリティはもちろん、手に取ったり読んだりしている際に明るい印象が持てるような工夫がされています。本のアーキテクチャ的な部分での設計という風に考えることもできるかと思うのですが、「死にたい」を抱えている人に対してどのような「伝わる」設計があり得るのか、どのような入射角がベストなのかということは今後も考えていきたいです。坂口さんが示している正解以外にも、考えられる選択肢があるかもしれません。読みやすいものから読みづらいものまで、手に取りやすいものから取りにくいものまで、社会全体の取り組みの中で幅を持たせることができたらいいなあと思います。たとえば本に限定したとして、「死にたい」を抱えて人に向け、坂口さんは何か新たに試してみたい設計などはありますか。


96.遊び

近年、「死にたい」や鬱の文脈において話題となっている遊びがあります。ボードゲームです。ボードゲームはデイケアのプログラムに組み込まれていることもあり、うつ状態に悩んでいる人たちはボードゲームがもたらす「対面」の効果に救われるそうです。そこでは利他心(他のプレイヤーに楽しんでほしい)と利己心(自分が満足したい)が矛盾しない形が設計されており、とはいっても目的などは考えずに、ただみんなと楽しんでいるだけで良い。こうした過程の中で社会関係資本が回復していくということなのだと思います。坂口さんは、「死にたい」の問題を考える上で、この「対面」の効果をどのように考えていますか。また、現状の制作実践に組み合わせるとしたら、どのような方法を勧めますでしょうか。


97.回避性パーソナリティ

少し前に知ったのですが、それまでの間、ぼくは無自覚なままにこの症状を重く抱えていました。「生活や人生が前進しない、動かない」ということが一つの目安になるみたいです。ぼくの場合は5年間、そうやって他人や社会を避けていました。一方で「安心」を獲得することは大事なのですが、そればかりを意識しているといつのまにか「回避のプロ」みたくなってしまいます。回避している間は精神も落ち着きますし、心の休憩になるのですが、今度はそこから動けないことが問題として浮かび上がってきます。坂口さんはおそらく回避の技術も、そして回避の心の感覚も持っているはずで、しかし大量の制作がそれを凌駕していく。そういった印象をぼくは持っています。なにか物事を避けがちになりそうなとき、どうやってその嫌さ、面倒臭さを乗り越えますか。一般的には、そういった嫌で面倒なことの中に自分が望んでいる要素もまた重なっているため、むしろその物事に突っ込んだ方が楽になるらしいです。自分はそれを望んでいたのだと認識し、可能な仕方で取り組んでいく。そうして「回避を避け」、前に進んでいく。坂口さんの「面倒臭さ」との競り合いについて、聞いてみたいです。


98.不安

ぼくにはかつて、全然事実ではない範囲、想像の範囲から目の前にいない人の感情や発言を読み取ろうとしてしまう癖がありました。被害者意識などにもつながる問題かと思いますが、あくまで一度抱えてしまった不安を自分自身でどこまでも大きくしてしまうということについて考えています。勉強し、どれだけ切り替えの技術を身につけても、不安が居座り続けるときもたまにあります。ぼくはそういう時は、坂口恭平式にその不安すらも言葉にして、文章の形にアウトプットすることが多いです。どうしても不安がぬぐいきれないのなら、目の前の物事に集中したいときでもそれを諦め、まずは時間をかけて不安の色合いを薄めていきます。一般的にはほかにも、他人は他人と割り切ること、変に過度な期待をしないことなど、様々なアプローチがあるかと思います。不安は抱えずに、なるべく自分にとって楽しいことを考えていよう。たとえばそれが基本的な態度としてあるとして、坂口さんは不安を創作のために活かそうと思いますか。意図して不安と付き合うときはありますか。


99.ひきこもり移民

坂口さんにとって、ひきこもるように移住をしたくなるときはありましたか。なるべく全ての関係性から離れて休養をしたければ、海外で暮らすというのもひとつの方法になり得ます。2020年代に至っても、他国の文化圏自体がやはり日本とはまったく異なる。違った言語や慣習の下では、ほとんど日本を忘れながら暮らすことも可能です。また、日本にいてもひきこもるような移住は不可能ではないと思います。自分に安息が訪れるまでしばらく根無し草で生きていくのか、それともどこかで自分に向かい合って定住するための準備に取り組んでいくのか、20代前半の頃の自分は両者の間で揺れていました。坂口さんが「ひきこもり」についてどのようなお考えをお持ちなのか、また坂口さんなりの「ひきこもり」があったとすればお話を聞いてみたいです。


100.いのっちの電話①

長く続けていると、おそらく坂口さんの中にも回答の仕方というか方法論が確立されてきているのかなと思います。まずは電話をかけてきた人の分身を作る。頑張りすぎて死にそうになっている自分と、その自分自身を追い込んでいる自分の2者をイメージしてもらう。坂口さんは後者に向けて自分のことを許してあげようと優しく促す。具体的にどのように生活を組み立てていくのか、そのための「一歩目」を、さらには「二歩目」を、共に考える。自立に向かうようそっと背中を押す。いわばこのような会話の「パターン」化は良い面もあれば、時に別の効果を持ち得てしまう可能性もあります。いのっちの電話の柔軟性を保つために意識されていることがあるのか、その点についてもここで聞いてみたいと思いました。


101.いのっちの電話②

地面となる現実を別に作ってあげること。体の軸足をそちらにずらしていく。シャーマンとして解放を導く。いのっちの電話が芸術の実践として見出せるということは重ねて言うまでもありません。僕は拙著のなかで、いのっちの電話が「親密圏」の抱える課題を乗り越えていくことも指摘しました。「死にたい」人はその悩みを親しい人には話せない、でも「死にたい」の感覚をわかる人に共感してほしい。その結果として、被害者がSNS上で「死にたい」を餌にする赤の他人におびき寄せられてしまうという殺人事件が起きていました。いのっちの電話の仕組みはこうした事件の犯人が持つ回路と重なるものがあり、早い時点からギリギリのところを攻めていたのだなと思いますが、「死にたい」人にとって坂口さんは本当に求められていたんですよね。今もそれは変わらず、坂口さんは日々電話に出続けています。方向を反転させて考えてみると、電話の先の相手が、ときに坂口さんにとっての相談相手になることもあるのでしょうか。「死にたい」を抱えた人にしかこぼせない話というのが坂口さんにもあるのでしょうか。いのっちの電話が坂口さんにとっての救いにもなり得る可能性について考えてみたいと思いました(坂口さんも「死にたい」を抱えているのに、主に坂口さんが他者を助ける方向へと読者の目は向いてしまうため、見落とされがちな論点なのではないかと思いました)。




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