坂口恭平100問100答 第23問 本づくり

23. 本づくり

こんなことをきいていいのかという感じですが、本が出来上がる前の一歩手前の部分、そこにどれだけ手間をかけているかについての興味を持っています。具体的には、どのように編集者や出版社に営業をかけているかということです。というのも、近年独立書店や一人出版社が増えた結果として、本を出版することのハードルはかなり下がったはずで、そんななかでも坂口さんはある程度大手の出版社と組み続けているという印象があります。単に人気実力作家であり、求められているからというわかりやすい視点は置いておいて、やはり坂口さんからしても、インディペンデント性の高いものづくりよりも、より配本規模の大きい出版社との関係を優先するところがあるのでしょうか。そこはあくまでシビアに考えて当然の帰結になるのかもしれませんし、相性の良い編集者さんとの関係なども考えられるのですが、本づくりに関する営業についてもお話を聞けたらなと思います。「企画の着火」というのは、坂口さんの実践を形作る要素の一つであると思っています。

答:

出版に関して、本を書くことについてですね。そのことの前に、現在の僕の収入のことなどを話してみましょう。僕は4月がちょうど決算月なので、ちょうど決算終わったばかり、というか、今、ちょうどやってもらっているのですが、僕は会社をやってます。株式会社ことりえという会社です。僕と妻の二人しか社員はいません。両親が役員になってます。これは、大学進学までしてくれたので、少しばかりですが、お返しの気持ちも込めまして、毎月役員報酬も払ってます。それで、今期、というか、4月で決算してますので、前期ってことですね、うちの会社の総売り上げは4000万円でした。企業で考えると、だいぶ小さな会社です。とはいっても、僕と妻しかいませんし、バイトの人はいるんですが、僕の仕事は、絵を描き、文章を書き、音楽を奏でる、なので、経費がほとんどかからないんです。紙って言ってもたかが知れてますからね。とは言っても、僕は給料が高いので、あとは両親と妻に一応、福利厚生とても整っているので、多額の保険料払ってまして、なんと決算は赤字です。なので法人税は払っていません。ま、それはまたどうでもいいのですが、その4000万円の内訳ですが、正確な金額ではありませんが、現在、売上の80パーセントが絵画の販売です。なので、概算で3200万円絵画で、あとの800万円が連載仕事とか書籍の出版印税などになります。絵画で考えると、一枚165000円ですので、年間約200枚近く毎年売っていることになります。このような経済システムになったのはパステル画を描き始めたというのが大きな要因です。つまり、2020年から5年間はこのような売上の状態でやってきてます。それまでは売上は1000万円は下ることなかったですが、それ以上になることもそんなになかったです。つまり、出版印税での売上は2011年、33歳のとき、今から13年前、その時に、初めて1000万円の売上を上げたのですが、その時からずっと変わってません。作家活動20年、今年でめでたいことに20周年ですが、現在40冊目の『生きのびるための事務』が先ほど刊行されましたが、つまり、年間2冊から3冊くらい出版してます。僕の場合は初版は6000部くらいな感じです。気持ち良いところだと8000部印刷してくれますが、初版1万部はほとんどないかな、という感じです。で、本の値段はいつも大体1650円、つまり、1500円の税込って感じです。そうすると、印税は大手だろうが、どこだろうが、ほとんど変わらないのですが、10%です。つまり、一冊売れると150円。消費税は結局最後、うちの会社が払いますから、一冊売れたら150円僕の手元に入る。初版分は出版された翌月か翌々月くらいに全額振り込まれます。ということで、一冊書き上げても、初回印税は100万円くらいです。僕の場合、初版のままで終わることはあんまりないので、頑張って重版するくらいまではしっかり営業もしますから、でも3刷くらいかなあ、という感じです。6000部スタートで重版3000部で、3刷は2000部くらいだと思います。まあ、一万部行くかなあくらいの感じです。時々は、3万部くらい売れますけど、大抵は3刷です。でもいいんです。それくらいで十分です。つまり、一冊当たり200万円にはならない感じです。年間3冊、今年は4冊出すので、まあそれで計算したら800万円くらいかな、という感じです。たいした稼ぎではありません。本を書くのは大変なのに。。。。いや、僕の場合は本を書くのもたいして大変ではないのです。毎日書いてますから。年間3000枚くらい書いて、本になるのは今年は4冊、一冊が350枚くらいですから、1400枚くらい。つまり、書いた半分は形になってません。というか、翌年また本になるのですが。そんなわけで、僕はいつも書き上がっている本が余ってます。

 そんなわけで、今では、本を書くことで、稼ごうとほとんど思ってません。ただ書くのが好きですから、ひたすら、おそらくどんな作家よりも書くのが好きなのかも知れません。どんな作家よりも原稿書いていると思います。しかし、別に売れなくていいんです。でも売れないと版元が損するので、営業は頑張ります。でも、とにかく、本で食っていこうみたいなゴリゴリした感じはゼロです。とにかく好きに書こう、本でギスギスしない。それが僕がおそらく一番好きな行為である、本を書く、という仕事をここまで楽しく続けてこれた理由だと思います。まあ、なかなか40冊って書かないですよね。でも僕はあと45年も生きますから、書きまくりますから、今は年間4冊くらいですが、そのうち年間10冊くらいになるんでしょうか。分かりませんが、年に5冊くらいと考えても、あと45年ですから、これから200冊くらい出版するのかもしれません。とにかく続けたいです。楽しくて仕方がないので。売れなくてもいい。版元が損しない部数さえ売れればいい。つまり、重版すれば、まあ、版元はまた次の本作りましょうと言ってくれます。僕の本との付き合い方はこんな感じです。

 具体的にどのように編集者や出版社に営業をかけているか、ってことですね、そのことについても書いてみましょう。基本的に僕は営業はかけてないですね。かつ、出版社からもこういうのを書いてみませんか、みたいな提案は一つも送られてきません。僕は文芸誌、いろいろありますよね、群像、とか、文學界とか、スバル、とか、そういうところとも付き合いがさっぱりありません。文壇に属してみたいものです。憧れは特にありませんが、なんかタダ酒でも飲めるのかなあなんて思ってますが、僕の場合はガチンコで、編集者と飲みながら打ち合わせする、みたいな行為をほとんどしたことがありません。なんなら、こういった方がいいかもしれません、編集者のような人の考えることでは、本になりません。なんか売れようとかしているとダメなんですよね。僕の場合は、ってことです。僕に最高の提案をしてきた編集者、みたいな人、僕の人生ではほとんど会ったことがないです。それじゃどうやって本にしてきてきたのかお前は、我々は本を作りたいから、いろんな賞に募集したり落ちたりしてきてるのに、となりますよね。僕は賞などのレースに参加したことがありません。なんなら高校受験以降、一度も受験したことすらありません。人から審査されるのが生理的にだめみたいです。だから、応募しません。そうじゃなくて、書きたくて書きたくてうずうずしている、この状態で居続けることには努力していると思います。1冊目はどうだったか、これは生きのびるための事務でも書きましたが、もとは卒業論文です。でも卒業論文としては体裁はいささかおかしいです。ハードカバーで自分で印刷所に持っていき、装丁も作りまして、全ページセブンイレブンのコピー機で出力したオールカラーの写真をケント紙に貼って、全200ページの大判の写真集を作りました。そのキャプションの文字数だけ、論文の規定の文字数で書きました。そして、無事に大学では一等賞を取ったのですが、それが目的ではなく、その後、出版社に持っていき出版するという実験をしてみようと思いました。その前に、僕は版元ではなく、アートディレクターの中で誰が一番最高か、ということを選ぶことにしました。それで、当時、エクスナレッジという版元から出ていたHOMEという建築雑誌があったのですが、そのデザインが最高だったので、アートディレクターの角田純さんに連絡をとり、ただ本を見てもらいました。すると、彼はリトルモアというところに持っていけ、すぐに出版してくれるだろうと予言しました。そのまま僕はリトルモアに持っていき、10分で出版が決まりました。僕はこういうことを最初からずっとやってます。どうすれば一番近道で自分が実現したいことを実現するか、それしか考えていません。その次の本は、その前に、路上生活者の生活について書きたくてうずうずしていたので、それをAERAというときに朝日新聞系の雑誌の副編集長と、その前に0円ハウスがリトルモアから出てその本を持ってインタビューとか受けてる時に知り合って意気投合し、僕の場合は基本的にこの意気投合から始まりますが、その時にお前は面白いと言ってくれた人に、どんどん次の作品を持っていくのですが、書きたくてたまらない、という話をAERAのその矢部さんという副編集長に伝えたところ、書いてみたらと言われ、即日で8000字、原稿用紙20枚分を書き上げてそのまま送信し、そのままAERAぶち抜きのオールカラー8ページの特集になり、あの時は原稿料30万円もらった気がします。それを読んだ、映画監督の堤幸彦さんから即日で連絡があり、映画化したいと言われました。その後、元漫画の『あしたのジョー』の編集者だった方が編集長をやっている大和書房の編集者から連絡があり、本にしたいと言われました。この本くらいかな、と思います。編集者から本にしたいと言われたのは。最近は、もうなんというか、ただ好きに書き殴ってまして、それでも一冊の本として終わりまで書くのは無茶苦茶得意なので、本をまず書き上げます。書き上げるというか、ネット上でnoteで毎日連載として書き始めます。この時、誰とも相談してません。それで思いついたまま書き上げます。連載途中で、これは自分で連載してますので、無償です、その途中で、必ず、誰か編集者がこの連載を読んでいると面白いので本にしたいですと言ってきます。躁鬱大学、土になる、中学生のための段取り講座、お金の学校、継続するコツ、幸福人フー、これらの本はそのようにして、本になりました。営業行為と執筆創造行為がドッキングしているような形です。これはエッセイが多いです。全部エッセイですね。それ以外の本は、まず家で一人で書き上げます。書き上げるまでは誰とも話をしません。書き上げた後に、僕は今まで付き合ってきた編集者だけでなく、全ての編集者の中から、この本を誰が担当したら良いかを勝手に一人で考えて、それで考えだした人に直接連絡して、本にします。こうやって生まれた本もあります。「建設現場」という小説は、そうやって生まれました。建設現場を出版してくれる人、と考えたとき、その時、僕はみすず書房の『ミシェルレリス日記』上下巻をずっと読んでたのですが、もうこの本を作ったような奇特な方じゃないと無理だと思い、みすず書房に電話して、担当編集者を教えてもらいました。尾方さんという方で、養老孟司さんの第一作もこの方の仕事です。とんでもないすごい編集者です。今でも親友です。尾方さんはみすず書房を退職されて、現在はベルリブロという渋い一人出版社を立ち上げ大活躍中です。みんなすごいので、うまくいくのは当然です。とにかく、本を書く前に打ち合わせすることはありません。編集者を決めることもありません。あとは、僕と長い付き合いの編集者で能力の高い方々もいますので、その人たちには適当に連絡しつつ、書き上げた原稿を送ります。それは本の内容に応じて、編集者を選び分けてます。僕と長い付き合いのある編集者といえば、まずは「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」「幻年時代」「家族の哲学」「躁鬱大学」を担当してくれたフリーの九龍ジョー(梅山景央)。彼はフリーですので、しかも親友ですので、話しつつ、完成したら、九龍ジョーが版元を決めて、彼が独自に印税なども話をしているです。とは言っても契約するときは僕と版元の間で結びます。彼と仕事している時も印税10%は守ってくれてます。彼は編集代を別に版元からもらっているようです。さらに「独立国家のつくりかた」「現実脱出論」この2冊の講談社現代新書の担当は川治豊成くん、同年の有能な編集者です。生物と無生物のあいだ、とかを作ってます。3冊目の現代新書「苦しい時は電話して」は川治くんが偉くなりすぎて書籍編集できなくなったので違う方が担当してます。あと、小説は小説で加藤木さんという女性の方、彼女は飴屋法水さん岡田利規さん吉本ばななさんなどの担当をしている有能な方で、最近はpalmブックスという一人出版社を立ち上げ、ジャムパン日記がむちゃんこ売れたらしいです。有能だから当然です。僕も飴屋さんの「たんぱく質」の後、夏頃「その日暮らし」という新作を彼女の版元から出します。あとは「お金の学校」「cook」「自分の薬を作る」などの晶文社シリーズはこれまた有能な編集者江坂さんとの仕事です。「土になる」は文藝春秋編集者鳥嶋さん、彼女は千葉雅也さんの勉強の哲学センスの哲学などの担当をしつつ、ドラゴンボールの編集者だった集英社の鳥嶋さんの娘でもあります。文藝春秋の有能な編集者もいるので芥川賞も狙えば獲れるんでしょうが笑、今のところ、僕の小説にはあんまり興味ないようです。「現実宿り」という僕が一番好きな自分で書いた本を担当してくれた、現『文藝』編集長の坂上さんも見逃せません。このように、僕の周りにいるしっかりとした編集者、みんな、どちらかというと友達って感じですが、彼らに頼むことが基本的には多いですので、特に新しく営業とかはしてません。でも最近は若い編集者からの連絡もあり、継続するコツ、幸福人フーなどの祥文社シリーズは23歳の若手女性編集者が担当してます。この子も素晴らしい能力の持ち主です。つまり、僕は周りがすごすぎるんです。僕がすごいんじゃないと思います。そんなわけで僕は基本的に、お前の本売れてるから、なんか一緒に作ろう、みたいな感じで、大手出版社の敏腕編集者が突然連絡してくる、ということは一度もありません。エージェント契約したいなどと言ってくる人もいません。僕が独立して好きにやっていることを微笑ましく思ってくれて無理に声をかけないでいてくれているんだと思います。芥川賞のノミネートされないのもおそらくそういう理由なのではないかと、勝手ながら思ってます。文壇に変に絡ませたら体調悪くなりそうだから、自由に生きてほしい、という周囲からの気分を感じる時もあります。おかげでのびのび好きに、誰からも強制されずに毎日好きなだけ書き続けることができてます。

 そんなわけで、特に大手出版社と一人出版社を分けたりはしてません。なんでもいいんです。本で稼がなくてもいいので、自由にしてます。印税を10%じゃなくて、7%でと言われても、即答でオッケーしてます。それよりも本にしたいと思ってくれるのが嬉しいので。あ、忘れてましたが、pastel、water, カタログレゾネの簿記うのパステル画集三部作は左右社の女性編集者、梅原さんです。彼女も若いですが、よく頑張ってるので刺激になります。この画集に関しては、カタログレゾネも作ってもらって、その代わり、印税は0円で契約してます。どういうことかというと、500部限定で33000円ですから、印税といっても160万円くらいなんです。それなら、印刷代も高いので、印税を〇円にしていいよと僕は言いました。そうすると値段が33000円でも出版社は稼げるんですね、その代わり、僕は100部余計に印刷してもらって、それを印税代わりにもらうことにしました。そうすると、僕は出版界では印税が〇円ですが、僕はのちに、その100部のカタログレゾネを、100枚のパステル画と合わせて売っているのですが、そうすると、人はカタログ付きですからお得だし買ってくれるんです、そうすると1650万円が僕の手元に入ることになります。左右社は損するどころか、印税払わず儲けていて、さらに僕は165万円の印税を蹴って、代わりに絵と一緒に売ることで1650万円獲得したんです。僕はこのように、版元に契約の形を変えるところまで関わることがあります。そうすると、出版社にも負担が減り、僕も余計に儲けることができる。ここまでやっている作家はほとんどいないのではないでしょうか。僕はそう思ってます。さらに最近では、お金の学校、は僕自身の版元「kyoheisakaguchi」から出版ました。前金制なのに、5000部を1週間で完売させたのは自信になってます。だから、いつか、誰からも出版したいと言われなくなっても、ちっとも怖くないし寂しいけど気にしなくていられるんです。その時、僕は本気で出版社を始めるでしょう。はっきり言えば、その方が稼げます。もうすでにそのように経済システムは出来上がってます。でも、いろんな出版社の編集者と遊ぶのは楽しいんです。勉強になります。そういう意味で、出版は僕の中では、稼ぎのための仕事ではありません。深く深く遊ぶための大事な要素の一つなのです。

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