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【西のTAMBA100・東のTGT】Tokyo Grand Trail 100mileに出走

(TGTとは)
東京近郊で100mileレース参加のハードルも高く無く、制限時間も厳しくなく、ポールも使用できて、そして仕事の休みをなるべく取らなくても良いようにスケジュール設定された2024年で第2回目を迎える100mileレースです。前回第1回の大会では、優勝者ですら34時間近くかかってしまうというコース設定から見直しがかかり、少しマイルドになりました。それでも距離159キロ・累積獲得標高10,800mとなります。特段コースも研究せずに、日程だけ考えて参加を決めたこのレース、キツすぎました。

出走前。コースのキツさを知る前。ダブルピース。
晴天。暑さはある程度覚悟する。

(奥多摩会場まで)
滋賀県から自家用車にて東京都奥多摩町に向けて出発する。大会は金曜日の16時スタートであるため、木曜日の夕方仕事終わりから現地へ向かう事にした。休む事なく運転し、22時に山梨県都留市にある道の駅つるまで到着した。今夜はここで車中泊とし、明日の朝から再度奥多摩町へ向かう。金曜日の10時頃会場付近に到着した。100mile中はお風呂に入れないので、走る前に入っておく。今回入浴したのは会場から1キロほどの距離にあるもえぎの湯。すっきりした状態で、受付に向かう。受付は当日受付のみで12時から15時15分まで。この時間であれば、関東近郊の方はゆっくり会場に迎えるだろう。受付時にチェックされた必携品は、GPXアプリジオグラフィカ(コースがダウンロードされた状態)の確認とライトと予備ライト及びそれぞれの予備電池。大会自体が小規模の開催であり、受付時に人が溢れる事はなかったが、電車で奥多摩駅下車組はまとまって到着するため、その頃だけ行列が出来ていた。

標高マップを腕に描くのがマイブーム。
主催者の阿部さんと同じサロモンアスリートの浦谷さんと。


(オープニングトークショー)
招待選手での参加であったが、トークショーには親しみのあるいいのわたる選手に声を掛けていただき、急遽超ロングレンジランナーの集いに混ぜてもらった。いいのわたる選手・南圭介選手・若岡拓也選手。言わずと知れたランナーの方々と同じ列に加えていただき、光栄だった。司会の方が質問をされて、それに各自が答えるスタイル。補給食はピュレグミしか食べない・ドロップバックに本を入れる・疲れてきたら自分で鍼を打つ等の答えに対して、インパクトのある返しが出来なかったことが悔やまれる。そんなこんなであっという間にレース時間である16時が迫ってきた。

トークショーに凡人代表として混ぜていただいた。

(今回の100mileを共にするアイテム)
シューズはSALOMON S/LAB GENESIS。ザックは同じくSALOMON ADV SKIN12。レインの上下は必携品であるが、防寒具はザックに入れない。それでも必携品を全部入れると割とパンパンになる。70キロ地点と136キロ地点で利用可能なドロップバックには、主に食料を入れておく。替えのジェル、フルーツゼリー、お菓子、エナジードリンク、ミルクティー。今回知人の方から差し入れで、ソフトクーラーボックスに氷を入れていただき、プリンや凍ったお茶、ミルクティーを用意してもらったので合わせて入れておく。また5月も下旬なので、替えのウェアとしてタンクトップを入れておいた。

salomon S/LAB GENESIS。お気に入りの一足。途中で履き替えたくなる要素が一切ない安定感。

(暑さの残る16時スタート)
金曜日の天候は快晴。日中は太陽が当たるとかなり暑い。ウェアはTシャツを選択し、ザックにはアームスリーブを入れておく。16時になっても暑さは残り、脱水等の厳しい展開が予想された。ITRA INDEX順に割り振られた101番という一番若い番号をいただき、最前列からスタートする。最初に飛び出したのは103番の矢嶋信選手。矢嶋選手は学生時代箱根駅伝も走っている生粋のエリートランナーであり、ハセツネカップでも3位入賞もしており、最近では100mileでも活躍されている。矢嶋選手と同じレースは2019年の上州武尊140K以来である。その時は同じく矢嶋選手が先行していて、100キロ過ぎに追いついた(ここで矢嶋選手はレースを辞めておられた)。今回も序盤から速い入りである。アスファルト舗装の林道のような峠道を2~3キロ登り続ける。100mほど先に矢嶋選手の姿が見えるが、追いつく気配はない。峠道の途中からトレイルの取り付けとなり、急な傾斜が始まった。ここから1,200m付近まで一気に高度を上げる。途中までは九十九折の形態だったため、走って登る事にした。矢嶋選手はパワーウォークで進んでいた。私のすぐ後ろには同じくポールを使いながらパワーウォークをして力強く進んでくる選手がいた。存じ上げてなかったがゼッケン番号216番の選手だった。招待枠の選手でもなく、216番だとそこまでINDEXが高くなさそうではあるが、速い。1,200m付近で一旦山頂となるが、ほぼ差がなく到着した。矢嶋選手は少し先に離れてしまった。ここから今度は500mほど高度を下げ、第一チェックポイントの大根山の神へ向かう。チェックポイントはウォーターエイドを兼ねている。スムーズに下り、チェックポイント通過。216番の選手は姿が見えなくなっていた。大根山の神を過ぎると、また1,300m付近まで高度を一気に上げる事になる。この登りで矢嶋選手の姿が見え、捕らえる事が出来た。矢嶋選手から話かけていただくが、かなり余裕がありそうな感じだった。こちらは暑くて、序盤ながら少し消耗していた感じだったため、話に合わせる事が割と負担だった。この位置関係を嫌い、少し無理してでも前を走らせてもらう事にした。下りでもリズムよくスピードに乗って進んでいく。暑さを感じながらも、順調に27キロ地点のA1御岳に到着した。

序盤の序盤。ウキウキで走り始める。

(深夜の一人旅)
A1御岳には20時過ぎに到着した。御岳駅まで下りてエイドで補給し、同じルートを登り返す。ここではバターチキンカレーをいただいた。胃腸トラブルもなく、美味しくいただいた。カレーを食べていると、矢嶋選手が入ってきた。水分補給を済ませ足早に出発する。暑さ対策のため、エイドを去る際に水を被っていった。来た道を登り返していると、216番の選手も下りてきた。差は少しあったが、10分少々だろうか。次に若岡選手と南選手とすれ違った。その後も続々と選手とすれ違う。すれ違い際に必ず「道間違ってましたか?」と聞かれるが「エイドで折り返してます」と答えると先頭の選手だと気づかれ、「頑張ってください」となるやり取りを10回は繰り返したかもしれない。そのリアクションを楽しみつつ、分岐のT字路に到着。ここからは前に選手が一切いない事になる。そのはずが、集落への下りを進んでいると前に選手が現れた。なぜだろうか。追いついて時にその選手から声を掛けてもらった。A1御岳に下りるT字路を直進してしまい、A1をカットしてしまいましたとの事。おそらくそれ相応のタイム加算がされると思うが、戻ってA1まで向かう気力がない為、そのまま進んでいこうと思っているとの事だった。やはりこの辺りがノーマーキングレースなのかもしれない。通常のレースでは、道を間違えると進んでいるルート上にマーキングがない事で、道を外したと気づく事ができるが、そもそもマーキングがないとその判断さえできない。分岐点ではその都度時計を確認し、進むことが必要であり、私もレース中を通して、山頂への道か巻き道かの選択では、間違った方を進んでしまい、分岐に戻ってきてもう一方の道を選びなおしてを繰り返した。
その後深夜の蒸し暑いトレイルを進んでいく。次のエイドは70キロ地点までないので、町に下りてきた時にコンビニや自販機を活用する事が必要であり、コンビニ利用も認められている。コンビニには2回寄った。水分を補給した事と暑かったので、アイスを買った。アイスは甘すぎるものではなく、一口サイズで食べられるアイスの実を買って食べていた。また食料の心配があったため、おにぎりを2つほど食べて、余分に5つ入りのスコーンをザックに入れておく事にした。そんなこんなで大きなトラブルもなく、70キロ地点A2十里木に到着した。

(ノーマーキングの洗礼)
A2十里木は70キロ地点の今回とレース後半136キロ地点と2回利用する事になる。ドロップバックを受け取る事ができるため、凍っていたミルクティーとお茶、そしてプリンを食べた。プリンは2つ用意してあったため、もう一つは2回目に食べたい。クーラーボックスに入れていたため、冷たくてかなりリフレッシュになった。そして入れていたタンクトップに着替える事にした。脇に風が通る事で体感温度がかなり違ったため、入れておいて本当に良かったと感じた。エイドを出発しても入ってくる選手がいなかったので、一定の差を開けられていると把握できた。70キロ地点からの次のA3佐野川エイド89キロ地点までの区間は一気に登ってから厳しいアップダウンを繰り返すハードな区間であった。この辺りで夜が明けた。レースも半分に差し掛かるとやはり疲れが見えてくる。時計での標高図を見て、次のエイドまで一定の距離とまだまだアップダウンがある事に気持ちが折れていた。そんな状況で迎えた分岐点。この分岐では、高尾エリアへ進むルートとグルっと回って十里木に帰るルートがあり、高尾エリアへ進むルートが正解である。時計を見ながら進むと警告音がなった。ルートを外しているようだった。急いでルート復帰を試みる。案内のあるルートに向けて登山道ではない急斜面を登って最短距離でルート復帰する。時計の示すルート上に乗り、綺麗な登山道に出たので一安心した。画面を切り替えて表示される標高図はそれまで表示されていた険しいものから、緩やかなものに変わっていたため、その時は山場は超えたのかと何も疑問に思わずポジティブに解釈してしまった。次のエイドに向けて残りの距離を進むのみと思い、小刻みなアップダウンを繰り返した。少し引っかかっていたのは、残り距離が大幅に減っていた事であるが、疲れからかこの時すぐに気づかなかった。しばらく進むと急に不安になり、立ち止まって初めて携帯のジオグラフィカで確認してみた。すると明らかに高尾エリアに進む方向ではなく、グルっと回って十里木に帰る後半で通るルート上にいることに気づかされた。コース逆走である。ここで完全に心が折れてしまった。結構な距離のアップダウンを進んできてしまったため、戻る行動に嫌気がさし、戻らずに何とかならないかを考えてみたが、どう考えても戻るしかない。それまで先頭を快走していたが、ここでこのロスは致命傷である。無駄に体力も消耗する。リタイアするにも山の稜線上であり、とにかく分岐点まで戻るという選択肢しかない訳である。先頭を譲る事にもなるだろうとこの時メンタルをかなりやられた。でもまだ80キロもレースは残っている。過去には1時間ロストした事もある。エイドに携帯を忘れて取りに帰って、同じく1時間近くロスした事もある事に比べれば、まだましであると自分に言い聞かせるしかなかった。

(2日目の疲れと胃腸不調)
この逆走の原因は、時計のナビゲーションではルート上におり、進行方向も間違ってないため、警告音が出る事もなく、時計は正しいナビゲーション中だと判断し、それを信じてしまったことが原因であった。土地勘のある山で方角も瞬時に把握できればいいが、なんせ初めての山では、どちらに進んでいるかを判断する事が難しくなってくる。時計を信じるしかなかった事が逆走に繋がった。
気を取り直して、逆走してきた道を帰る。この距離とアップダウンは本当に無駄である事を噛みしめながら、分岐点まで戻ってきた。どれくらいの時間のロスであろうか。20分は少なからず経過しただろう。非常に悔やまれるが、もうどうしようもない。高尾エリアへの正解の道を進む。ここまで先頭をずっと走ってきたため、何度も何度も蜘蛛の巣にぶつかってきて、それがかなりストレスだった。このロスで先頭が入れ替わっているのだろうと思っていたため、気長に行こうと思っていたが、蜘蛛の巣にぶつかった。もしかして、まだ抜かれていないのかとこの時思った。自分の位置と前方・後方の選手との関係が全く分からないまま、A3佐野川に到着した。エイドに着くやいなや、スタッフの方に質問する。先頭はもう行きましたか?と。すると最初に来たランナーですよとの事。まだ先頭は譲ってなかったのである。一気にまた気を引き締める事になった。このレースでは、選手一人一人がGPS端末であるIBUKIを持つことになる。このエイドでIBUKI端末を交換する。IBUKIの位置情報で各自の居場所と走行位置が分かるため、順位把握と大体のタイム差が確認できる。画面を見せていただくと少し差はまだある事は確認できたが、割と近くに迫っているのは事実であった。ラーメンをいただき、次のエイドに向けて出発する。A4富士見茶屋までは約15キロ。太陽が上がって暑くなるだろう。走るペースも落ちている事には気づくが、歩みは止めず、後続との距離を再度開くように危機感を持って進む。高尾エリアは一度だけ大人数で走った事があり、この景色は覚えている。ハイカーの方もこれまで辿ってきたルートに比べ段違いに多かった。ゼッケンを付けていることで「今日大会でもやってるんですか」と聞かれる事もあった。歩みを止める事なく、A4富士見茶屋まで到着した。ここでは素麺をいただいた。ここからは観光地化しているのではないかと思うくらい大勢の人がいる城山まで登っていく。この登りも経験済みであるため、気分は楽である。こんな感じだったなと確かめながら登るだけでも気分は違う。多くのハイカーの方で賑わう山頂に到着した。ここには売店があるため、よく冷えた果実ジュースを飲んでいくことにした。ここからは、事前に主催者の方が聞いていたボーナス区間のようである。登山道を下りるのではなく、ハイカーさんに考慮して人の少ないアスファルト舗装の峠道を下っていく。これは確かに足元に気を付ける事なく、スイスイ進むのでボーナス区間であった。下り切って今度は川沿いに凄く緩い斜度を登っていく。角度がついていれば、疲れから歩く事を決めるが、なにぶんこの斜度は走らないといけない。ゆっくり気分転換ジョグのつもりで、登っていった。暑さを感じていたので、合間合間で川に浸かって体を冷却しながら進んだ。
これまでのエイドは大体山を下りての設営であったが、A5和田峠は車でも上がれるようで山を下り切らずに到着することができる。エイドのために下り切って、エイドを出発したらまた登り返してをせずに済むので、その点は気分的には楽であった。必要な補給をし、出発。次は136キロ地点のA6十里木である。これから高尾エリアに向かう選手と同じルート上ですれ違う。「もう戻ってきたんですか」と声を掛けてもらうのも嬉しい。しかしながら、レースの残り距離はまだまだ40キロあるため、ゴールは遠い。夜が明ける頃から胃腸の気持ち悪さを騙し騙しやってきた感は実はあったのだが、完全に表面化まではしてこなかった。ただ次第に気持ち悪さの波がこの辺りで押し寄せてきた。酔い止め薬を用意していたため、飲んでおく。
気持ち悪くなってからでも対処できるという効能だったため、確かに一定効果はあった。次回からも用意しておこうと思う。

(ダムの一斉放流のように)
そしてレースは、コース逆走した分岐点まで戻ってきた。同じ轍を絶対に踏まないと確実にコースが合っている事を何度も確認して、十里木にグルっと戻るルートを進む事が出来た。一安心である。しばらく一度進んだ道を行き、もったいなかったなと思いながら、先を見ると前から選手がやってきた。その瞬間、状況が瞬時に把握できた。「逆走ですね」と声を掛けた。「やってしまいました」と「僕も経験しましたよ」と伝え、諦めないでくださいねと伝え、先を急ぐ。この十里木ループを半分くらい進んだ先にも同じ方向で進む選手がいた。すぐさま声をかけ、「間違えていませんか。逆走になると思います」と。「間違ってませんよ」とこの方は頑なだったため、「一度ジオグラフィカを開いてみてください」と伝え、状況を伝えると、「では、あなたはなぜ?」と質問されたため、「後半に差し掛かっているのです」と伝えると、ようやく状況を理解されたようである。しかしこの方がこの後どうされたのかは分からない。ノーマーキングレースでの同じ状況はやはり起こるようである。レース後に分かったが、この十里木ループを逆走しきって、再び高尾エリアに向かわれた方もいると知り、驚いた。この方は200キロほど走られた上で制限時間内にゴールされているため、かなりのメンタルと走力の持ち主だったのではないかと思われる。
十里木エイドに向かい、山を下りていると再び胃腸の違和感を感じる。2日目も夕方に差し掛かってきた。町に出たところで、自販機を見つけたため喉の渇きを感じていたと思い込み、スポーツドリンクと野菜ジュースを2本購入。2本を一気にがぶ飲みした。喉を1本目で十分喉の渇きは潤ったのだろうが、体を中から冷やしたかったのか2本目も飽和感はあったが勢いで飲み干した。その結果、数歩走った瞬間に今飲んだ2本分と同じ水量で、ダムの一斉放流の勢いのごとく吐いた。ここまで綺麗に吐き切った事があるだろうか。2本分のお金は水のように流れていった。そんなハプニングもあったが、十里木エイドに到着。

ダムの一斉放流写真ではないが、少なくとも通常の放流水量程度の勢いはあった。

(最後に来た強烈な苦しみ)
2回目の十里木エイドでデポバックに2つあった内の2つ目のプリンを食べ、ミルクティーも飲み、エイドのお茶漬けを食べさせてもらって出発する。後ろとの差は30分弱だろうか。この先まだ25キロで潰れてしまったら、一気に逆転されるタイム差であるため、最後の気を引き締める。しかしながら、エイドを出発してすぐ、足の重さと胃腸疲れでレース中一番の絶不調を感じた。少しの角度の登りも走る事が困難になっていた。それでも登りはパワーウォークで進む。体感ではまだまだ登れている気はしたが、あとで見るとかなり遅い。相当消耗していた事が分かる。スタートまで戻る山々もかなりきつく、中々ゴールに辿り着かない。山の途中で、空腹を感じたため、ザックに残っていたジェルを食べようとするも口に含んだ瞬間餌付いてしまう。これはパワーロスになるため、まずいと思うもうまくいかない。思い出したように1日目からザックに忍ばせてあったコンビニで買ったスコーンを口に入れてみる。飲み込みが難しいので、水で流し込みながら。これなら餌付かずに食べる事が出来た。その後、ちょっとずつスコーンを水で流し込む作業をし、何とか空腹は回避できた。備えは大事である。空腹を回避したものの、今度は強烈な睡魔がやってきた。睡魔からか幻覚も見える。トレイル上に軽自動車が止まっていたり、岩がダースベイダーに見える。さすがに限界であったため、数分寝ていこうかと思うも、この数分が命取りになる可能性もあるとも思うと休む事ができない。結局、携帯のタイマーをかけ3分だけ眠る事にした。眠れはしなかったが、3分止まってみると少し睡魔が落ち着いたが、結局また同じ繰り返しであった。睡魔を引きずりながら、進んでいると辺りは夜になった。ライトを装着し点灯する。何とライトを付けると目が覚めた。空腹・睡魔を凌ぎ、最後はタフな登りを耐えるのみ。速くはないが、足を止めない事だけ意識して最後の山を越えた。山を下りていくと最終エイド都民の森があり、後続との差を聞いてみる。すると「1時間くらい空いていますよ」と言っていただく。ここで勝利を確信した。あとはゴールするだけに切り替えて、残りの7キロを進んだ(間に廃道のような林道があり、アップダウンがあり辛かった)。そして2日目の22時前に栄光のフィニッシュとなった。

やはり30時間弱走り続けるのは過酷である。

(フィニッシュ後)
最後は南さん・若岡さん・そしてエイド差し入れいただいた方に迎えていただきながら、レースを振り返っていた。距離159キロ獲得高度10,800mのレースであったが、167キロ、11,600m時計は記録していた。かなりハードなコースであり、そのダメージは大きかった。体全体が浮腫み、顔が別人のようになってしまった。暑さから水分の摂りすぎであったのだろうか。主催者の方から来年もいかがですかと声をかけていただくものの、もういいですと返答してしまった。少し時間を置いた現在でも少し考えさせてくださいとなるくらいの覚悟のいるコースであると感じた。

もう来年はいいですーと言ってる場面。
表彰式の写真。
顔の浮腫みで目が開かない。

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