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【私の話】生きていればなんとかなる。私と子供たちの話

毎年7月が近づくと、心がザワザワする。
「また7月が来たか」と、思うのです。

私には、もう一人、息子がいます。

この内容を執筆しようか、15年ずっと悩んでおりました。

ここ最近、よく婦人科に関わる内容を目にする機会が増えてきた事、少しずつ当時の出来事を思い出す事が増えてきたのです。

節目を迎えるにあたり、自分を深掘りするには、必要な内容であり、今の私がいるのも彼のおかげなのです。

私はnoteを頭の中の整理に使っています。
”言葉をまとめる”というのは、自分の感情を言語化し、発信する事で、頭の中で整理されていくと考えています。

私は自分と向き合う事が本当に苦手で、”自分自身を知る”近道になっています。

【私の話】自己紹介 | Nagiko より

これから結婚、妊娠、出産を経験する方、子育て中の方には、少し重い話かもしれません。

しかし、私は長男を出産する前日に見た、お子さんを亡くされた方のブログを見た時に、そういう事もあるという事を知る事ができた。

そして、奇跡という事、当たり前なんてこの世には存在しない事を知る事ができたのです。


『長男の話』

長男を出産したのは、2009年7月24日。
今、ちょうど中学3年生15歳の年にあたります。

長女を出産して約2年後に、長男として誕生した彼には、海や青を連想させる名前を付けました。

不思議なもので、当時はまさか、私が海の仕事や海の活動をする事になるとは思ってもいませんでした。


■当たり前だと思ってた、出産→子育て

長女は、出産予定日を2週間弱過ぎても陣痛はなく、陣痛促進剤→微弱陣痛が続いており、羊水の減りと濁りがひどくなってきたタイミングで緊急帝王切開で出産をしました。

出産してから、臍の緒が二重に首に絡まっていたらしく、緊急帝王切開の選択で良かったと思っております。

大きな病気や事故もなく、スクスク育ち、若く知識がない当時の私は、それが当たり前と思っていたのです。

長男の妊娠中、特に異常もなく、このまま出産して、二人目の子育てに入るのかと思っておりました。

出産する前日に、インターネット上でどこから見つけたのか、出産時にお子さんを亡くされた方のブログを読んでいたのです。

今考えても、私に心の準備させる為に辿り着いたのではないかと思ってしまう。

計画帝王切開での出産。
お腹から出てくれば、産声が肺の機能が始まる合図。
長男はそれがなかった。
そして、出産後2時間後にこの世を去りました。

長女とは全く違う状況に、焦るよりも恐かったのを覚えています。
麻酔が少しずつ切れていく中で、私は病室でずっと長男の帰りを待っていたのです。

いろいろな人に声を掛けられましたが、ほとんど内容は覚えていません。

唯一、覚えている事、遠くから聞こえる救急車のサイレンと慌ただしい病院内。
病室の窓から虹が見えて、写真を撮った事。
まるで生きているような長男の感触。

「大丈夫。大丈夫。」と自分を慰めていた事。

初めて身近な「死」を教えてくれたのは、長男でした。


■親孝行ってなんだろう?いい子ってなんだろう?

出生届と死亡届、葬儀、お墓の手配など、着々と進んでいる中、私一人だけ、止まった時間に取り残されたような日々。

その時でも、「この出来事を残さなければいけない」と、ノートとペンで日記のような文章を書いてたのです。

そして、長男のような事例などを調べているうちに、どんどん具体的に妊娠と出産は当たり前ではない事を知っていきました。

どんなに辛くても、明日はやってくる。

私の空っぽになったお腹を見て、いろいろな方に声をかけて頂きました。

しかし、何も言われない方が楽だった。
私はその度に、気を使わせないように笑わなければいけない。
言いたくない言葉を言わなければいけない。

「かわいそう」
「大変だったわね」
「まだ若いから大丈夫よ」

当たり前なんてないのに、当たり前のように話してくる人たちに疲れていき、私は人間不信になっていたのではないかと思います。

「親より先に死ぬなんて、親不孝者だ」なんて、言葉がある事に傷付く事もありました。

「二人目を育てる力量がないから、こうなったのではないか」と悩んだ事もありました。

なんでもいい。一緒に生きていきたかった。

毎日泣いている私の膝に座り、2歳になったばかりの長女が頭を撫でてくれた時、「こんな小さな子でも、この状況を分かっている」と、ハッとさせられたのです。


■彼が教えてくれた事

後になって、長男の出産時に、私が死んでいたかもしれないという話を聞きました。

「私が代わりに死ねば良かった」と思った事も何度もありました。
「なぜ、私が生きているのか」とも思う事も何度もありました。

「私は長男に生かされた。彼の分まで命を全うしなければいけない」

大袈裟なのかもしれません。
いい母親という訳でもないし、まだまだ若く間違える事もたくさんあるかもしれない。
でも、「生きてみよう」と、思うようになったのです。


■子ども達との生活と自分の人生を考える

長男を亡くした次の年に、次女が産まれ、その約2年後には末っ子(次男)が産まれ、生活も賑やかになってきた頃、私は自分の人生について考えるようになりました。

「後悔のない人生にしなければ」
「子ども達と私の人生は別の人生」
「私は、どんな人生にしたいのか」

長男に出会わなければ、今も離婚もせず、パート主婦を続けていたかもしれません。


よく「子供が生き甲斐」や「子供の為なら死ねる」なんて、耳にする事もあります。

しかし、「生き甲斐」や「死ねる」なんて、口にしてしまっていたら、私はとっくにこの世にはいないでしょうし、その後に生まれた次女と末っ子には出会えてなかったのです。

子ども達との出会いは、私の人生を大きく考える出会いでもあった。

生きてきた経験が、思考や行動に現れるけれど、子ども達一人一人から教えてもらう事は山ほどあり、尊敬しかないのです。

きっと、これからも死ぬまで、子ども達に教えてもらい続けるのだろうなと思っております。


■最後に

「時間が解決してくれる」とは言ったものですが、辛い時は休み、泣きたい時は泣き、やりたい事はやってみる。
素直に人間らしく生きる。

私には、それが一番の「日にち薬」だったと思うのです。

「日にち薬」とは、どんな悲しみや苦しみも月日を経ることによって、悲しみを乗り越える力を与えてくれる。

Google 生成AI より

15年経って、こうやって改めて執筆し、投稿しようと思った事を長女に言ったら「いいんじゃない」と一言。

この15年。いろいろな事がありました。
当時の自分では考えられないほど、生活が大きく変化しましたが、2つ言える事があります。

「毎日、今が一番楽しい」
「これからの自分に、ワクワクしている」

Nagiko

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