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普通って、なんだろう?

たぶん凸凹ちゃんを育てていなかったらそもそも

普通って?

とも考えなかったんだろうなぁとつくづく思います

「普通」と、「普通じゃない」の
明確な定義はないと
わたしは、考えています

あなたにとっての「普通」と
わたしにとっての「普通」は、ちがうから

価値観が、人によって「ちがう」

普通って、いいながら
みんなが納得する「普通」ってないのかもしれない
人によって価値観がちがうなら、あいまいになるし
親子でも「自分の思う普通」は、ちがいますから…
見た目にわからない、しんどさを抱えているからこそ「他は、どうなんだろう」と昔のわたしは気になっていた

だれとも比べない

一般的って「普通」とは、いわゆる平均であって
わたしの子どもには当てはまらないこともある
しんどさは家庭ごとにちがう、よ

今は、個人懇談の季節
ついつい他の家庭と比べることもあるかもしれない
子どもも自分もだれとも比べない
だって、あなたはこの世でたった1人しかいないんだもの
どうしても比べちゃうときは、1年前を思い出そう
きっと1つでもできることがふえて
成長を感じる、から

家庭で子どもと接するとき
家族会議をするとき
わたしは、知る、選ぶ、伝えることを頭に入れて話をします

(このあとなにがあるのかを本人が)知る
(本人が自分で)選ぶ
(いっしょにいる、周りの人に自分の気持ちを自分なりの方法で)伝える

なんとか本人が置きざりに
おざなりにならないよう
指示待ちではなく
自分から声をだせるよう
家では、整えています
家族ごとにやり方があるので
カスタマイズしてみてくださいね

家は、子どもにとっての安全基地

ぬくぬく真綿でくるむのでは、なく
子どもらしくしてほしい
失敗してもリカバリーできるようになりたい

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