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青年モラトリアム慣れ




「なんか泣きそう」


これが最近の口癖である。
なんと情けないものか。



遠くの未来のために行動するより、
近くの未来のために行動するほうが圧倒的にラクである。

だからこうやって今も提出物を夜中までしているんだろう。
そして疲れてこれを書いているのだろう。


目先の勉強をし、流れで大学へ行き
流れで誰かの元で働くのか。

そもそも生まれた瞬間から世界の元で
私達は成長させられてきた。


何にも従わないという生き方はない。
私の思考も行動も全て、何かに従ったり、影響されたり
して、私以外の全てが作っているに過ぎない。




全てのことに目的などない。あるとしたら子孫繁栄くらい。

じゃあ子孫繁栄はなんのため?

分からない。


こんなことを考えてしまうのだ。
重症である。

青年期、そんなものあってたまるか、人生はグラデーションなんじゃないのか。

しかし私はその青年期とやらの特徴とどっぷり一致し、
意味があるようでない言葉を並べ、
不満足に感動する。


人生に意味がないと知っても、
ただ淡々と目先のタスクをこなして淡々と死ぬのは
なんか嫌である。

そうは思っていても、いつか面倒くさくなり何かに抗おうとするのをやめてしまいたくなるのが人間だと思うから。

まだ人生に新鮮味を感じられる今を大切にしたい。


なんか泣きそう、
最近そう思うのは、2022夏、高校卒業を前に
モラトリアムに「慣れ」を感じてきたからである。





始まりには終わりが付き物ということにも
始まる前から分かるようになってきてしまった。



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