個人的考察論


考察の考え方

考察って書くとすごく難しくみえますよね
実際私も出来ない、得意ではない。
しかし、好きではある

そんな私がしている時はどういう思考をしているか。
よく見るパターンだと単語を拾ったりして、そこから元ネタを探って調べ、みたいなことだと思っています。

当然、それもやり方ですし、私もします。
仮にそれを連想方式だと呼びます。
対して私が使うのは、便宜上、共通項方式とでもいいましょうか。

共通項方式って?

AはBである。
CはBである。

つまりA=Cでもある、と考えられないだろうかという。
ある意味直感型とも言えます。故に根拠は最初薄かったりします。
薄いので最初の直感を信じつつ、疑いつつ、まとめていきます。
実際はもっと多角的に見てるんですけど、着想自体は理論的じゃなかったりするので言語化が私だと難しい…

ツヴィリングトゥルムの時の例を取ると、最初に
・荒域=触れられない領域からの侵犯
・ゼノサーガのグノーシス=認識はできるが、存在固定化しないと倒せない敵

・荒域=グノーシス

って着想から始まっています。
暴論ですしもうちょっと噛み砕くと、ゼノにおけるグノーシスって元ネタ的にはグノーシス主義っていう思想というかキリスト教義の派閥というか一論って説がありまして。

・キリスト教の異端=グノーシス主義
・サンクタの法の異端=アルトリア
・グノーシス主義=アルトリア

そこにグノーシス主義の知識、個人的精神主義、女性名、地中海沿岸地方といった要素で補強していき、アルトリア、もしくはツヴィリングトゥルムの話をグノーシス主義と仮定しています。

ここでは一例としてあげてますが、説を補強したり最初の直感はもっと色んなところから着想を得ていたりはします。

共通項方式の問題点

矛盾点を埋めてるその作業中に頓挫することもわりとあります…
ある程度の矛盾点は強引目の解釈で進めるのも勇気です。
間違っていたら?…
考察って正解は公式が提示しない限りは、どれも正解で間違いであると私は捉えています。

例として書いたものでもこの考え方だと…
荒域=アルトリア=グノーシス
が成立した場合、アルトリアと荒域のイメージが繋がらなかったんです。

それで頓挫してたんですが、荒域=アルトリアの認識に、
荒域に意志の力で塔を建てた巫王の推論を足してみると

・荒域への対抗手段=意志の力
・アルトリアのアーツ→意志の力
・荒域への対抗手段=アルトリアのアーツ

と構築し直すことで個人的に納得ポイントを作れました。

問題点からの副次効果

疑うことで予想していない結果が出てくることがあります。
上記の考えを作れたうえで、ヴィルトゥオーサの昇進イラストを見たら、
まるで無数の手をアーツを使いながら払い除けてるようにも見えてきたんですよね。
そうなると禍々しく見えなくなってきたんですよ。不思議ですね。
そんな事は元々想定していませんでした。

まとめ

私自身、元ネタに明るいわけでも、詳しいわけでもないです。
専門性が高いわけでもない。
昔からSFやら神話系統やらが好きで、そういったモチーフのゲーム、アニメも趣味にしていると…これは同じ元から着想を得ているのではって思うことがあります。
元ネタが一緒だとして、解釈の仕方は当然それぞれで違ったりします。
また、元ネタはアレだろうけど、この解釈だと、参考にしてるのはあの作品じゃないかな、とか。
誇張された二次創作やモノマネのイメージのほうが、元のイメージより印象が強くなって広まった結果みたいなやつというかなんというか。

私は専門性がある、もしくは造詣が深い人の考察には及ばないと思います。
しかし、広く浅いオタクだからこそ気づく面もあったりするんじゃないかなって思うと、少し面白いですよね。

考察、妄想は最初の直感を信じて組み立てるのもきっと大事だと思います。


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