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自分の手で自分の見たい景色をつくる 館山の引力 vol.1 漆原 秀さん

第1回目にお話を聞いたのは、漆原 秀(うるしばら しげる)さん。私たち3人が館山滞在中にお世話になった「tu.ne. Hostel(以降、ツネ)」のオーナーであり、館山のリノベーションまちづくりにも参加する通称「うるさん」。「マイクロデベロッパー」として数々の物件をリノベーションによって再生させ、館山というまちの新しい景色を作っている。現在はツネ近くの建物を絶賛改装中だが、一体どういう場所になるのだろう。

漆原:CIRCUS(以降、サーカス)」というシェアハウスにする予定です。個室はあるけどそれ以外は共用。「MINATO BARRACKS(以降、ミナバラ)」は一世帯ずつ独立している、コミュニティつき賃貸住宅でどちらかというとファミリー向けなので、単身用のシェアハウスを作ろうと。物件が売りに出た時に、あなたがやらないと取り壊されちゃいますよ、と言われたので買い取ってDIYを始めました。

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うるさんを見ていると、フットワーク軽く、思いついたことはとにかく実行する、そんな印象を受ける。今でさえ自らが手と足を動かして、まちづくりに貢献するうるさんだが、元々は不動産を所有しようと思ったきっかけは別にあるという。


漆原:親が病気してしまったので、養う資金をつくろうと思ったのがきっかけです。元々東京でITの会社を経営していたんですが、ちょっと疲れた感覚があって海辺に別荘でも建てようかって思っているうちに母親が倒れてしまったので、気持ち良く過ごせる館山に住まわせてあげようと思って。

そしてその数年後、リーマンショックを受けて失脚。その後また別の会社で働き始めたが、過度なプレッシャーによってある時パニック症候群に陥ってしまった。


漆原:ある日、夜の高速道路で運転してた時に急にガクッときたんです。隣に奥さんが乗っていたんですが「今の地震!?」って聞いたくらい。心臓がバクバクして、時間、距離とか全部、感覚がわからなくなってしまった。全方向に気を配りしながら仕事していたのと、日常的に情報収集していて脳の容量がいっぱいいっぱいになっていたのかなと。
身体のためにも再び雇われない生き方をしたいと思った時に、そういえば親のために作ったアパートから毎月粗利が出ているなと。それが不動産投資だったと気づいたんです。


最初は家族を養うという現実的な面で始めた不動産投資。今のうるさんの、人の思いを大切にしながらまちづくりをする姿勢へは、何がきっかけでシフトしていったのだろう。


漆原:自分が大家として所有するマンションの1階をDIYしながら、週末の別荘的に暮らし始めました。東京の友達も呼んでBBQも開催したり。でもすれ違う入居者さんは僕が大家だと気づきながらも目を合わそうともしてくれない。僕もその方から家賃を振り込んでくれているはずなのに、名前と顔が一致しない。なんか気持ち悪いなと思っていて。そんな時に、カスタマイズ賃貸の第一人者、青木純さんの著書に出会ったのがきっかけです。『大家も住人もしあわせになる賃貸住宅のつくり方』を読んで衝撃を受け、そこから、住人同士のコミュニティがある暮らし方をリードする大家さんを目指したいと思い始めたんです。
当初は、まちづくりまでやろうとは思っていませんでした。今もそこまでまちのため、というつもりはなくて、自分や家族が楽しく暮らせたらいいなと。子どもが色々な大人に会って刺激を受けて成長していってくれたらいいですよね。


自分や家族のためにやっていることが、結果的にまちのためになる。そのエネルギーが人を惹きつけているのだろう。ミナバラにはどんな人が集うのか。また、うるさんはどんな人たちにミナバラに来て欲しいと思っているのか。

漆原:“変な人” が多いです(笑)。もちろん良い意味で、固定観念に囚われず、行動力があるとか、工夫するとか。世の中で評価されてるものや便利なものじゃなく自分が本当にいいと思うものにこだわりがある人たちです。
ミナバラはファミリー向けですが、あくまでも賃貸住宅なので2~4年間の仮住まいでいいと思っています。東京を離れて移住しようと思った時、東京だけで情報収集していても、本当に自分にとって気持ちの良い場所がどこなのかは分からない。やっぱり実際にその場所に行ってみて、色んな人に会って、散策してみないと、理想の場所って一発で見つかることは少ないと思うので。ミナバラは、淡水の場所からいきなり海水の場所に行くんじゃなくて、汽水圏のような、その途中の入り混じる場所をイメージしています。ここからスタートして徐々にまちに馴染んでいって、やがて卒業してくれたら、そのとき本当の自分の居場所が見つけられるんじゃないかと。

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実際に館山に移住してくる人はどういう人が多いのか。またどういうタイミングで移住という選択をするのだろうか。


漆原:自分もそうでしたが、海が好きで移住する人は多いです。サーフィンとかアクティブなものだけではなく、なんとなく景色の良さとか、空気感に惹かれてしまうような。移住のタイミングは人それぞれだけど、病気とか、何らかのアクシデントがきっかけで自分のやりたいことを見つめ直して、っていう人は意外と多いですね。


ポジティブな意味での “アクシデント” によって館山に引き付けられてしまったのが、今回私たち3人を館山に呼んでくれた建築家の大田さん。彼は今、館山と東京の二拠点生活をしているが、そのきっかけはうるさんに惹かれてしまったからだ、という話を聞き、それがこのインタビュー連載のテーマ「館山の引力」の着想となったのだ。


漆原:大田くんの場合は特殊な流れだったんです。リノベーションまちづくりが館山で予算化されて始まろうとしている時、地域おこし協力隊の募集があるよと誘ったんですが、移住というよりは、いいキャリアになるよっていうオファーをしたつもりでした。今後もずっと館山に居続ける必要はないけど、空き家の再生などをしていて建築家として変わった動き方をしている彼が、一度東京を離れて違う人脈と武器を身につけたら、その後の働き方がきっと変わるというポジティブなイメージが湧いたので、自然に誘ったんです。一緒にリノベーションまちづくりやろうぜ!という感じで。


うるさんの動きを見ていると、フランクに20-30代と手を組んで一緒にプロジェクトを動かしている。その姿勢は傲りがなく、とても柔軟だ。大田さんもそんな彼の人柄や想いに惹きつけられたのかもしれない。


漆原:今、コロナの影響で海外に居られなくなってしまった青年海外協力隊の3人が館山に来ています。彼らは「萬(よろず)隊」という名前で活動していて、DIYやまちおこしを手伝ってくれています。まだまだこれからで、いろいろ見聞したりしている成長段階。終の住処的な移住もある一方、若い世代にはチャレンジステージとしての移動があるのかもしれません。

ツネを作ったのは、このシャッター商店街を横目に見ながら、子どもに「このまちで未来を感じなさい」とは言えないなと思ったから。ゲストハウスから地域活性化した全国の事例を見て、実験的に始めたんです。
子ども世代って未来そのものじゃないですか。今のうちに若い世代を刺激して、故郷が面白い場所だと思えたら、あとあと前向きな気持ちで帰ってくるきっかけになるかもしれない。そういう未来が作れたら、僕が今やってることの意味が、少しはあるのかなと思っています。


最後にうるさんは、このまちでの妄想を語ってくれた。

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漆原:ツネホステルは一人旅でも、まず館山に来られる場所。そして気に入ってくれた人が「ちょっと暮らしてみようかな」と気軽に住めるのが今作っているシェアハウス、サーカス。男女どちらも住める場所にしようと思っているんですが、そうすると恋をすると。もし結婚しちゃったりしたら、じゃあミナバラに住めばいい。旅から始まったはずなのに、4年後に私たち子ども2人連れて館山に暮らしちゃってるね、みたいなことが起きたら面白いですね。(笑)


常にポジティブに未来を描きつつも、着実に今できることを見据え、行動する。柔らかい物腰でカジュアルに話をしてくれるうるさんにインタビューしていたとき、私は自然と「背中で語る」という言葉を思い出していた。まちの魅力は「ひとの魅力」であり、まちの引力はひとが作るものなのだ。


Writing:細川紗良/Photographs:小林璃代子


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