05 住む場所の音に対する執着のこと



最近、引っ越しをした。

鮮明な生活の記憶があるのはさよならしたその一軒家だけ。二階建てで部屋数も多くとても広くて快適。生まれてからずっと住んでいたわけではないけれど、当たり前に帰ってこれる場所、安心の場所だった。さよならはちょっぴり寂しい。

住む場所が変わる経験は記憶上だけではほぼ初めてで(実際はアパートや団地にも住んだりしていた)よく分からないけど不思議な感覚だった。心の準備も出来ぬままそそくさと引っ越して早一ヶ月。未だに実感が湧かない。お泊まりしている感じ。いつかどこかに帰るんだろうなあと思っている。


さよならした訳、

大家さんがもう手放したい、売りたいとのこと。

つまりは借家。

一生その地に足をつける気持ちは母共々なかったので買い取るわけでもなく引っ越しという形になった。一つ下の弟も大学に通いやすいようにと神奈川で一人暮らしを始め、母ともう一人の弟と私の三人暮らしになったのでいい機会だった。

本当は一人暮らしがしたいんだけどね。まだしばらくは難しそう。


憧れの駅近、便利すぎて嘘みたい。実感が湧かない理由の一つはこれか。別に都会に引っ越したわけでもないし地元から駅近の地元に移っただけなんだけれどやっぱり景観や人通り、特に生活様式は大きく変化した。

前に住んでいた場所は車がないとコンビニやコインランドリー(好き)くらいしか歩いて行けるところがなく、一番近い駅まで歩くにしても一時間はかかる。バスの本数も二時間に一本かそれ以下。待つ時間、待たせる時間を常に意識し、無益な時間という空白の多い生活だった。


それでも好きなところもあった。

家の目の前には田んぼと畑と踏切。夏になると蛙たちの合唱コンクールが毎晩のように開催され、それが心地のいい音楽になったり。

電車の音なんてもう生活音の一部で、カンカンという甲高い警報音から始まり、優しさだねって思っちゃうくらいにゆっくりと降りる遮断機、ゴーゴーと地面を鳴らす巨大な鉄の塊にさえ、いつもと変わらずに稼働している世の中の騒々しさをこんな場所にいても感じることができるのだと、喜びを覚える。

少し歩けば土手があり、嫌なこと悲しいことがあった時の応急処置と曲作りの場所としてたまに行くことがあった。

芝の生えた斜面に寝転がり空を見上げると、鉄橋を渡る電車の音を澄んだ空気が吸い込み何重にも反復させて降ってくる。それを全身で浴びればもう怖いものなしだ。そして終いには、鈍く悲しい泣き声のような余韻が代わりに泣いてくれたりする。触れていなくても寄り添いあえる感覚とはこのことか、と天に向かって手を合わせ勝手に感謝したこともあった。


私はこれを、不便な田舎に住んでいたからこそ感じることができた感情だと思っている。

場所によっては都会でも聞くことができる音、ではあるのだけれどそれをどう感じるかという感情やどう捉えるかという価値観の部分では、少なくとも、私が住むこの場所ならではの特別なものだ。

物心がついた時には既に当たり前になっていた音だからこそそれらを潜在的に''うるさいもの''だと捉えない、そんな自分の価値観を心から誇りに思った。

住む場所も重要だけれど住む場所で聞こえる音はもっともっと重要で、そんなふうに改めて振り返って考えてみるとどれだけ音に執着し過ごしていたかが分かる。無意識だけどそれは必然的に生活を豊かにしてくれていた。

けれど反対に生活を脅かす存在にもなり得た。

前に住んでいた場所に対する音の不満はほぼなかった。強いて言えば、近所のおばさんたちの井戸端会議で目覚める朝は気分が悪いってことくらい。

今住んでいるアパートも隣人の騒音問題など特になく過ごせている。

だけど前よりも音に敏感になった気がするのは気のせいだろうか。

ドアを閉めるとき、階段を上り下りするとき、音楽を聴くとき、ドライヤーを使うとき、面白いテレビ番組を見て笑うとき。

他人が発する音はもちろん、それ以上に自分が発する音を常に意識して生活するようになった。それはずっと隣にあって時折鬱陶しくなるものだ。生活音のボリュームを気にしなくてはいけないとこうもストレスになるのか、とちょっぴり嫌になってあの大きな一軒家が恋しくなったりもした。


だけど人間は、どんな生活にも一ヶ月すれば順応してしまうということも明らかだ。

今はまだ住み始めたばかりの場所の音に慣れていないけれど、それが当たり前の生活音になったとき、好きな音たち、自分が住む場所にしかない特別な音たちをまた見つけられたらいいなと思っている。


どこに住んでいようと切っても切り離せない生活の音たちを、私たちはどう捉え許容していくべきなのか。改めて考えるいい機会になったのでここに記しておく。



画像1

(これは嫌なことがあって落ち込んだときに土手に行ってアポロを食べた瞬間の一枚)


甘くて優しい味。

訳もなく私はまたここに戻ってくるだろう。




= 死せる孔明''note''ななのかかんプロジェクト =


1日目 『イントロダクション』


2日目 『お気に入りの漫画たち feat 独断と偏見』


3日目 『夕焼けに触れるとき、』


4日目『お気に入りの映画たち』


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