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しびろい日々(16)

 モグリは置いていた背負子の中を整え背負い直し、無意識に鎧胴の腹の辺りをさする。
「これから夕飯?」
「ああうん。まあ、いったん着替えて……『臭い』を落としとかないとね」
「別に気になんないんだけどねえ」
「ここに籠ってちゃあね。鼻が慣れてるんだよ」
 モグリの返事には乾いた笑いが付いている。確かに、実質的な死体安置所であるこの施設の主となれば、死臭の類いに馴染みがあって当然ではある。「とにかく『岩屋』の肉が恋しくてね」
「あ、ガンクツさんとこ行く? ならちょうど良かったわ」
 怪訝そうに眉を上げるモグリに、ナトリは意味深な笑みを湛えながら受付机の奥棚の扉を開け、大判の図録くらいの大きさの木箱を取り上げた。
「これ持ってって」
「ガンクツさんに?」
「や、フリューくんに」
 この集落唯一の免状宿場『岩屋』の主である焼晒野のガンクツは、モグリたちより年嵩で経験豊かな先達であり、集落の顔役とも言える。そこで奉公しながら商売のイロハを学んでいる年若い優男の名を、鉛砂浜のフリューという。
 木箱を受けとるモグリは何事かを察し、あからさまな程に“嫌々と”の顔をしてみせた。木箱の中身をあらためれば、酒瓶が柔布に横たえられていた。巻かれた銘柄紙には洒脱な筆遣いで、ジゴロの如く美女を侍らせた美男子が描かれている。
 それは有名な香草酒の証であった。安くて旨く、その代わり酔いの回りが恐ろしく早く翌日の悪酔いも保証されるという曰く付きの品である。
 つまりは、酒に慣れない若者を“落とす”のにはもってこいであり……通称を『色狂いの薬酒』という。
「……ナトリさんさあ」
 木箱から視線を上げたモグリに対し、返事はない。ナトリは受付机にしなだれかかり、既に寝息を立てていた。
 何事かを言いかけ、しかし諦めたモグリは、ナトリが肩に羽織った、いまにも滑り落ちそうなショールを、数瞬だけ見つめる。
 そして。そのまま手を出さず、帰り支度を整えた。
 道具をまとめて身支度を整え、背負子の品揃えに先程の木箱を加え、難儀そうに立ち上がって去っていく。
 視界の端でナトリが身じろぎした気配がした。確かめはしない。
 出口の扉を引き開け、外の光に身をさらす。傍らで仕掛け人形が歓迎の姿をとるのを、頭を撫でるように触れ、“おやすみ中”に戻した。
 背後で扉を閉ざし、一度、大きく背負子を背負い直す。
 そして家路へ向かった。


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