見出し画像

しびろい日々(1)

 黴苔の降る滑石の回廊に、遺体と剣が事切れている。
 闇深いようで仄かに明るい、尋常ならざる光がそれらを照らす。地下遺構迷宮に満ちる、冷たく湿気た墓所の風は、遥か昔、この難攻な回廊を設えた某かの魔法の使い手が命と共に遺構の扉を封じ、それが再び日の目を見るまでの間、脈々と蓄え続けた死相の臭いであり……宝と名誉の匂いでもあるそれに引き寄せられた有象無象の冒険者が、死の香りをいや増して行くのだ。
 そしてまた、新たな屍がひとつ。利き手を振り延ばした姿で横たわる遺体は、最期まで、生き残る術を諦めなかったのだろう。放られた剣の切っ先には濃緑の血痕がこびりついたまま乾き、剣の柄まで、ほんの数指分の距離まで延ばされた手は、剣を握ろうとする途中の有り様のまま、時を止めていた。
 遺体が身に纏うのは、駆け出しの冒険者によくある一式装備、つまりは、皮張り鋲留めの軽装鎧と裏板金の革兜、そして厚毛皮の長靴。探索者の装い、あるいは新参者の一張羅として知られた装備は、乾いた血で黒々と染め直されている。小獣程度の牙なら通すべくもない胴体の皮張りに、等間隔で三点、闇を覗くが如く太い穴が開いており、そこから溢れ出したのであろう血痕は、乾いてもなお錆に似た臭気を残し、屍肉の在り処を、それを求めるものどもに、示し続けていた。
 かさり。黒珠の如く光る丸背の小虫が一匹、呼び寄せられるように現れた。骸に擦り寄り、突き出された腕に残る肉の、腐り崩れた所に鋭い牙を突きたてる。
 一口で永らえられる命は、虫の一生においては長大なものだ……そして、もう一口。と、欲張った小虫を咎めるように、長い影が伸び、天を覆った。
 ぴん、と、ひと指で弾き飛んで行く小虫の行方を、その人物は緩慢な動作で見送ると、屍の傍らに片膝を立ててしゃがみ込んだ。
 遺体の様子をしげしげと眺め、検分する背後。うっすらと積もった苔黴の土埃が、足跡の列を形作っていた。
 それは回廊の奥から、手間に向かって伸びている。


Header image : stable diffusion ver1.4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?