見出し画像

しびろい日々(14)

「そうか……そうかあ……」
 宙を虚ろに眺めて呟くモグリの顔は、急に老け込んだように見える。
「ほんと、変なやつ」
 ナトリは半眼。鼻で笑いつつ言い放つ。
「えぇ?」
「真面目で几帳面の朴念仁なら筋も通るけど、それなりに色の欲もあるし、美人に目がないし」
「それはまあ、ほら……夜艶の娘さんは、そういう……いやそうじゃなくて」
「そこで下品になれないの真面目にも程があんでしょうよ、ったく」
 語尾を笑みに震わせながら、もはやモグリに視線を向けず書類を束ねにかかるナトリの脳裏に追憶が蘇る。そのときも、退屈な書類仕事に一向にケリをつけられず、偶然に居合わせたモグリをからかって遊ぼうと、わざと薄着を着崩して仕事の受付をしてやった。はたしてモグリは、ナトリの顔だけをじっと見て、宣誓でもするような調子でのたまうのだ。
「貴方とはーそういう間柄ではないのでー、なんつってね」
「ん?」
「いやこっちの話。あ、それも貰っていい? いったん束ねといて、また後で仕上げるわ」
「あまり夜更かしが続くと」
「はいはい親戚の叔父さんみたいなこといわない。ほら」
 片手を差し出すナトリに、モグリは自分がまとめた分の書類を渡し、相手に気付かれぬ程度の微かさで微笑んでみせる。いつものナトリの調子が出て来た安堵と、仕事上がりの日常への安心、それらが胸に満ちた現れである。「でもナトリさん手すがら資料整理って珍しいね。コズサ君は?」
「それよ! あの“酔いどれ師”に呼ばれて行っちゃったわけよ……あんのオヤジとおんなじ沼迷宮にさあ!」
「なるほど……まー、こっちは人手も要らないし、むしろ撤収だからなあ」
 この施設でナトリの右腕として活躍していた根張り森のコズサは事務と雑事と根回しに長けた好青年かつ能吏であり、引く手あまたの“有限の資産”なのだ。後始末を待つばかりの地で晒しておくことなど有り得ない訳ではあるが、ナトリの苛立ちの理由がそこでないことも、モグリは薄々感付いている。
「ナトリさんさあ」
「んあ?」
「外見が若いからって美青年趣味はそろそろ止」
 束ねた紙束がモグリの顔面に綺麗に衝突する大きな音が、広間にぐわんと反響した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?