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扉を開けたらサヨウナラ

 見送りは玄関までと決めている。
「さよならぁ」
 流し目も甘い声にも無反応。斜めにしか日の射さないマンションの廊下は暗く湿った土管のよう。客の背中が曲がり角に消えた。
 男の本性は去り際に出る。甘ったれた子犬みたく「またね」とか囁くやつ、教師じみた真面目顔で五分前の痴態に辻褄を合わせたつもりのやつ、振り返りもしないやつ。
 今のヤツは……味気ない。ベッドの上でも教本通りみたいな行為。思い返す姿も既に朧だ。
 ドアを施錠。首筋に残る気色悪さが癇に障る。他人の臭いが染みた肌着を剥ぎ棄て、男と寝る為だけの殺風景な部屋に裸で一人、踞る。
 男に跨がるのが好きだからヤッてる仕事だけど、さ。あんまり長くやると自分が……人なのか箱なのか、わかんなくなる。
 店仕舞いかなあ。
 どーせ三月もすれば戻ってるけど。
 ……。
 鬱屈はヤだ。仕切り直す。
 窮屈なシャワールームの扉を開けてバルブを捻り、ノズルから噴き出した熱湯に身を委ねる。首筋、鎖骨、乳房、股間。男の痕跡を拭い去る。浴室から出て扉を閉じる。女優が使うみたいなクローゼットに両手を掛けた。
 観音扉を引き開ける。
 PC筐体が青白いバックライトを光らせた。水冷ファンが低く唸る。
 猛然とタイピング開始。

 ……あたしはなぜか、腹の“中”に出された体液を完全解析できる。
 完全。つまりヒトゲノム三十二億の情報が今、あたしの頭の”中”に在る。
 ただし記憶はもって一晩。だから遺伝子――タンパク質の設計図二万三千個の塩基情報だけ“上”に送信中。
 使途? 興味ない。カネと非合法商売のお目こぼしが交換条件。そういう契約。
『待て』
 耳障りな通知音とメッセージ。集中がブッ飛んで感情が沸騰するのをギリで抑えて唸る。
『そんなはずは』
 何が違うってんだよクソがッ——天井を仰ぎ見て無言で吠えた。
 またメッセージの通知音。
『君と寝たのは、本当に人間か?』
 シャワールームからノック。

【続】

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