見出し画像

初代『神武天皇』~五代『孝昭天皇』御名を地形読みします

(本文は、邪馬台国・倭国三十国の比定の音形読みによります)

※五代『孝昭天皇』を除き「音形」読み結果のみの表示です。

初代『神武天皇』 … 「倭国」を誕生させた「弥奴国王」です。
「魏志倭人伝」内では、「倭国」を征服している「邪馬壱国」の四官(王)の内の「伊支馬」。『古事記』では「別天神」の「天之御中主神」です。

※「倭国」内に色々な国の統一王(天皇)が生まれますが(二代目から五代目)、その中心となっているのが「倭国」を連合で誕生させた「弥奴国王、斯馬国・北九十島地区王、好古都国王」の連合組織で、私は、勝手に「倭国統一三ヶ国盟主王連合(倭王権)」と読んでいます。

この「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「邪馬壱国(徐福)」や「狗奴国(子淡道之穂之狭別島」)」が,「連合や軟禁」で自国内に止め、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の持つ倭王権を代行しました。

二代『綏靖天皇』 … 「邪馬壱国」倭王国を誕生させた「徐福」です。
『古事記』では「宇摩志阿斯訶備比古遅神」です。

三代『安寧天皇』 … 「伊耶那岐命、伊邪那美命」を生んだ「狗奴国王(子淡道之穂之狭別島)」です。
「魏志倭人伝」内では「狗古智卑狗、卑弥弓呼、弥弥」と名前を変えました。『古事記』では「倭国統一三ヶ国盟主王連合」と連合して生まれた「伊耶那岐命」です。

※ここから「狗奴国」を起点にして「四代、五代(邪馬壱国の台与、豊国の好古都国王)」の「天皇」が生まれます。
「九州」内というか「倭国」内関連というか、統一王になりますと,王権を連合内の下部組織内に完全委譲してしまいます。

〇「邪馬壱国」倭王国(徐福) … 「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を国内に軟禁して「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の倭王権を代行しました。
〇「子淡道之穂之狭別島(狗奴国王)… 「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を統合して「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の王権を活用しました。

〇「邪馬壱国」後継の(台与) … 「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を内包して「子淡道之穂之狭別島(狗奴国王)」王権組織内になりました。
〇「豊国」の(好古都国王) … 元々「倭国統一三ヶ国盟主王連合」組織内の王ですが、「台与」と上位の「弥奴国王、斯馬国・北九十島地区王」を内包して「子淡道之穂之狭別島(狗奴国王)」王権組織内になりました。

素人が感じた統一王権(天皇)の成立過程です。

四代『懿徳天皇』 … 「狗奴国王」と「倭国内九州人国」連合により征服した「邪馬壱国」の「母国王、倭国王」を兼ねた「台与(徐福の子孫)」です。
「倭国統一三ヶ国盟主王連合(倭王権)」と連合を組んで「伊邪那美命」になり、
「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」統合内になる「伊耶那岐命」内の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を従属内包して、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」内の王権を活用した。

五代『孝昭天皇』 … 「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を内包した「台与」を従属内包して「子淡道之穂之狭別島」の王権を活用した「豊国(好古都国王)」です。

「豊国」に対する私の「音形」読み知識では、
○『古事記・子淡道之穂之狭別島』が生んだ「豊国」は、「八代海」を囲んだ「好古都国(天草上下島)」を盟主王とする「好古都国、不呼国、姐奴国、投馬国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国」七ヶ国同盟国です。
〇「邪馬壱国」体制を征服した「子淡道之穂之狭別島」体制は、筑紫平野内の「伊邪国、邪馬壱国、烏奴国、躬臣国」を没収しました。

○「狗奴国」の「子淡道之穂之狭別島」は、統一した「倭国、邪馬壱国」内の全国を「豊国」内に統率させました。
〇「豊国」は、「倭国」内全国と筑紫平野四ヶ国内全国を統率し、その内の筑紫平野内四ヶ国の民衆を同盟国の一国であって最大面積領土を有する「不呼国(鹿児島県の薩摩地区を国内にする)」内に強制移住しました。

〇「豊国」は、「倭国」内全国と筑紫平野四ヶ国内全国を統率し、「倭国」内全国大人、筑紫平野内「邪馬壱国」体制四ヶ国内全国大人を「肥国」内に委譲して率い「子淡道之穂之狭別島」に移住しました。(統一王国内に隷属内各国王を集める)

〇「倭国」全国内大人、「邪馬壱国」体制四ヶ国内大人を「豊国」内六ヶ国大人が管理しながら「子淡道之穂之狭別島」に移住したために「豊国」内に大人がいなくなり、
「不呼国」を除いた「豊国」六ヶ国領土を「肥国」に譲渡してしまいました。
(したがって、現在も八代海面に豊国がありません)
〇代わりに「国々」全部を没収した筑紫平野内に「豊国」六ヶ国が移住しました。

これで「八代海」面の「豊国」が無くなったことと「熊本平野」内であった「肥国(熊本県)」領土が「不呼国(鹿児島県)」に接したことが理解できました。
〇しかし、四代『懿徳天皇(台与)』が,王権を獲ると「筑紫平野」内は、「不呼国」内に強制移住された「邪馬壱国」体制の四ヶ国が戻ってきました。

〇筑紫平野に移住した「豊国」六ヶ国体制の故郷は「肥国」領土になっています。そこで、「豊国」大人が移住した「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」内の「周防灘」面に移住しました。
〇昔の「豊前」から「豊後」面へと拡大した「豊の国」は,このようにして出来たと考えます。

※上記の中で年代が解るのは、一般的な『神武天皇』の皇紀である紀元前660年。二代目が「始皇帝」生存中の「紀元前221~210年」間。三代目「安寧天皇」が「卑弥呼」が死んだ「西暦248年」前後。その他は解りません。

五代、孝昭天皇(こうしょうてんのう=豊国の好古都国王)… 音形読み結果。
「九州島」内に集まって「本州島、四国島」が交わり「周防灘」を囲い込む、「周防灘」面岸辺を集めた岸辺内に交わり、
「関門海峡、国東半島」中間内に広がって湾曲を交わりきる、湾曲内陸地の「狗奴国」に接合して(移住して)「豊国」が交わる。

孝昭天皇(こうしょうてんのう) … 音形読み
コ x・立体形が 立体内に 集まる
  九州島・立体形の 立体面に 集まって
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (九州島面;)本州島、四国島・接続形が 立体内に 交わり
シ x・交連形が 立体内に つながりきる
 (九州島、本州島、四国島内;)周防灘・交連形が 立体内に つながり         きる
ョ x・重なり形が 立体内に 集まる
 (周防灘面;)海岸・重なり形を 立体内に 集めた
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (海岸面;)陸地・接続形の 立体内に 交わり
テ x・集合一体形が 立体内に 広がる
 (陸地内;)関門海峡、国東半島・集合一体形の 立体内に 広がって
ン x・容積内、y・複合立体形が 立体内に 交わりきる
 (関門海峡、国東半島内;)中間・容積内、湾曲・複合立体形を 立体内        に 交わりきる
ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する
 (湾曲内;)陸地・立体内の、狗奴国・つながりに 接合して
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (狗奴国内;)豊国・接続形を 立体内に 交わる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?