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「倭国」内の「国々、方角」を論ずるための基本知識

「魏志倭人伝」文章内「九州島」内となる「倭国」の「方角、国位置」を論ずる際には、絶対念頭に置かなければ成らないことがあります。

それは、玄海灘面に並ぶ国々は全部韓半島からの「狗邪韓国渡来人国」であるということです。そして、玄海灘面の「狗邪韓国渡来人国」の特異性は、「邪馬壱国」倭王国に連合して「狗邪韓国渡来人国」の盟主王である「斯馬国・伊万里地区王」が「邪馬壱国」倭王権を委譲され、

倭王権の三官「爾支、泄謨觚、柄渠觚」を組織して「伊都国」の「糸島」内に駐屯し、「邪馬壱国」の倭王権を持った「卑弥呼」を呼び寄せて「爾支、泄謨觚、柄渠觚、卑弥呼」合同で倭王権の執行を行っていることです。

上記体制を率いた筑紫平野の「邪馬壱国」倭王国が、「狗奴国王」体制に征服されましたが、「邪馬壱国」の連合国である「狗邪韓国渡来人国」の「奴国、伊都国、末盧国、斯馬国・伊万里地区」が降伏せずに「卑弥呼」名で中国王朝の「魏」に救助の遣いを送りました。

「魏」から救助の為の使者が「倭国」の「末盧国」に到着しました。「末盧国」から隣接の「伊都国」に行きましたが、獣道で案内しました(方向と距離を不明確にする為と思われます)。
そして、「伊都国」の「糸島」に着くと「魏」の使者を「糸島」内に留めてしまいました(軟禁状態)。

その状態で、「倭国」内事情を「魏」の使者に説明した「伊都国」人は、「狗邪韓国渡来人国」であるということです。
韓半島の国々は、常に中国王朝に服属させられている国々です。その「狗邪韓国渡来人国」人が、第二の母国とした「倭国」内の「地理と国位置」を何時侵攻するかもしれない中国王朝に、正確に教えるでしょうかということです。教えるとは思えません。次に方角文字に対する思いを書きます。

「不弥国(能古島、志賀島、玄界島=福岡湾)」内の志賀島から … 南、投馬国に至る。水行二十日なり。官は弥弥と曰ひ、副は弥弥那利と曰ふ
(不弥国は、奴国内の博多湾内にありますが、筑紫平野の邪馬壱国に属した飛び地国です。邪馬壱国が独自の大陸交易のために作った国と思えます。ネットを見ますと志賀島に港湾があったようです)
官;弥弥 … 「倭女王国」との戦いで「狗奴国王」の勝ち戦のつど「狗古智卑狗→卑弥弓呼→弥弥」と変名しました。
副;弥弥那利 … 九州人国と「狗邪韓国渡来人国」を九州人国主導の連合統一によって「倭国」を誕生させましたが、数百年後「徐福、狗邪韓国王」の「徐福」船団が「倭国」に移住して「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」と「九州人国」を従属し、

「邪馬壱国」を建設して倭国統一の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を国内に拘束軟禁し、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の倭王権を「邪馬壱国」が代行して倭国を治めました。

その倭王権である「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「邪馬壱国」から救出して「狗奴国王」が連合した「倭国」倭王権組織です。

したがって、「投馬国」には、「倭国」倭王権の「狗奴国王」と「倭国統一三ヶ国盟主王連合」が駐屯しているということです。

◎投馬国→南(実際の方角は北)、邪馬壱国に至る。女王の都とする所なり。水行十日、陸行一月なり。
これまでの数百年間国内に「倭国」倭王権の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を拘束軟禁して、代行倭王権を維持した「邪馬壱国」母国内には、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を保護維持した「台与、奴佳諟」がいました。「台与、奴佳諟」の王権者在籍者が「南」です。

※しかし、『古事記』文内で「於能碁呂島」を生成したときに「邪馬壱国」の母国王である「台与、奴佳諟」を「弥弥那利(倭国統一三ヶ国盟主王連合)」内に従属連合し、「台与、奴佳諟」を従属連合した「弥弥那利(倭国統一三ヶ国盟主王連合)」が「弥弥(狗奴国王)」に統合したことによって「伊耶那岐命、伊邪那美命」が生まれました。

※「投馬国」にいた「伊耶那岐命、伊邪那美命」が、「天之御柱」(大半島=佐賀県、長崎県が入る)を左右から侵攻して「伊都国」の「糸島」内「爾支、泄謨觚、柄渠觚」と「卑弥呼」を制圧しました。そして、「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」を生みました。

◎「倭国」内国々を一巡して一度目の「奴国」にもどり→その南に、狗奴国有り。男子が王と為る。その官は狗古智卑狗有り。女王に属さず
九州島「倭国」内の国々は、基本的に「橘湾、八代海、島原湾、有明海」を中心にして廻り中に並んでいます。

玄海灘面の国々は、「末盧国、伊都国、奴国」があります。この中の「博多湾」を国内にした「奴国」が、「橘湾、八代海、島原湾、有明海」面を反時計回り一巡した「倭国」内国々の「烏奴国」になりますと三郡山地を挟んで「奴国」と接合します。

「倭女王」に属さない「狗奴国」を紹介するために一度紹介した玄海灘面の「奴国」を再び呼びだして、「遠賀川、彦山川」を国内とする「狗奴国」を紹介しています。
そして、「狗奴国(弥弥)」は、「倭国」内王権者の総てを勢力内にした統一王権国で「南」です。

◎末盧国→東南に陸行五百里にして伊都国に到る。 
◎伊都国→東南、奴国に至る、百里なり。 
「東南」に対する意味は … 「東南」の「南」は、「邪馬壱国」倭王国から倭王権執行を委譲された倭王権である「爾支、泄謨觚、柄渠觚」と「卑弥呼」の倭王権者がいます。
そして、「東」は、「邪馬壱国」倭王国から出張した先の「伊都国」の「糸島」となります。

三官名と「卑弥呼」を「音形」読みした国名です。
爾支 … 副弥奴国王(正弥奴国王は、倭国統一三ヶ国盟主王連合を組織している=伊支馬)
泄謨觚 … 斯馬国・伊万里地区王(斯馬国・北九十島地区王は、倭国統一三ヶ国盟主王連合に参加している=彌馬升)
柄渠觚 … 副好古都国王(正好古都国王は、倭国統一三ヶ国盟主王連合に参加している=彌馬獲支)
卑弥呼 … 邪馬壱国
(魏志倭人伝に書かれた倭国統一三ヶ国盟主王連合は、邪馬壱国紹介に書かれた四官内の伊支馬、彌馬升、彌馬獲支の三官です)

◎奴国→東行し、不弥国に至る、百里なり
「東=戸(トウ)」は … 「奴国」の「博多湾」内には、「能古島、志賀島、玄界島」が囲んだ「福岡湾(不弥国)」があります。そして、「福岡湾」は、「博多湾」の湾水が出入りする場所になります。出入り口(戸)という意味です。

(本文は、「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形」読み、によります)

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