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不弥国、投馬国「南二十日、南十日、陸行一月」

(本文は、邪馬台国・倭国三十国の比定内、「音形」読みによります)

「魏志倭人伝」文章内の「南」使用の共通点を見つけました。「南」方向で示された国々の総てに「倭国」倭王権者がいます。

「(※)不弥国」から「南、水行二十日投馬国」の「(※)投馬国」内には、官(王)「弥弥、弥弥那利」がいます。

※「不弥国」… 内陸の筑紫平野に国を構えて倭王権を構えた「邪馬壱国」は、海に面さず故国である中国との交易の為の港湾を持てません。
そこで連合国下位である「奴国」内「博多湾」に接合して「福岡湾」を形成した、

「能古島、志賀島、玄界島」を「奴国」から没収し、「志賀島」内にある外海用の港湾を活用しました。つまり「不弥国」は、「邪馬壱国」倭王国の飛び地国に成ります。

※「投馬国」… 熊本県の宇土半島を含んで緑川の湾曲内領土です。宇土半島先端の「大矢野島、維和島、戸馳島」で囲まれた、「三角港」は「時化や大風」時のすぐれた避難港であると、まぼろしの邪馬台国筆者である「宮崎康平氏」が褒めちぎっています。

〇「魏志倭人伝」内で「南」文字で方向付けられた国々には総て倭王権者がいます。
複数の倭王権者は、正規倭王を自国内に取り込んで(連合、拘束軟禁)、その倭王権を代行するという形です。ですから、複数の倭王権者(代行倭王権者)が生まれます。

「投馬国」の「弥弥」(倭王権者・狗奴国王) 
「倭女王国(邪馬壱国)」と戦争をしている国で、最初「狗古智卑狗、二度目に卑弥弓呼」、そして、「邪馬壱国」倭王国を征服し「倭国」と連合した「(※)狗奴国王」ですが、自国の王と「倭国」の王を兼ねました。そして「弥弥」名称になりました。

※「狗奴国」… 「倭国」の「奴国(博多湾)」の東面にあって玄海灘の関門海峡までと、周防灘に挟まれた国内に「遠賀川、彦山川、旧遠賀川湾」があります。
この国は、『古事記』文章内で「大八島国」を制定した「子淡道之穂之狭別島」でもあります。

「投馬国」の「弥弥那利」(倭王権者・倭国統一三ヶ国盟主王連合)組織 
「邪馬壱国」倭王国は、「倭国」を連合統一した倭王権者である「弥奴国王(伊支馬)、斯馬国・北九十九島地区王(彌馬升)、好古都国王(彌馬獲支)」の盟主王連合(倭国統一三ヶ国盟主王連合)を国内に拘束軟禁した倭王国です。

この「倭国統一三ヶ国盟主王連合」組織を「狗奴国王」が自国体制内に取り込んで連合しました。「弥奴国王(弥弥)に取り込まれた「倭国統一三ヶ国盟主王連合」が、副官の「弥弥那利」になります。

したがって、「(※)不弥国~「投馬国」への船行は、「玄海灘~平戸瀬戸、北九十九島、五島灘、橘湾、島原湾」から「宇土半島」先端の「三角港」まで二十日の日数がかかりますとなります。

「投馬国」から「南へ水行10日 陸行1月」の邪馬壱国
「投馬国」から筑紫平野の(台与、奴佳諟=南)のいる「邪馬壱国」までの行程は、「島原湾、有明海」を通って「筑後川」に入り「邪馬壱国」に到着するのに(水行10日)を要するとなります。

「陸行1月」は、「宇土半島」のある「投馬国」~「島原湾、有明海」沿岸を歩いて「筑後川」まで行き、「筑後川」を渡って「邪馬壱国」に行くことになります。

「邪馬壱国」の南(倭王権者)は … 台与、奴佳諟
「邪馬壱国」は、「弥弥、弥弥那利」体制に占領されました。この際の占領という事情は、倭王権組織の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「狗奴国王」体制に奪われて(代行)倭王権を失ったということです。

「倭国統一三ヶ国盟主王連合」体制内には、倭国内九州人国十四ヶ国」があって「倭国」内最大勢力です。

倭王権を失いましたが、「邪馬壱国」同盟国は健在です。その「邪馬壱国」内には、母国「邪馬壱国」と「邪馬壱国」倭王権を「卑弥呼」と共に維持してきた「台与と奴佳諟(狗邪韓国王の子孫)」がいます。

加えて「邪馬壱国」倭王権を執行している「(※)爾支、泄謨觚、柄渠觚」と「卑弥呼」が「伊都国」内にいて「弥弥、弥弥那利」体制に降伏しません。そして、中国の「魏」に援助を求めて遣いを出しています。

と言うわけで、「邪馬壱国」にも倭王権者が存在しています。

※爾支、泄謨觚、柄渠觚
「倭国」統一倭王権は、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の「弥奴国王、斯馬国・北九十九島地区王、好古都国王」盟主王が組織化して倭王権を創りましたが、

「邪馬壱国」倭王権も「爾支(副弥奴国王)、泄謨觚(斯馬国・伊万里湾地区王)、柄渠觚(副好古都国王)」を組織内にした代行倭王権を創りました。

私の勉強内で「倭国」内には、「九州人国、狗邪韓国渡来人国、中国渡来人国(邪馬壱国)」が存在しますが、「九州人国、狗邪韓国渡来人国」連合統一の倭王権は、九州人国が獲りました、しかし、その執行は「狗邪韓国渡来人国」が「伊都国」で執行しています。

「邪馬壱国、狗邪韓国渡来人国」連合統一の倭王権は「邪馬壱国」が獲りましたが、その執行は「狗邪韓国渡来人国」が「伊都国」で執行しています。
「倭国」内では、連合内の上部組織が獲った倭王権を下部組織に委譲する慣習があったようです。

あと、一国ですが二度書かれた「奴国」の「南」は、「奴国」の東面で「狗奴国」です。「弥弥」の母国です。

時代を遡って「後漢」に遣いした「奴国王」の国が「極南界」と「南」の文字が使われています。「極南界」を「音形読み」した結果を書きます。

極南界 … 音形読み
「倭国」内に移住した「狗邪韓国渡来人国」が重なりをして「玄海灘面、筑紫平野」内に交わる、
「玄海灘面、筑紫平野」内「狗邪韓国渡来人国」を「奴国」が立体内にして、「奴国」体制内に「伊都国、末盧国、烏奴国、躬臣国」を交わりきる、

「伊都国、末盧国、烏奴国、躬臣国」内の「伊都国」内になる(邪馬壱国倭王権執行の倭王権者)「爾支、泄謨觚、柄渠觚」と「卑弥呼」を(奴国体制内に)つなげきり(倭王権執行を奴国内にした)

キ x・立体形が 立体内に つながりきる
  倭国・立体形の 立体内に つながりきった
ョ x・重なり形が 立体内に 集まる
 (倭国内;)狗邪韓国渡来人国・重なり形を 立体内に して
ク x・立体形が 立体内に 交わる
 (狗邪韓国渡来人国内;)玄海灘、筑紫平野・立体形の 立体内に 交わ         る
ナ x・集合内、y・接合広がりが 立体内に 分かれる
 (玄海灘、筑紫平野内;)狗邪韓国渡来人国・集合内、奴国が 立体内に       して
ン x・容積内、y・複合立体形が 立体内に 交わりきる
 (奴国内;)伊都国、末盧国、烏奴国、躬臣国内・容積内、全国・接合広        がりを 立体内に 交わりきり
カ x・立体形が 立体内に 分かれる
 (伊都国、末盧国、烏奴国、躬臣国内;)伊都国・立体形の 立体内に          なる
イ x・接続形が 立体内に つながりきる
 (伊都国内;)(倭王権者)爾支、泄謨觚、柄渠觚と卑弥呼・接続形を         立体内に つなげきる


「魏志倭人伝」の「東南」って何?
私の共通点探しの勉強から「南」を理解し、次に「東南」を理解しました。方角文字を使っていますが方角ではありません。場所を表現しています。素人勉強で解りにくいかと思いますが理解していただければと思います。

まず、「東南」で表現された「東(トウ)」発音の複数(塔、島、頭、籐、灯)を並べて共通点探しをしました
塔 … 層を重ねた建物
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  建造物・集合一体形の 立体内に 集めて
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (建造物面;)建造物・接続形を 立体内に 交わる

島 … 水面上に陸地が重なる
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  水中・集合一体形の 立体内に 集まり
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (水中面;)大地・接続形が 立体内に 交わる

頭 … 身体の上に重なっている
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  身体内・集合一体形が 立体内に 集まった
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (身体内;)最上部・接続形を 立体内に 交わる

 …高木の表面に巻き付く(重なる)
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  他高木・集合一体形の 立体内に 集まり
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (他高木面;)巻き付き・接続形を 立体内に 交わる

灯 … 燃焼設備に火が集まる(重なる)
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  燃焼設備・集合一体形の 立体内に 集めて
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (燃焼設備内;)火・接続形を 立体内に 交わる

何かと何かが「重なる」形を表現するのが「トウ」であると理解します。

「魏志倭人伝」内の「奴国」から「東行し、不弥国に至る。百里なり」の「東」は、
東(トウ)… 「博多湾」内に重なって存在する「能古島、志賀島、玄海島(福岡湾=不弥国)」と読みます。
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  博多湾・集合一体形の 立体内に 集まった
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (博多湾内;)能古島、志賀島、玄海島(福岡湾=不弥国)・接続形の 立体内に 交わる

東南
※「末盧国」から「伊都国、奴国」方向への「東南」を、「南」を理解するまでは古代人の方向感覚はこんなもんかな、と思っていましたが、今は違うぞーと叫びたい。

「東」…「邪馬壱国」が集めた代行倭王権を交わり(重ねて)
「南」… 代行倭王権を「卑弥呼、爾支、泄謨觚、柄渠觚」内にして「伊都国の糸島」内に交わりきる
ト x・集合一体形が 立体内に 集まる
  邪馬壱国・集合一体形が 立体内に 集めた
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (邪馬壱国内;)代行倭王権・接続形を 立体内に 交わり
ナ x・集合内、y・接合広がりが 立体内に 分かれる
 (代行倭王権内;)卑弥呼、爾支、泄謨觚、柄渠觚・集合内、伊都国・接        合広がりの 立体内に して
ン x・集合内、y・接合広がりが 立体内に 分かれる
 (伊都国内;)糸島・集合内、卑弥呼、爾支、泄謨觚、柄渠觚・複合立体        形が 立体内に 交わりきる
〇音形読み結果…
「邪馬壱国(徐福、狗邪韓国王)」が集めた代行倭王権を交わり(重ねて)「卑弥呼」と「爾支、泄謨觚、柄渠觚」内にして「伊都国の糸島」内に交わりきる。
(つまり、卑弥呼と爾支、泄謨觚、柄渠觚の居場所を示すの東南になります)


「魏志倭人伝」を考えます

「魏志倭人伝」文章内容は、「倭女王国」と「狗奴国」の戦争で負け戦を続ける「邪馬壱国」を助けようと、中国の「魏」に「卑弥呼」名で援助要請の遣いを出しました。

そして、「魏」の使者が「倭国」内に来ましたが、「伊都国」内に留められながら「倭国」状況を調べた状況が、「倭国」王権と中国王朝の正式交渉であったと思われますから、その記録が中国王朝に残り「魏志倭人伝」文章になっていると考えます。

問題があります。「魏」の遣いと交渉したのが、常に中国に服属する韓半島からの「狗邪韓国渡来人国」だけであったということです。この対比の中に「倭国」内状況説明に偽りがあるかと考えます。

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