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(卑弥呼の)「邪馬壱(イチ)国」と(台与の)「邪馬台(タイ)国」の違い

(本文は、邪馬台国・倭国三十国比定の「音形」読みによります)

「倭国」の初まり
「倭国」の初まりは、「九州島」内の「九州人国」同盟連合と「狗邪韓国渡来人国」同盟の連合による「九州人国」主導による連合統一の「倭国」です。
(年代は,紀元前の660年?)

ワの音形 x・立体内に、y・つながりが 接合する
読み   倭国・立体内に、大半島(佐賀県、長崎県が入る)・つながりが                              接合する
コの音形 x・立体形が 立体内に 集まる
読み   (大半島内;)島原半島、経ケ岳、長崎半島・立体形が 立体内                     に 集まった
クの音形 x・立体形が 立体内に 交わる
読み   (島原半島、経ケ岳、長崎半島内;)国内・立体形の 立体内に                      交わる

(卑弥呼)の「邪馬壱国」…「徐福」船団の「徐福、狗邪韓国王」の倭国内移住により誕生。
「邪馬壱(イチ)国」は、中国を初めて統一した「始皇帝(紀元前221~210)」からの援助を得た「徐福」船団が、「倭国」統一の片翼である「狗邪韓国渡来人国」の母国である「狗邪韓国」を占領し、

「狗邪韓国王」を捕虜にして「倭国」に移住し、「徐福、狗邪韓国王」の「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」を統率して、連合である「九州人国」も従属し、「倭国」を征服した「徐福、狗邪韓国王」の建国した「邪馬壱国」倭王国です。

※「狗邪韓国王」の所在は、「邪馬壱国」内の四官内「伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮」の「奴佳諟」が「狗邪韓国王」の子孫です。

『古事記』内「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」の誕生
「始皇帝」生存中に誕生した「倭国」内の「邪馬壱国」倭王国が、「狗奴国」との戦争に敗れ「卑弥呼」の死んだ西暦248年前に滅亡しました。

「狗奴国」は、九州島内東北端の独立国で国内に「遠賀川、彦山川」を有しています。
「狗奴国」と「倭女王国」との戦争では、「狗奴国」と(邪馬壱国倭王国に従属されたいた)「倭国」体制が連合して「邪馬壱国」を征服しました。

そして、「邪馬壱国」体制を従属連合した「狗奴国王」王権内となる倭王権の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「狗奴国王」が統合し、「狗奴国」内に「子淡道之穂之狭別島」王権を組織しました。

〇『古事記・伊耶那岐命、伊邪那美命』の「子淡道之穂之狭別島(ミコアハヂノサワケノシマ)」です。


『古事記・大八島国の後の六島』内「知訶島(チカノシマ)」
「狗奴国王、倭国統一三ヶ国盟主王連合」統合王権国が、「狗奴国」内に「子淡道之穂之狭別島」王国を築きましたが、

「倭国統一三ヶ国盟主王連合」体制内となって「子淡道之穂之狭別島」王権内となる「台与(邪馬壱国)体制」が反乱を起こして、

「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を従属連合してしまいました。体制を逆転させた「台与体制」が「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を率いて「子淡道之穂之狭別島」王権組織内に成りました。


(台与の)「邪馬台(タイ)国」

「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」内に築いた王権体制内の「倭国統一三ヶ国盟主王連合」体制内であった「台与(邪馬壱国)体制」が、「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を従属連合して上下関係を逆転させ、

「子淡道之穂之狭別島(狗奴国王)」王権体制内に成りましたが、「台与体制」は「狗奴国王」の王権を奪わずに、あくまでも「倭国統一三ヶ国盟主王連合」権を代行する形で「子淡道之穂之狭別島」王権を執行した感があります。

ここに、実行倭王権を振るった「台与体制」を表現する「邪馬台国」名が生まれたと想像します。

「邪馬壱国、邪馬台国」名の区別があやふやなのは、「邪馬台国」時代に「九州島」全国を統合し、次に「本州島、四国」統一に向けた「日本国歴史空白の四世紀」に向かう短い期間のであった事と、

「子淡道之穂之狭別島」内に「豊の国」名が存在し、「豊の国」名は、「九州人国」名であるが、「邪馬台国」は中国渡来人国の「台与体制」名であったからではないかと想像します。


「倭国」内(卑弥呼の)邪馬壱国。「狗奴国」内の「子淡道之穂之狭別島」。知訶島、(台与の)邪馬台国」名の「音形」地形読み結果だけを書きます。

「倭国」統一国の地形
「倭国」内の「大半島(佐賀県、長崎県が入る)」に接合した「島原半島、経ケ岳、長崎半島」が集まった領土を国内に交わる。


(卑弥呼の)「邪馬壱国」倭王国の地形

「倭国」内になった「橘湾、八代海、島原湾、有明海」内の「有明海」内になり「筑後川」がつながりきった(合流した)、
「筑後川」面の筑紫平野につながりきる大地に集まった台地(吉野ヶ里遺跡面)を国内に交わる。


「狗奴国」の地形

「九州島、本州島」が交わった「九州島」内に「遠賀川、彦山川」が立体内になる、「遠賀川、彦山川」面「川、平野、山岳地」を国内に交わる。


「子淡道之穂之狭別島(狗奴国)」王国の地形

「九州島、本州島、四国」内に「周防灘」がつながりきった「周防灘」面「九州島」に集まり(隣接して)「本州島」が立体面になる、

「本州島、九州島」間に海水路の「関門海峡」にあり「関門海峡」の海水路につながりきる「周防灘、玄海灘」面内につながりきった
陸地内に「遠賀川、彦山川」が集まり、「遠賀川、彦山川」合流内に「旧遠賀川湾」が集まる「旧遠賀川湾」が「洞海湾」の湾水内に集まり、

「洞海湾」内の湾水は凪を接合して、凪内湾水内に広げて海洋船集合の港湾を集め、湾水内につながる湾水内水中には海女が立体内になる。


「知訶島(狗奴国)」の地形

「知訶島」を内にした「九州島」内になり、「本州島」が集まって関門海峡を集める、関門海峡水路につながりきった「九州島」内に「遠賀川、彦山川」が立体内になる


(台与の)「邪馬台国(狗奴国)」の地形

「邪馬台国」を中間内にして「倭国」と関門海峡があり、関門海峡内となった「玄海灘、周防灘」面内に挟み込んだ領土がつながりきる、
領土内に「遠賀川、彦山川、旧遠賀川湾」が集まった「平野、山岳地」を国内に交わる。

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