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「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の倭王権

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形読み」によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。


この類似の名称について

 「卑弥弓呼」については、「魏志倭人伝」文中に“ 倭女王卑弥呼は狗奴国男王、卑弥弓呼素と和せず ”と書かれていますから「倭女王国」と戦争中の「狗奴国王」とはっきりしています。
 
そして、もっと前の文章中には、“ その南に、狗奴国有り。男子が王と為る。その官(王)は狗古智卑狗有り ”とありますから、「狗奴国王」の名前変更であることが理解できます。
 
日本の戦国時代に「織田信長」に仕えて戦功をあげ日本統一をした「豊臣秀吉」は、「日吉丸→木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉」と名前を変えています。戦争は戦功により人の名前を変えるようです。
 
では、何故、官(王)「狗古智卑狗」であった「狗奴国王」が「卑弥弓呼」になったかです。
もちろん,ここにも「倭女王国」との戦争による戦功が関わっています。
 
それを理解できるのが、「倭国内九州人国」の一国である「投馬国」内の官(王)である「弥弥、弥弥那利」からです。「狗古智卑狗から卑弥弓呼」と名前を変えた「狗奴国王」が「弥弥」と変名しています。
 

「狗奴国王」の名称変更である「(※)狗古智卑狗、卑弥弓呼、弥弥」の功績を「音形」読みしてみます
※「狗奴国王」に対する「狗古智卑狗、卑弥弓呼、弥弥」の名称は、『古事記・神世七代』内の七代目「伊耶那岐命、伊邪那美命」の前段階事情です。

六代目の「邪馬壱国」倭王権者である「母陀流神(烏奴国、躬臣国)、妹阿夜訶志古泥神(卑弥呼)」体制が「狗奴国」を占領して、
「狗奴国王」を「邪馬壱国」倭王国が、「倭国」を征服してから監禁を続けている「九州人国十四ヶ国王」と同じ施設内に「狗奴国王」を監禁しました。

ところが「狗奴国王、九州人国十四ヶ国王」が連合を組んで「邪馬壱国」内に監禁していた「倭国統一三ヶ国盟主王連合(倭王権)」を奪い収容してしまいました。という状況が「狗古智卑狗」名になっています。

「狗古智卑狗」 … 音形読み
ク x・立体形が 立体内に 交わる
  倭国・立体形を 立体内に 交わった
コ x・立体形が 立体内に 集まる
 (倭国内;)九州人国十四ヶ国王・立体形を 立体内に 集める
チ x・集合一体形が 立体内に つながりきる
 (九州人国十四ヶ国王内;)狗奴国王・集合一体形を 立体内に つなげ        きり
ヒ x・形状内、別体形が 立体内に つながりきる
 (狗奴国王内;)九州人国十四ヶ国王・形状内、連合を 立体内に つな       げきって
ク x・立体形が 立体内に 交わる
 (連合内;)倭国統一三ヶ国盟主王連合を 立体内に 交わった
 
「狗古智卑狗」… 音形読み結果
「倭国」を交わって(征服して)「倭国」内の「(※)九州人国十四ヶ国王」を集める(監禁した)同じ施設内に「狗奴国王」を監禁した、
(その)「狗奴国王と九州人国十四ヶ国王」が連合して「(※)倭国統一三ヶ国盟主王連合(倭王権)」を交わった(連合した)。

(邪馬壱国」が倭国統一三ヶ国盟主王連合を失うことは倭王権を失うことです)。
 
※「九州人国十四ヶ国王」… 「倭国内九州人国」の総数です。「邪馬壱国」が「倭国」を征服した際にまとめて「邪馬壱国」内に監禁しました。

※「倭国統一三ヶ国盟主王連合(倭王権)」… 「倭国」誕生の際に「九州人国」と「狗邪韓国渡来人国」が連合して「倭国」を誕生させた際に生まれた倭王権組織です。

この倭王権組織が「魏志倭人伝」内に書かれているのが、「魏志倭人伝」内で「邪馬壱国」を説明した際に書かれた「奴佳諟」を含む四官「伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮」です。

「奴佳諟」は、「徐福」が「倭国」に来航する際に「狗邪韓国」を占領して、「狗邪韓国王」を捕らえ「倭国」内に伴った「狗邪韓国王」の子孫です。

「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の三官は「伊支馬、彌馬升、彌馬獲支」で
す。
伊支馬 … 「倭国内九州人国」七ヶ国盟主王の「弥奴国王」。
彌馬升 … 「狗邪韓国渡来人国」盟主王の「斯馬国・北九十九島地区                                 王」。
彌馬獲支 … 「倭国内九州人国」七ヶ国盟主王の「好古都国王」。
 

「卑弥弓呼」の倭王権取得状況です
卑弥弓呼 … 音形読み
ヒ x・形状内、別体形が 立体内に 分かれる
  邪馬壱国・形状内、倭国が 立体内に した
ミ x・容積内、y・複合立体形が 立体内に つながりきる
 (倭国内;)倭王権・集合内、邪馬壱国・複合立体形を 立体内に つな          げきり
キ x・立体形が 立体内に つながりきる
 (邪馬壱国内;)徐福・立体形が 立体内に つなげきった
ュ x・重なり形が 立体内に 交わる
 (徐福内;)倭王権・重なり形(倭国統一三ヶ国盟主王連合)を 立体内         に 交わり
ウ x・接続形が 立体内に 交わる
 (倭王権内:)狗奴国、倭国・接続形の 立体内に 交わって
コ x・立体形が 立体内に 集める
 (狗奴国、倭国内;)狗奴国・立体形の 立体内に 集めた
 
音形読み結果
「邪馬壱国」内に征服した「倭国」の倭王権者を「邪馬壱国」を建国した「邪馬壱国」内の「徐福」が立体内にした、
「徐福(子孫である台与)」内となった倭王権者である「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を交わり(救出し)、倭王権を交わった(収容した)「狗奴国王、倭国」が交わる「狗奴国王」内に集めた。
 
(倭国統一三ヶ国盟主王連合を狗奴国王が連合して,狗奴国王が、倭国統一三ヶ国盟主王連合の倭王権である代行倭王権を得た)
 

「弥弥(狗奴国王)」 … 音形読み
ミ x・容積内、y・複合立体形が 立体内に つながりきる
  倭国・容積内、倭王権・複合立体形を 立体内に つなげきり
ミ x・容積内、y・複合立体形が 立体内に つながりきる
 (倭王権内;)邪馬壱国、倭国・容積内、狗奴国王・複合立体形の 立体内に つなげきる

 「弥弥」 … 音形読み結果
「倭国」内倭王権をつなげきり(取得して)「邪馬壱国、倭国」を「狗奴国王」体制内に従属連合した。

「弥弥」の地形読み結果では
「九州島、本州島、四国島」内となる「周防灘」内につながりきった「周防灘、関門海峡、玄海灘」海水面内領土を国内につなげきる。 


「狗古智卑狗」時代から「魏志倭人伝」に書かれた「倭国」時代で「卑狗、卑奴母離」等の官名がでますが、
(倭国内の)「狗邪韓国渡来人国」領有の国々です。「邪馬壱国」と連合を組んで倭王権を振るっていましたが、「倭国,邪馬壱国、狗邪韓国渡来人国」を従属連合した「狗奴国」統一王権は、
「倭国」領内国々の「九州人国十四ヶ国王、中国渡来人国、狗邪韓国渡来人国」を区別の無い一連合国としたのかもしれません。

「狗奴国(子淡道之穂之狭別島)」王権体制内に成り「狗奴国王」体制から送った国王(官)が「卑狗」になり、「倭国、邪馬壱国」王権体制内で保護されていた「狗邪韓国渡来人国」体制で王であった王が「卑奴母離」と名前が変わりました。
  
では、「卑弥呼」名の成立は、
私の知る歴史内で「九州島」の古代の国名は「倭国」です。「倭国」名はどうして出来たかと考えるに「ワ音の音形」である
「x・立体内に、y・つながりが 接合する」からです。
 
例えば、漢字の無い時代、言葉だけの表現で「ワ(コク)」と言った意味と、後代になり漢字が入って「倭国、和国」と書いても「ワコク」は同じであったと思うんです。
 
「ワ音」形で「倭国」を読み「ワ国」を想像します
ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する、
  海洋・立体内に、狗邪韓国、対馬、壱岐、九州島・つながりが 接合す         る(連続している)
 
ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する、
  対馬国、壱岐国・立体内を、狗邪韓国・つながりが 接合する(領有す          る)
 
ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する、
  九州島・立体内に、狗邪韓国の船人・つながりが 接合する(移住する)

ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する、
  九州島・立体内に、狗邪韓国渡来人国・つながりが 接合した(国々建         設同盟を結んだ)

ワ x・立体内に、y・つながりが 接合する、
  九州島・立体内の、九州人国、狗邪韓国渡来人国・つながりが 接合し          た(連合し倭国を生んだ)
 
まるまる私の想像ですが、上記「ワ音」意味言語に「倭」の漢字を当て嵌めたと考えるんです。この「倭国」内の成り立ちを「狗邪韓国」船人から聞いていた山東半島に住む「徐福」が中国を統一して、
 
さらに欲望を持つ「始皇帝」に東海にある三神山を占領してあなたに差し上げますからと膨大な援助を得て、援助の「徐福」船団で東海に向かい途中にある「狗邪韓国」を占領して、

「狗邪韓国王」を捕らえ伴って「倭国」に移住し、「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」を統率して、「狗邪韓国渡来人国」の連合国である「九州人国」も従属したのが「邪馬壱国」倭王国です。

卑弥呼 … 音形読み
ヒ x・形状内、別体形が 立体内に 分かれる
  倭国・形状内、倭王権を 立体内に した
ミ x・容積内、y・複合立体形が 立体内に つながりきる
 (倭王権内;)邪馬壱国・容積内、徐福(子孫代々)・複合立体形の 立         体内に つなげきり
コ x・立体形が 立体内に 集まる
 (徐福子孫代々内;)(代行)倭王権・立体形を 立体内に 集めた
 
音形読み結果
「倭国」倭王権を立体内にした(倭国倭王権者を)「邪馬壱国」創建の「徐福」内につなげきり、「徐福(子孫代々内)」内倭王権を(徐福の親族である台与、卑弥呼)立体内に集めた。

※「邪馬壱国」倭王国内で王権を持つ人が「卑弥呼」しか書かれていません。「卑弥呼」は、「伊都国」内に駐屯した「爾支、泄謨觚、柄渠觚」を伴って倭王権を執行する立場にいます。
 
「卑弥呼」の母国内である「邪馬壱国」内に王権者はいないのか。不思議です。「倭国と邪馬壱国」を統治する王権者が母国を離れて、下部連合国内に駐屯し続けるという事も考えられません。
 
ここで思うのが「台与(壱与)」です。「邪馬壱国」は、国の初まりで「狗邪韓国渡来人国」と連合するに当たり、母国内に「母国と倭国」を治める王(徐福、子孫の台与=時代環境によって名前が異なる?)を置き,連合国である「狗邪韓国渡来人国」対応のための「卑弥呼」を設置したかと考えます。

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